【訳者私見】
健忘や、心臓がびくびくしたり、不安感でびくびくすることに対して、心脾の虚と
するということは、精神のより所が身体であるという考え方に基づいているような
感じがしますね。
膈兪、肝兪、脾兪は胃の六灸でもありますね。胃腸をしっかりさせることが中心
なのでしょう。それに肺兪、腎兪で天地の気を建てています。
鍼の、神門、大陵は各々、神門ー清心安神、心熱を瀉す、補心気。大陵ー清心寧
心、和胃寛胸とあります。精神を落ち着かせるのに使う経穴のようですね。正豊さ
んが鍼でといっているときには、補法でというよりも、熱をもらしたり、その経絡
に気を導くという感じでつかっているのかななどと思います。ここもそんな感じで
すね。三里も、灸にせずに鍼でおこなっているのは、通腑をも考えてのことでしょ
うかねえ、痰の問題の処理が中心なのでしょうねえ。
また上腹部が、いつもの梁門、不容ではなく、上脘、巨闕です。巨闕は心の募
穴ということなのでしょうかねえ。またこのあたりを狙うというのは、痰迷心竅的
なものを開くといった意味合いが中心なのでしょうか。上腹部の気欝も、心脾の虚
が中心であると、少しいつもと違った感じになるのでしょうねえ。上腹部というよ
りも、心下部と考えたほうが、イメージが湧きやすい感じがしますね。