驚き、肝をつぶし、気を上に取り上げてしまい、気絶したものには、三里、三陰交
に鍼をしなさい。
眠るように、引き入るように気絶したものには、百会、水溝に鍼をすると、気付け
できます。
お腹が痛んで気絶したときには、湧泉に鍼をしなさい。
胸が痛んで、気絶したものには、三里に鍼をしなさい。
気付けには、合谷、中府、労宮、陽谿、みな、鍼をしてよいです。
気付けには、どのようなときにも、神闕、関元に灸を数百壮しなさい。
うなされて死んだものには、両足の拇趾の集毛の中に灸を十五壮しなさい。
またうなされて死んだものや一切の突然死に人中に十五壮灸しなさい。また臍の中に百壮灸しなさい。
【訳者私見】
三里や三陰交を気付けに使う場合は、気がどこかに偏ってしまった場合の気付け
という感じがしますね。上に上がった気をひきおろすときの三里は三里に引きおろ
すという感じ。胸が痛む時の三里も同じでしょうか?また虚実を考えると逆に、神
道、陽池などで気をあつめてということもあるのかしらねえ。
神闕、関元の灸は、身体の中心の陽気をたてるということで、失った気が戻ってく
るより所になるのでしょうかねえ。