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知一庵さんの【写真館】より

鬱証


気血が通じ和すれば、百病生じず、ひとつでも結聚すると、六鬱になりま す。

気欝は腹脇が脹満し、刺すように痛んで、のびやかではなくなります。脉状は沈 です。

血鬱は大小便が紅くなり、紫の血を吐き、痛むところは動きません。脉状は数渋 です。

食鬱は噯気【訳注:げっぷ】、呑酸【訳注:すっぱい水があがること】胸腹飽 悶、痛み、不食【訳注:食べたくても食べれないこと】で右の脉状が盛となりま す。

痰鬱は喘満、気急【訳注:呼吸がせわしくなること】、痰で咳き込み胸脇が痛 み、脉状は滑です。

熱鬱は小便赤く渋り、五心【訳注:胸、掌、足の裏】が熱し、口苦く、舌が乾 き、脉状は数です。

湿鬱は身体の節々に痛みが走り回り、陰雨の時期に発病し、脉状は濡です。






膏肓、神道、肝兪、不容、梁門






【訳者私見】

気血が通和せずに、結ぶとき鬱証が発生すると考えています。気血食痰熱湿と。 これは症状からみた分類なんでしょうね。六鬱が並列されていますが、病として浅 いものも深いものも同列で、どうもあまり臨床的観点から出た言葉とは思えませ ん。

膏肓、神道、肝兪までが灸で、不容、梁門はいつものとおり鍼とかんがえていい のでしょうかねえ。


膏肓は虚損病として考えられるときに用いられている感じがしますね。督脉上の 神道をとるのはなぜでしょうか。鬱というときに、心気との関りを考えてのことで しょうかそれとも、反応かな(@_@)?。

肝兪は気欝を取るという発想でしょうか。不容、梁門は上腹部で気欝を払うといういつものパターンかな(@_@)?。

また、痰鬱などの湿痰がからんだ病体のときには、上腹部(季肋部のあたりも含む)に粘ったよ うな欝滞を感じることができます。不容はその欝滞を直接的に払うという意味、そ して梁門は脾胃の気を高めて欝滞を取るという発想かもしれませんねえ。







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