今日の律子:①律子の四国髙松での生活

私の母は、律子っていいます。
どうも、私の家では、『おかあさん』という言葉はあまりでてこないです(^_^;)。
律子がいわゆるお母さんっぽい人ではなかったのと、私もお母さんぽいひとではないこともあり、
私達家族はたいてい名前で呼び合っています。

律子は『りっちゃん』私のことは『あきこ』そんな感じです。

その律子が四国高松からこちらにやってきたのは2020年4月7日。
第一回緊急事態宣言の初日です。

それから、私と同じ神奈川県小田原市にある、学研さんの施設であるココファンにお世話になりながら、日々を暮らしています。

私の家にきては、ネコのギルバルス、孫のあっちゃんなどと楽しく遊んでくれています。そんな律子のことを少しまとめて書いていきたいと思います。

今回は、その1)律子の四国髙松での生活です。

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☆律子の四国髙松での生活。

私達娘は神奈川県で生活し、律子は四国髙松で一人暮らしをしていました。

彼女は、一人娘であり、髙松駅に近い広めの自宅で自由な(^_^;)生活をしていました。

車の運転もでき、社交的な彼女は楽しく生活をしていたんじゃないかなと思います。

70代の前半、何度か、神奈川への引っ越しを話しましたが、結局、一度も首を縦に振らず、そのまま四国髙松での生活が続いていました。

一人暮らしが出来たのは、長年の付き合いがありなにかとサポートしてくれていた方が近くにいてくれたからでもあると思います。離れた娘達よりも近くの親切な友人の方がよっぽど彼女にとっては、生まれ育った場処で生活も出来、快適で楽しかったんじゃないかなと思います。

そして、その方が病気療養に入ったことなどもあり、一人暮らしが難しくなってしまいました。そしてケアマネさんと相談し、自宅に近くにあった両備さんの施設、両備ヘルシーケア髙松でお世話になることになりました。

このときは、自分の自宅と施設を往復したり、行きたいところにいったりと、一人暮らしは難しいけど、まあ一人で生活が出来るレベル。

また介護で通っていたデイサービス光のかけらというところが、非常にあっていたようで、身体レベルも向上。食事など文句はタラタラでしたが、まあまあ、前向きな生活をおくれていました。両備さんも親切な施設でした(^^)

まあ、振り返ると、このころは、本当によく私は神奈川と四国髙松を往復していました。

介護の飛行機料金ってのがあって、有難く利用させて頂いていました。

またケアマネさんが本当に優秀で、必要な時に必要なことを、サクッと調べた結果でアドバイスしてくださったので、いろんなことが前に進みました。有難かったです<(_ _)>。