不妊夫婦は世の中じゃマイノリティかもしれない。
妊娠反応+後、KLC卒業の9週まではいつダメになってもいいぐらいの覚悟でエコー受けてた。
胎動を感じたあたりから実感ジワジワ。でもいまだに、オッパイふくんでる我が子を見ても夢のよう…。あきらめないで良かった~。でも「あきらめないゾ!」ていう気合いはなかった。
やめたくなったらやめよう。やりたくなったらまたやろう、の繰り返し。自分の気持ちの流れにまかせて、「ヨッシャ! 今月またがんばるゾ」や「もうヤダヤダ。やめてやる~」の日々。仕事もっててよかった。
先生のところでも力が抜けてよかった。
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超高額な趣味のような治療だった。
不妊治療が辛いのは、望んで努力しても結果が得られる可能性が低いから。
なんとか乗り越えられたのは「適当でいいか!」の精神と、仕事という逃げ道と、話を聞いてくれる友達や、ダンナや先生がいたから。アッ、ポチ(犬)の存在も大きかったゾ!
毎回なんとか受精卵ができるのも、スッパリやめられなかった要因だろうな。何だかもったいない気がして…後悔しそうで…。よく妊娠反応がマイナスのとき
「これで何が変わるワケじゃないし、昨日と同じ生活をするだけ。死刑宣告じゃないんだから」
と言いきかせてた。
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不妊がらみでどれほど泣いたことか。
妊娠判定日は当然涙。「やっぱりな…」でも「またか…」でも毎回のように涙してた。
仲の良い友達が不妊治療1回で成功したときも泣けた。
グループ仲間の妊娠を自分だけ知らされなかったとき。
義姉の妊娠を姑が7ヶ月まで黙っていたとき。
知人の男性に不妊であることを「負けだナ」と言われたとき
(男の人、特に年配者は無神経な人多いような…)。
子連れバーベキューに誘われ、行ってみたら案の定一人ポツンとしてしまったとき。
同い年の不妊友達が出産したとたん「早いうちに産んだ方が楽よ」と、
こともあろうに私に向かって言ったとき。
まぁ、気にしなければ涙も出ないんだろうけど。現に、35才を過ぎたあたりから、人の言葉などには泣かなくなったワ。
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不妊夫婦は世の中じゃマイノリティかもしれない。この少数派の経験はモーレツに私の糧になった。いろんな人生、いろんな幸せがあるんだ。それは本人たちの考え方次第なんだと。そして、いろんな生き方を認めるべきだと。
子どもが生まれても、高齢出産なので、子供会やPTAなんかじゃ、またまたマイノリティかも…。でも卑屈にならずにやってくっきゃないさネ。
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800万円くらいかけて授かったヒロシは今、5ヶ月半。オッパイだけでよくも、と思うほどの8kgの堅太り君。寝返りゴロゴロでタマ(猫)が迷惑そうな顔して見てるヨ。
(渡辺ゆかり)
赤ちゃんに出会う旅をなさる方々を見守り続けていきたい
渡辺ゆかりさんの旅は、こうのとりの来訪をみて終わる事ができました。 次の旅は、赤ちゃんとの3人での旅ですね。
このファイルを書いていて、こういった体験談は、赤ちゃんができないと成り立たないのか、というゆかりさんご自身の言葉を思い出します。旅の終わり方は、赤ちゃんを抱いて終わる方もいれば、ご夫婦での新たなる旅への決心で終わる方もいらっしゃいます。いろんな旅の終着点があるのですね。
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どんな終わり方にしろ、この、赤ちゃんをとのめぐり合いを探すたびは、その後の人生に大きな意味をもつ旅なのだと思います。
ご夫婦のあり方を考える旅でもあり、 新しい家族を迎える旅でもあり、 自分自身の、人間としてのありようを考える旅でもある。
私という人間が存在しているのは、ただ、私だけがあるのではなく、連綿とした生命の流れの中にあるのだということ、そして生命のリレーの中に私がいて、夫がいて、子供がいて、当然私にも母がいて、父がいて。母にも母がいて・・・。
大きな生命の流れの中に、私はあるんだというその思いを強く感じさせる旅なのだと思います。
勇気をもって旅に挑戦なさる皆さんに、少しでもよい結論がでるように、そして、旅自体が、辛いだけではなくご自身の人生を深めるものであっていただけたらと、願っております。
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渡辺ゆかりさんの旅は、いま、赤ちゃんがやってきたという結論をえた位置からながめると、辛い思いでも、悲しい思いでも、すべて、あんなこともあったなあという思い出話になっています。しかしながら、旅の途中には結論が見えるわけではなく、そのときどき、どうしたらいいんだろう、どうなっていくんだろうという『迷い』の数々でした。
ご夫婦の迷い旅に、同行していくパートナーとして一緒に泣き笑いをした私です。この旅はどこにいくのか?望むような終着点がくるのかだろうか?ほかの結論にたどり着くのだろうか。私も一緒に迷い悩みました。そして、できることを精一杯というのは、ご夫婦と同じ思いです。
今回のように、旅が長く、こんなに努力しているのに結果が出ないというときには、『どうして?』と、『なにが足りないの?』と、考え込んでしまいます。
誰も答えてくれない、答えることが出来ない、答えを知っているのは誰?と聞いても誰もわからない。
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『でも向井亜紀と同じ、自分とダンナの血を継いだ子がほしいのよ。
会ってみたいのよ、我が子ってやつに。
抱かせたいのよ、我が子をダンナに。』
私には、自分の体験としては『子供が欲しい』という強い気持ちをもったことがありません。 私にとっては、当たり前にいるのが自分の子供だったからです。
我が子という子供に会いたい。この切実な気持ち。
彼女の旅は、私自身にも、あらためて、人生においての子供のいる意味を考えさせてもらう時間となりました。
我が子に会いたいという切実な気持ちに、私がお手伝いをさせていただくことができるということは、なんという有難いことなんだと震えるような気持ちです。
この位置で、皆さんの旅のパートナーを務めることが許されていることにたいして、私は最善の努力をすべきなんだと強く感じています。日々、勉強を重ね、努力を重ねて、赤ちゃんに出会う旅をなさる方々を見守り続けていきたいと思います。
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平成十七年四月二十七日
ビッグママ治療室 よねやまはつき