毎日、色々な事がおきますねえ。
過去のわだかまり、未来への不安。
私達が生きているのは今です。
その今を生きていることを認識し、理解するために
私が考える、身体のいまをお話しさせていただこうと思っています。
心と身体を考えていくときに、暝想やマインドフルネスは非常に大きな力となります。
暝想というと抵抗感のあるかたも多いと思いますが、マインドフルネスという言葉で
幅広く用いられているのかなと思っています。
健やかな気の昇降出入を保つためにー”今を生きている”ことを意識する瞑想
人間が健やかな身体であるためには、様々な場の設定において気の昇降出入がそれぞれにスムーズであり、相互の関係性としてもスムーズであることが望まれることをいままで述べてきました。特に人を一本の木に例えた、肝木の身体観を理解していくことがのぞまれます。健やかな気の昇降出入となるためには、肝気を中心に、感情が偏りなく健やかで伸びやかであることが大切と理解できます。
暝想についての、大きな抵抗感
瞑想が身体に良いということは古くからいわれています。私は、鍼灸の勉強会にて、瞑想を何度もおこないました。臍下丹田に意識を降ろすという言葉が自分の中でリアリティーをもてず、臍下丹田という言葉もイメージできず、イメージできないところであるので、そこに意識を降ろすという言葉にも違和感が大きく、瞑想という行為は私にとっては理解しがたい物でありました。またありのままを受け止めるという言葉の意味も私にはイメージしがたいものでありました。言葉だけが宙に浮き、実感としてイメージしがたい状態であったわけです。
瞑想は身体になにをもたらしていたのか。
あるとき、テレビの番組にて、座禅の経験が深い僧侶と、なんの経験もない若者が、バンジージャンプに臨むという企画をおこなっていました。バンジージャンプ前後の心拍数の動き、心身の動揺について情報提供していました。
同じバンジージャンプに挑むという状況で、僧侶は事前にも心拍数もあがらず、精神的な動揺もなく、バンジージャンプそのものの衝撃により多少の心拍の変動もあったものの、すぐにバンジージャンプの前の日常的な心拍数の変動に戻ることが出来た。
しかしながら、若者は、バンジージャンプの台に近づいていくだけで心拍数があがり、バンジージャンプをする前から大きく心身共に動揺し。その後、バンジージャンプをおこない、終わってからも、なかなか心拍数や心身の動揺は日常的な状態に戻ることができませんでした。
このとき、両者にバンジージャンプの前後によっての心身ありようについてインタビューされていました。
僧侶は、『ただ、まわりの景色を眺めていました。川があるな、谷があるな、木が茂っているな。水の流れる音がするな、と眺めていました』。
若者は『バンジージャンプが怖くて、どうなるんだろうとずっと考えていました。怖くて怖くて、こんな谷に落ちたらどうなるんだろうとか、ロープが切れたらどうなるんだろうかとか、いろんな事を考えてドキドキしていました』と。
感情や情志の身体への影響と瞑想。
二人の人間による、同じ行動をしていても、その人の心のありようによって、精神状態が大きく違い、このことが身体状況にまで大きな影響をあらわすということをまのあたりにし、私は意識を『ただ、周りの景色を眺めていた』ということに置くことが、これだけ心身に大きな違いを表すのだということがやっとイメージし、理解することができました。
これにより、いま、自分の置かれている状況を ”ありのままを受け止める”という言葉は、”身体はいまここで生きている” ことへの意識であるということ。ありのままというのは、今、自分の置かれている状態を、そのまま眺め、生きることであるということを理解しました。
そして”身体はいまを生きている”ということを理解意識し恐怖や不安などの過剰な情志の乱れから解き放たれることが、身体の気の昇降出入を健やかに保つことにつながります。
瞑想という言葉は、使われる場によって様々な意味がありますが、ここでは、
『いま、自分がおかれているその瞬間の周囲の環境を眺め、いまを生きているということに意識を置く』
ということに限定して考えていきます。
感情は様々な過去からのわだかまりや、未来への不安で、臓腑の気の昇降出入を乱し、”今を生きている身体” に影響をもたらします。そこで、この感情による乱れを少なくし、”身体はいまを生きている” ことへの意識につながる瞑想が臓腑の気の昇降出入を穏やかにたもつと考えました。
とくに生きる意思と大きな関係をもつ肝気は全身の気の昇降出入をコントロールすることに直結します。感情の奴隷となることなく、”いまを生きている” ということに意識をあてる瞑想は肝気を健やかに保つことに非常に有効と思われます。
瞑想のもたらす効果
瞑想は、心理学の分野でも心身によい影響をもたらすということでとりあげられています。マインドフルネス瞑想という言葉も使われています。マインドフルネスとは『今現在においておこっている経験に注意を向ける心理的な過程”であり、”瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる』とされています。
言葉の定義そのものについては本稿では議論はしませんが、座禅の経験が深い僧侶が、『ありのままを眺めていた』という状況を、マインドフルネス瞑想でいうところの、”いま現在において起こっている経験に注意を向ける”ととらえることができ、情志が安定し、心身が安定したことから、このマインドフルネス瞑想も、身体において様々な場で考える気の昇降出入をスムーズに安定させる効果があるのではないかと考えています。
五臓のありように様々な気の方向性として昇降出入を設定していますが、瞑想が”いま現在起きていることに注意を向ける” ということを促し、全身の気の昇降出入が伸びやかに保たれることに貢献しているのではないかと思われます。
”いま” を意識することが、私たちの心の乱れ偏りを気づかせ、情志の偏りを手放すこととなる。そしてよりスムーズな気の昇降出入の状態への貢献となる。情志はそれぞれの臓腑に配当されるほど、臓腑のありように大きな影響を与えると考えられています。情志の偏りを手放すことは五臓の気の昇降出入の偏りを改善させるであろうと理解でき、”いま”を意識する瞑想が情志の偏りを減らし、臓腑の気の昇降出入をスムーズにし、健やかな身体を保つことに非常に役立つであろうと考えられます。
”生きる意思”を主導する肝気は、人間の人生を光り輝かせ彩り前に進めていく意思となると思います。しかしながらときに、”今を生きている”という地点から離れ様々な情志のみだれを引き起こす可能性が高くもあります。瞑想の ”今を生きる” ということへの意識はこの肝気の過度な偏りをいさめ、スムーズな働きとなる様に導く作用が期待され、伸びやかな肝気による全身の気の昇降出入を助ける可能性を大きく期待することができるのではないかと思われます。
東洋医学で考える五臓のありようを気の昇降出入という観点から深く考察し、心身を平穏に保つことと瞑想について、東洋医学で考える人間観とあわせ研究を深めたいと思います。
参考文献
マインドフルネス瞑想の怒り低減効果に関する実験的検討(心理学研究2013年 第84巻 第2号 pp.93–102)
日本の心理臨床におけるマインドフルネス(人間福祉学研究 第7巻第1号 2014. 12)
瞑想(Meditation)厚生労働省統合医療に係わる情報発信推進事業サイトより。
(https://www.ejim.ncgg.go.jp/public/overseas/c02/07.html)
「実践カウンセリング」 監修、野田俊作 アドラー心理学会(http://adler.cside.ne.jp/)
☆1 東洋学術出版社 針灸学基礎編131ページより