人の器(肉体)と生きる意思(精神)
私たちは、器としての肉体と、その器を動かしている意思、すなわち、生きる意思である精神とをあわせもって生きているのではないかと、私は思っています。
肉体と、精神。この二つがあるからこそ、まさに生きているのではないかと思います。
私が、患者さんのお体を拝見するときに、まず、いまその肉体がどうなっているかという観点で、体表観察していきます。そして、問診をしたり、お話しをしたりしていくうちに、どういった生き方をなさっている人か、考えていきます。
つまり肉体を拝見し、精神も拝察させていただいているということかと、思います。
人の器(肉体)には個性がある
東洋医学では、人間は、父母より受け継いだ先天の精と、その後、食物を摂取することや呼吸で空気を取り込み生活していく中で、後天の精を作り上げ、先天と後天が混じり合い、肉体を作っていくと考えています。
お体を拝見すると、ご両親から受け継いだ先天のものは多少弱いけど、後天の精を取り込む能力が高く、お体を維持されているなとか、逆に、先天は強いけど、普段の生活の不養生から、後天の精を十分に取り入れられず身体に悪影響が出ているなあなどと思うことがあります。
もともとの状態がよくても手入れが悪ければダメだし、手入れしだいで、使い心地のいい肉体ができるということではないかと思います。
さて、後天と先天の精をあわせることにより、器としての肉体が作られます。そしてこれは大きさがあります。精力的な大きな器の人もいれば、小さな器の人もいます。これは個性です。
また、大きな器であっても、器のバランスが大きく崩れている人、小さな器であっても、陰陽がしっかり混じり合い、小さいながらもしっかりとバランスをとっていらっしゃる器などもありますね。これもまた個性です。
肉体のあり方には、たくさんの個性が感じられます。
精神のあり方にも個性がある
「職場での人間関係がストレスが・・」とか「忙しすぎるから・・」などと仰しゃる方がいらっしゃいます。
しかしながら、同じ、いわゆるストレスでも、受け取る側によって、かなり意味合いが代わることがあります。
心ー精神も個性が非常に強いものですね。そしてこの部分は、ご本人もあまり気がつかない、〃癖〃をもっているような感じがします。
そしてこの、精神のあり方の癖 によって、苦しんでいる方がよくいらっしゃいます。つまり、おこる出来事がなんでもストレスになってしまう人とがいるということです。
さて、肉体と精神のバランスをとり、健康的に、気持ちよく生きるにはどうすればいいのでしょうか。