アドラー心理学3) 「感情」を使う、主人公は私 

3)「感情」を使う

「イライラしていたから、コーヒーを飲みすぎて眠れませんでした」

はてさて、これは「イライラ」という感情が、私をコーヒーを何杯も飲ませた結果、眠れなかったのでしょうか?

このお話の主人公は感情です。そして感情という主が、私という奴隷にコーヒーを何杯も飲ませたので、感情の奴隷である私は眠れなくなってしまったという被害者のお話しです。眠れなくなったことの責任者は感情ですので、私は無力でかわいそうな存在です。

 主人公:感情
 奴隷 :私
 行為の結末:眠れなくなった。
 責任者:感情

さて、ここで、主人公を変えましょう、主人公は私で感情という奴隷を使うのです。

 主人公:私
 奴隷 :感情
 行為の結末:眠れなくなった。
 責任者:私

行為の結末はかわりません。眠れなくなったということです。
しかしながら、主人公は私です。私が感情を使ってコーヒーを何杯も飲んだので、結果として眠れなくなったわけです。責任者は感情を使った私にあります。決して感情ではありません。

「感情」が主人公であれば、無力でかわいそうな私です。何も責任を取る必要はありません。しかしながら、「私」が主人公であれば、その責任は私にあります。そして感情の使い方を変えることもできるのです。

 そう、私たちは感情を使っているのです。

だから、感情の奴隷とならず、感情を使用する責任者として立ち位置を変えましょう。

これはとても勇気のいることです。だって、私が感情を使うわけですから、当然起こった結果については責任を取らなければならないのです。

アドラーの考え方は、「自分が責任を取る」という点がとても新鮮で厳しいです。
「感情に支配されたかわいそうな私」でいることを許してくれません。

感情は私たちの生活を豊かに前向きにしてくれるものでもあり、思いとどまらせ、あきらめさせるものでもあります。上手に感情とつきあっていきたいものです。

私たちは自分の人生を歩まなければならない。どのようなことであれ、
前をむいて、勇気をもって歩む。自分のおこした責任をしっかりと取る。勇気がいるけど、そこには自立したすがすがしい貴方がいると私は思うのです。