陰陽という言葉をいろいろな場面で耳にされる事が多いのではないかと思います。陰陽の定義には古来よりとても多くのものがあり、矛盾しているものも多くあります。 たとえば、
冷たいものが陰であり、熱いものが陽である。
遅いものが陰であり、速いものが陽である。
静かなものが陰であり、活動的なものが陽である。
拡散するものが陰であり、凝集するものが陽である
濁気が陰であり、清気が陽である
受け容れるものが陰であり、与えるものが陽である。
などなど、言葉ではなんとなく理解できるかもしれませんが、実際の状況を思い浮かべると沢山の矛盾をはらんでいることを発見することができます。
拡散するものは活動的だから拡散するわけです。それでは拡散するものはそのままの状態では陰という事ができますが、その機能としては活動的な陽をもっていることになります。
太陽も月も、人にとってみればその力を与え続けるものです。人はただそのエネルギーを受け続けて生きているものです。この観点から見ると太陽も月も与え続けるという意味で陽ですし、人はただ生命を与えられ生かされているだけですから陰ということができます。
与えるという観点でみていくと、
植物は与え続けることで動物を養っているので陽、
動物はただ受け入れ続けるので陰。
草食動物は肉食動物に与え続けるので陽、
肉食動物はただ受け入れ続けるので陰。
こういった考えを推し進めると、与えられ続け、大いに受け取ることしかできない人間は陰の極みといえるわけです。おもしろいですねえ。
観点を明確にする
さて、ここで観点を変えてみましょう。今度は活動的か静かかという観点でわけてみましょう。動物は動きますので陽、植物は動くことができないので陰ということができます。また熱と寒の観点と、昼と夜の観点から考え合わせると、さきほど陽と考えた太陽と月は、陽中の陽である太陽と、陰中の陽である月というふうに分けて考えることもできます。
このように、観点が変わると、陰陽のラベルも変わります。ですから、私は陰陽を語る際にはまずどのような観点からみて、陰と言い陽と言っているのかということを明確にしなければならないと思っています。
陰陽というものさしで、長さを測るのか
陰陽という温度計で温度を測るのか、
陰陽という速度計で速度を測るのか、
陰陽という秤で重さをはかるのか、
こういった点を明確にしておかなければ陰陽を語ることはできないと考えているわけです。