カテゴリー : 不妊・婦人科 コラム

不妊治療を終えるとき

2)人生の中での選択 『子供のいる人生』『夫婦二人の人生』

多くの人にとって、赤ちゃんから子供時代をへて、結婚し、そして子供を授かり育て社会に送り出すという人生をさほど考えもなく歩むことが多いです。

私も当たり前の形で「子供のいる人生」を歩んでいくなかで、時に子供とは人生の中で位置づけなのかなと考えることがあります。私はいま50代です。私自身は、若くして勢いで結婚し、気がついたら妊娠していて、気がついたら第二子も出産するという、人生の選択の中ではあまりなにも考えないまま、結果として子供がいる人生を歩いていました。

いま、この50代の年齢の私が、若い頃の私に問いかけて「結婚するかしないか」を考えてみたら、結婚も、妊娠も、どちらも大いに迷ったと思います。

結婚するか、しないかを自分で決める困難さ。
するか、しないかを選択できる位置にいたのならば、結婚をする理由よりも、しない理由の方が沢山ありそうです。

妊娠出産するか、しないかを自分で決める困難さも感じます。もし考えるチャンスがあり、そのときに冷静であったならば、妊娠するという前向きな選択をすることはかなり勇気が必要だろうなあとも思います。たぶん、そのときに、子供がいてもいいけど、積極的に欲しいとまでは思わない『いつか妊娠出来ればいいか』ぐらいのかんじなのではないかと。子供を持つ人生というのは、生活を一変させ人生の歩み方が変わってしまう大きな出来事だと今の私は知っているからだと思います。

結婚し子供をもったことが私の人生にどうだったのか、結婚をせず子供がいない人生はどんな人生だったのか。どちらも、客観的に考えることは出来ない様な気がします。いまは、結婚し、子供がいたという人生を歩んだので、これを肯定的に受け止めることしかできません。でも、結婚せず、子供もいなかったら、それはそれできっと肯定的に受け止める自分がいるような気がします。だって、どちらにせよ自分の人生ですもの。
 自分で決めることができなくても、結果は引き受けるのが自分の人生かなと。そしてこの二つの人生は、社会的にも、経済的にも、自分の時間の使い方としてもまったく異質のものであるだろうなあと、50代の私には想像ができます。

それほど、人生の文脈がかわる結婚や、妊娠出産などは、一人の人が、「自分自身の決心」で決めるには大きすぎる問題なのかもなという気持ちが私はします。

子供がいれば、確かに賑やかでさみしさが少ないのかも知れません。面白い行事も多いのかな。しかしながら反面、自分でコントロールできない事柄に振り回され続けるというハイリスクな人生です。そして子供は自分のものではないので、ある日突然、自分の手から離れます。思い同理にはならないということを徹底的に知り納得せざる終えないのが結婚妊娠出産子育てなのかもしれません。そのなかで修行の様に成長していくのかなと。

そうです、子供というものは、『思い同理にならいことが沢山ある』という事実を飲み込むためにあるような気がします。そしてこれは授かる、授からないということからスタートしているのですね。

子供がいなければ、というイメージが私には正直わきません。ある方が、「心の中にどうしてもさみしさがあって家族(子供)が欲しいんです」と仰っていたのが印象的で、このようなご自身の気持ちの中での風穴なのかもしれませんね。そしてやっぱり、「自分ではコントロールできないできない事柄に振り回される」ということでは同じなのかも知れません。では、もし子供ということを全く考えない人生だったら、まったく発想の違う世界なんだろうなと感じます。人生のテーマ、課題が全く違う道を歩むんだろうなって思います。

人はその人生をいくときに、自分の思い同理にならないことに振り回されながら生きていくのかも知れません。そのなかで、いま、自分が許されていること、与えられていることに気がつき、結果を肯定的に受け止め、自分の人生を慈しみたいです。そうしたことで、自分に許されている全く違うテーマの人生がみえてくるのかもしれません。