伏見稲荷でいただいた御神酒と、アルコールのこと

先日、伏見稲荷に行き、ご祈祷を受けました。
なんとなく馬が合う(いやいや、お稲荷様なのに馬とは(^_^;))このお稲荷様。
ご祈祷を受け、山に登り、気持ちの整理整頓。
ご祈祷の折に、御神酒をいただきました。
すると、すっと上焦の気滞が取れる感じ。
ふうっ。
さて、このアルコール。
食事指導のための知識として、「食事バランスガイド」や「日本人のための食事摂取基準」を眺めていて、ああ、アルコールに対する厳しさがまた一段増したなあと感じました。
2025年版の食事摂取基準では、アルコールは炭水化物としての扱いもなくなり、栄養的には無意味(^_^;)という整理。
いやいや、そもそもアルコールは基本的に有害ですね。
有害ならば社会から排除すればいいじゃん、毒だから。
……とは、私には思えないんです。
甘いな>自分
私の祖父母は町の食堂をやっていました。
小学校の頃、夏休みはずーっとその食堂がある母の実家に滞在。
あれこれ楽しい思い出がありますが、特に印象的だったのは、夜の時間のオッサン達の喧噪でした。
みんなで食事をし、酒を飲み、あーだこーだ話すうちに喧嘩も起きて、またあーだこーだ。
あーだこーだの大騒ぎ。
時には「一宇村(いっちゅうそん)に帰る!」という駄々をこねるセリフと、それを宥めるセリフが飛び交っていました。
飲酒がなければ、あんな大騒ぎにはならないのでしょう。
でも、ただ黙ってご飯を食べるだけでは、あの場にはならなかった。
あそこに来る人々は、ご飯を食べながら、テレビを見ながら、酒をちょびちょび飲みながら、何時間も、あーだこーだあーだこーだ。
一人の個としてなら、少量の酒は気を軽く巡らせる道具。
大勢での飲酒は……社会性、からみ(時にウザ絡み(^_^;))の社会的道具なのかなあ。
人は集団の生き物。
アルコールそのものは、栄養的には百害あって一利無し。
それでも、集団としての儀式(なのかな?)や、コミュニケーションツールとしての役割は、百害あって十ぐらいは利があると言っていいのでしょうかねえ。
私自身はアルコールはほとんど飲めない、お猪口2杯が限度組ですが、案外アルコールのある雰囲気は好きなんです。
あのあーだこーだからの大げんかも見ているのに、「一宇村に帰る!」からの展開が、小学生の私にはなぜか面白くて。
……と書きつつ、アルコールの失敗や依存の問題も根深い。
それでも、「有害だから排除」でいいのかとも思うのでした。
(あーでもでもだっての文章だな)
