カテゴリー : 講演記録

2010年 山下湘南夢クリニック ゲスト講演『不妊と鍼灸治療』

山下湘南夢クリニック ゲスト講演『不妊と鍼灸治療』(2010年4月3日)
ビッグママ治療室院長 米山章子

25年前の不妊、35歳と諦めたら妊娠

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私は日々、妊娠したいというご希望の皆さんと時間を過ごし、赤ちゃんと出会えるためのお手伝いをしています。

そんな私が『不妊』や『赤ちゃんが出来ないための治療がある』ということを初めて知ったのは、私自身が妊娠ー出産した20年以上も前のことです。

25歳の私は、妊娠について考えるまもなく妊娠し、当たり前のようにお腹が大きくなり、ある暑い夏の日に赤ちゃんを産みました。

妊娠中は、マタニティースイミングに通い大きなおなかをかかえて楽しむうちに沢山の妊婦仲間ができました。私の出産予定日は7月25日。お仲間には5月ぐらいから、9月ぐらいまでの出産予定日の方々がいらっしゃり、『もうすぐママになる』という共通点で、話がはずみました。

20代が中心の仲間の中に、25歳の私よりはちょっと年上、30台半ば過ぎと思われる妊婦さんがいらししゃいました。彼女と私は出産予定日が近く話がはずみ仲良くなりました。あれこれ話しするうちに、彼女の妊娠にまつわるお話を聞きました。

『赤ちゃんが欲しくて、だいぶ大学病院に通っていたの。でも35歳になって、ドクターから「治療をおしまいにしましょう」といわれて、コタツで泣きにないていたの。そしたら、なぜだかポコッと授かって・・・』

大きなおなかをさすりながら話す彼女は、とても安定して幸せそうでした。

もう今から20年も前のことです。マタニティースイミングでは、私と同世代の元気な若い妊婦さんが多く、私自身も当たり前に妊娠し妊婦になっていたので、ちょっとお姉さんの彼女の『赤ちゃんが欲しくて、病院に頑張って通ったけど、もう治療をやめましょうといわれて絶望的な気持ちになった』というお話を、すでに妊婦になった彼女を目の前に、私はあまり実感なく、ふーんそういうこともあるんだなあと思いながら聞いていました。

目の前の彼女も一緒にスイミングを楽しむ普通の妊婦さん、なんら変わるところがありません。

一緒に楽しくプールの時間をすごし、私は7月に、彼女は8月に出産しました。翌年、彼女は私より少し早く年子のお子さんをを出産し、私も続いて年子の女の子を出産しました。10歳近く年齢の違う私たちでたが、その2年の間に、次々と年子の子供を授かり、二人のお母さんになったという過程はまったく同じでした。

このお話、今思うと、考えさせられるキーワードがたくさんあります。考えてみましょう。