あれこれ思うエッセイ集:,

脳卒中の患者さんとの会話

『生きている』力を応援すること

脳梗塞の後遺症で、治療にいらしている患者さんとのお話で、私が語ったことをまとめてみました。

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私「私は、脳梗塞の後の身体の状態を『生きている』という観点を大事にして治療をしています。 では、『生きている』とは、どういうことだと思われますか?」

患者さん 「死んでないこと?」

私 「そう、死んでいないこと(;^^)ですね。ただ、死んでいるの反対が生きているとは私は考えていません。

生きているって生命があることだと思うのですよ。

生命があるというのは、食べ物を食べて、栄養を受け取り、体中に気血をめぐらせている状態だと思います。それが生命がある、生きているのだと」

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患者さん 「食べ物を食べなくても生きていますよ」

私「そうですね、短い期間で考えればそうですね。でも、それは切花と同じで、やがて生命が途絶え死んでしまいます。呼吸をし、水を吸い、生きているように見えても、それは仮りの生命ですね。草花で言えば、大地に根を脹り栄養を取り込んでいること、人間で言えば、食物を食べて栄養を受け取り気血をめぐらせているのが生きているのだと私は考えています」

私「だから、脳梗塞などで手足が不自由になったとしても、食事ができ、栄養を取り込み、体中に気血をめぐらせ、意識をもって生きている生命は『生きている』と考えるということなんです」

私「そして脳梗塞などで麻痺した手足などは、草花で言えば、冬の寒風にあたってしまった葉っぱだと思います。きつい寒風にあたってしまうと、その部分は場合によっては気血が完全にめぐらなくなり『生きていない状態』になり枯れ落ちてしまうかもしれませんし、かろうじて幹にくっついて瀕死の状態であるかもしれません。

どちらにせよ、強い寒風にあたった末端は、生命が非常に薄い状態であると考えられます」

私「それでも、ちゃんと『生きている』のですから、生命があるのですから、草花のように、一度冬になって枝葉が落ちてしまっても、春になれば、新しい芽が吹いてくるかもしれません。また弱った枝葉に生命力が吹き込まれるかもしれません。これは、いま、まさに『生きている』ことを大事にして自然に任せるべき問題だと思います。これが私が脳梗塞などの状態の方の手足末端を問題とした治療をしない理由です」

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患者さん「生きている事を大事にするとは、どういうことですか。麻痺した手足は問題にしなくてよいのですか?」

私「脳梗塞などをおこした身体が「生きている」のは、草花でいうと、冬の状態だと思います。根っこは大地から栄養分を取る力をまだもっている。しかし枝葉は枯れ落ちている状態です。枯れ落ちた枝葉をいくらいじっても無駄です。根っこの力、そして根っこが大地から栄養分を吸収する力、そして強い生命力が次の芽吹きを作るような力を応援していくことが肝要なのです。これがこういったケースでの治療の要諦だと思っています」

私「通常、脳卒中などの治療では、症状のある手足、つまり枯れた枝葉の部分を一生懸命直そうとして、リハビリしたり、鍼灸したりします。人によっては、根っこの力が強く、その治療に反応する場合もあるでしょう。しかしながら、本来的に、それは無駄になるばかりか、中心の生きていく力を分散させてしまい、『生命力を減らしてしまう』ことにもなるのです。」

私、「ご本人が、ご自身の力で手足を使い運動することは、大賛成です。栄養を吸収する力は東洋医学でいうところの、脾胃の力です。この脾胃の力は石臼にたとえられます。石臼を動かす取っ手は手足です。ご自身で手足を動かすことで、脾胃の力が高まり、生命力が高まります。ご自身であっても、動かしすぎは、生命力を末端に引いてしまいかえって逆効果です。そのあたりの兼ね合いはありますが、基本的には、ご自身で動くことは非常に大事です。」

私「治療にとって、一番大事なのは、『生きている』力を応援すること。枝葉は、その後の本人の力に任せることなのだと、私は思っています。」