肝腎要なお話。表記はかわるよ簡単に〜

東洋医学の体力貯金というテーマで文章を書いています。

私達は日々ご飯を食べて、エネルギーを受け取り生きています。
これが、胃腸を中心とする後天の精を得るシステムです。

そして、身体の底力とか、余力をたくわえるのが、丹田の力。
臍下丹田とかいいますよねえ。
言わないかな(^_^;)、どうも東洋医学の世界どっぷりになると、
普通の言葉の感覚が失われて言ってしまったり。
いかんいかん。

ということはさておき、この身体の底力、余力ということを、
東洋医学の体力貯金という言葉をテーマとして書いていました。

そして、この中心のこと場を、肝腎要と言いますヨネなどと書いていて、
肝腎要(かんじんかなめ)が、肝心要と変換されるので、あれ?あれ?あれ?と
違和感が。

東洋医学の世界では、身体を上中下にわけます。で、底力は下のところに位置する腎を中心に身体の軸となる肝と組み合わせて考えるのが素直なところです。これをなんで肝と心。なんでやねんと違和感を持って調べると、日本語表記の問題で腎が使えなかったから、心を使い、のちに腎が使えるようになったけどそのままという歴史の流れがありました。

つまり、もともは肝腎要であったのが、日本語表記の関係で肝心要とされた時期があり、腎も使えるようになったけど、肝心要の方が浸透しているというところみたいですねえ。

東洋医学的な観点から考えると、肝心要はちょっと違うんじゃないって思っちゃうんですが、一般用語となった場合は肝心要でも違和感がないんですかねえ。

言葉って面白いですねえ。

こうやって、私達の知っている古典だってなにかの書き違いとか、いろいろな都合で変化していることもあるんだろうなあなんて思いました。

言葉は日々成長するってことだわねえ。