【訳者私見】
痛風と、ここで言われていますが、これは現代医学でいる痛風とイコールではない
と思います。
発想的には、痺証と考えられるものに近く、現代医学でいう慢性関節リウマチのよ
うな範疇もここに入ってくるかもしれません。
こういう古典の病名と、現代の病名をそのまますぐにマッチングしてしまうという
のは、危険であるということを示していると思います。
さて、
ここで扱うのは、全身の骨や関節に痛みが走り注ぐというもの。そして、気血が虚
弱した上に、外感により発症したり、痰という不内外因により、関節に不具合があ
るということですね。
百会、環跳の針は、四肢腰腿経路の風邪をさるという発想ではないかと思いま
す。その上に、肩や腕が痛むときには、肩(骨禺)、曲池という局所を使って対応し
ていくという発想でしょうか。
細かい経穴が出てこないというのは、正豊さんにとって、この痛風がかなり難し
いものであったのではないかとおも思えますね。気血の虚弱や外感、痰などと出し
てくるならば、もう少し経穴も出してもおかしくないのではないかと思うのです。
あるいは、症状が多岐にわたり、また、根治が難しいため、症状のある局所をそ
れぞれに使っていたのかもしれませんねえ。