子どもの自立と空の巣症候群
子どもが飛び立ったあとの巣――
「空の巣症候群」なんていう言葉が、むかし流行りましたねえ。
この言葉、なぜ今はあまり使われなくなってきたのでしょうか。
ちょっと考えてみました。
1:「母親前提」の言葉だったから
空の巣症候群は、もともと
・子ども中心の生活
・家庭=母親の主戦場
・子どもが巣立つと「役割を失う」
という、昭和〜平成初期の家族モデルが前提だったそうです。
でも今は、
・共働きが当たり前
・親の生き方は多様で、ここからが老後の蓄え時期
・子ども中心だけが人生じゃない
という価値観が、大きく広がってきたように思います。
「母親は空っぽになるもの」という前提そのものが、
現実と合わなくなってきたんですね。
2:子どもの巣立ちが「危機」だけではなくなった
昔は、
・子どもが家を出る=親の喪失体験
という語られ方が強かったですが、今はむしろ、
・親子関係の再編
・距離ができて楽になる
・新しい関係性の始まり
と、発達的な移行期として捉えられることが増えてきました。
つまり、親と子どもという関係が、
「家族の中の大人同士の関係」になってきた、
そんな感じでしょうかね。
助け、助けられ、喜びや悲しみをより濃く分かち合う。
物理的な距離はあっても、家族という枠の中で、
喜びを分かち合える存在。そんな関係です。
それでも、「子どもの自立・巣立ち」は大きなイベントです。
大学に行くために家を出る。
就職で家を出る。
どちらも、「自立する」「社会と調和して生きる」という
子育ての目標を達成した、家族の次のフェーズなのだと思います。
小さな子どもと一緒に寝ているお母さんは、
夜中でもなんとなく子どもの気配を感じながら眠っています。
ふと目が覚めて、布団をかけ直してあげたり、
ベッドから落ちていないか確認したり。
もし、夜中にふと目覚めたとき、
空っぽのベッドに気づいたら。
その瞬間の寂しさや怖さ、孤独。
切ないですねえ。
子どもの自立、旅立ちは、
どこか恋愛の終わりに似た痛みだなあとも思います。
離れたくない、耐えられない。
そんな思いが一気に浮かぶ。
それでも、自立していく子どもの成長や幸せを願う。
ただ、恋愛と違うのは、親子のつながりは切れない、ということ。
家族の枠はいつまでも家族で、
子どもと私は赤い糸でつながっている。
そんな感覚があります。
最近はそこに、ピヨピヨ軍団がやってきて、
否が応でも「つながっている」と感じざるを得ません。
暢気にお茶を飲んでいたら、
「あきこー、デザートは??」と
手元をのぞき込んできます。
はいはい、と返事をしながら、
玄米ポンチャンをひとつかみ。
小皿に入れて渡します。
満足げな笑顔に、私も思わずにっこりです。
子どもの自立のあとにも、
こんな線がつながっていて、
こんな縁が生まれて、
こんな笑顔が見られる。
生きているって、ありがたいことですね。
玄米ポンチャン、美味しいよね。
8袋買ったのに、もうない……。
また買わねば(^^ゞ
