あれこれ思うエッセイ集:

場を設定する – 陰陽理論を使いこなすために(2)

場を設定する

陰陽という言葉が抽象的な概念であり、陰陽を語るときにはどのような観点から語ろうとしているかを決めないと、矛盾だらけの議論になってしまうということを、前回のファイル[観点を明確にする]の中でお話ししていきました。

さて、ここでは陰陽という言葉を使う時に大切なもうひとつのこと「場を設定する」ということについて考えていきます。

世界には、他のものと関わりなく存在するものはありません。存在するものは必ずその外界と内界とをもち、内部でまとまることによって他のものと違うことを示し、外界と交流することによって他のものとのつながりを示しています。

このように考えられる一つのくくり、これがここでいう「場」です。

陰陽を語る際には、それがどのような場を設定して語られているのかということが大切なポイントとなります。

しかし、残念ながら、陰陽という言葉は現在、とても混乱した使われ方をしています。

これはなぜなのでしょうか?

それはこの言葉の応用範囲が広く、非常に使いやすいためであると思われます。

温度、速度、重さなどといった数値化することが可能な分野では、数値化して表現することによって、より正確な表現をすることが可能であり、心がけられるべきです。

しかしこのような、より正確な表現を使うことができるところでさえ、あまりにも便利で使いやすかったために、陰陽という言葉を用い、あいまいなまますませてしまう場合が多いのです。

丸ごと一つの生命のあるがままの姿を捉える。これこそが人と関わり治療を施していこうとする際の基本的な姿勢です。この姿勢があってはじめて診断ということそして治療ということが始まります。

丸ごと一つの生命を偏りなく把握する、その方法論として、陰陽理論には、もっとも生き生きとした活躍の場が与えられています。

このように考えを進めることではじめて、陰陽という言葉が一つのまとまりを解釈するための「ものさし」になり得るのです。そしてこの一つのまとまりこそが、「場」と私が呼んでいるものなのです。

生命として、必ず不完全ではあるけれども、内的なまとまりのある場。これをより明確に見るために、陰陽というものさしが非常に有益なのです。

生命としてのまとまりの中で、その偏りがどのように出ているのか、それを陰陽のバランス意識で見ていくことが大切なわけです。

これが宇宙であれば、太陽と月、と古代より言い習わされてきました。陰陽という文字の語源もここにあります。

しかし現代科学的な眼差しで見れば、これは非常に未熟な宇宙観に根ざしている陰陽観であることが理解できるでしょう。

宇宙という生命体を場として考えた時、太陽と月は陰陽関係にあるとはとても言えないからです。

非常に素朴な宇宙観、すなわち地面が平面で神が昼と夜とを創り昼の主宰者として太陽をおき、夜の主宰者として月をおいた。そういう宇宙観の時代のこれは陰陽のとらえかたなんです。

このように見ていくと、陰陽をどのような場で捉えているのかということを理解するためには、その思想的な背景や哲学といったものが、いかに重要なことであるか理解できるでしょう。

これが「場」を設定するということです。