月別アーカイブ: 2019年11月

アドラー心理学: 自分は変えられる

アドラー心理学を学び、私の心理学的なアプローチの基礎になっています。
まあ、認定のカウンセラーになろうという気はなく、自分自身の生きる道の道標として
とても納得できるところなので、心の中に置いてあるという感じでしょうか。

私自身は天邪鬼です。そして自分が”協力的ライフスタイル”でありたいなあと
願っています。天邪鬼はなかなか素直に協力的ライフスタイルであることができません。
それでも、人として協力的ライフスタイルをいきたいと願っています。

願っていても、なかなか自分を変えることができないので、ときどき振り返り修正。
何年も長く修正をやっていると少しずつ変わって行けると信じているのです。

少しずつでいいと思っています。
自分の使い勝手のいいライフスタイルを変えることは大変。
だって、長年使いやすく使ってきたんですからね。
ただ、そのライフスタイルで困っていたり、ライフスタイルを変えたいと思ったら
いつでも変えられる。
そう信じています。
私は自分の幸せよりも、自分の周りにいる人の幸せのためにいきたい。
ついつい自分が使いたくないライフスタイルが顔を出しますが、
あ、違うなと感じ、修正。そんなことの繰り返しです。

さて、アドレリアンの野田さんのブログを読んでいたらこんな記事を見つけました

”「神経症的策動 neurotic maneuver」というものがあって、カウンセラーが自分の失敗をうまく言い逃れする技術だ。ある言い回しをすると、言い訳として通用する。どうして言い訳として通用するかというと、世間がそういう言い訳を許容するからだ。たとえば、患者さんが「この症状さえなくなったら、いくらでも働きます」と言うと、ある治療者は「早くよくなるといいですね」などと言って、「そんなことを言っていないで早く働きなさい」などとは言わない。そうして、神経症者は永遠に「この症状さえなくなったら」と言い続け、治療者は永遠に「早くよくなるといいですね」と言い続ける。こうして神経症者は非生産的な生活を続けながら、世間と、さらには自分自身とを、欺き続ける。そこに親などからの経済的援助や、あるいは社会保障がからむと、いわゆる二次的疾病利得が生じて、神経症が主たる収入源になってしまい、患者業はいつまでも商売繁盛することになる。”

人は気づかずこの言い訳を使ってしまい、聞いている方はなんとなく納得させられてしまいます。

患者さん;風邪の症状がいつもでて、身体が熱ぽいので仕事ができないのです

カウンセラー:風邪の症状がよくなるといいですね。そうしたら仕事ができますね

患者さん:はい、風邪の症状さえよくなれば、仕事ができます。私にはいつも風邪の症状があるし、
いつ風邪の症状が出てくるか不安なので、仕事は出来ないのです。

カウンセラー:そうですね。風邪が早くよくなるといいですね。

患者さん:はい、風邪の症状さえなければ働けます。ただ、仕事にいくと風邪を引くのではないかと思うので、職場にもいけません。

この方の「風邪」は、
– [ ] 風邪を引いていれば仕事ができない
– [ ] 仕事にいくと風邪を引くと思うと仕事ができない、
– [ ] 風邪の症状がいつ出てくるか不安で仕事ができない。

つまり、風邪があってもなくても、仕事は出来ないという説明になっています。
問題は”風邪”ではないのですよね。

ですので、この風邪という問題を外して、”仕事”と自分はどう向き合いたいのかを
率直に考えてみなければ、いつまでも「風邪」というアイテムをつかって、
自分自身が仕事とどう向き合うのかというタスクを正面から考えることができなくなっています。
しかしながら、この状況にご自身が不都合を感じているのならば、
変えるときなのです。その時が来ているのです。

このアドラー心理学の考え方はとても厳しい考え方だなと思います。
そして厳しくも、人生を前に押してくれる考え方だと思います。

人生は短い、そして美しい。
私たちに許されている時間を、その美しく短い人生に輝きをもたせて歩んで行けたら
いいなあって思っています。

テマリちゃん、箱が大好きです

テマリ

「自分よりも大事なもの」 漫画家かわぐちかいじさんの記事から

朝のコーヒータイム、ネットをみていて、ふとめにとまりました。

漫画家のかわぐちかいじさんの記事です。

私は彼のマンガはあんまり読んだことはありません(^_^;)、モーニングを
時に買っているので、マンガそのものは目にしておりましたが読み飛ばし。
マンガやアニメって好みの世界だからねえということはさておき、

かわぐちさんのお話しをうかがってて、
仕事人間らしいお話し、そしてがんに向き合ったときに何を思ったのかが
とても素直に語られていて、気持ちにすとんと来るところがありました。

こんな大御所でも「仕事ができなくなるんじゃないか」という不安をもつということ。
つながりの大切さを仕事を休んでいるときに感じ、それを率直な言葉で
語られている。やっぱりそうなんだなーと。

「人生は暇つぶしだというけれど、仕事って最高の暇つぶしだと思う」

これは本当に同意だと思います。
私は趣味を仕事にしちゃった人間です。

人を診るという楽しさ、
人を理解するという面白さを東洋医学を通じて学び、知り楽しんでいます
仕事は楽しい、面白い。
人生を生きるときに一番ステキなパートナーだと思っています。
がんばろっと(^^)

そしてもう一つ、

「そばにいてくれる人間のことのほうが、自分よりも大事なものですよ。」

そうなんだよなー
そうだと納得。
人って当たり前なんだけど支え合って社会でいきています。
一番小さなスケールの社会が夫婦、そして子供を含んだ家族。
小さな社会の充実が大事、そして幸せにもつながるのかなあなんて
思いました。

自分よりも大事なものを大事に。
そしてまた自分もその側にいてくれる人間のために大事なんですねえ。

秋の富士山は綺麗です。
気持ちがひきしまりますねえ。

うちのにゃんこはおいしそうに水を飲んでます。

徳永英明のコンサートに行ってきました。

日曜日、妹と二人で徳永英明のコンサートにいってきました。

特段、彼のファンっていうわけではなかったのですが、
あの有名なボーカリストに魅了されました。
今回はぴあのお薦めででてきて、そのままクリック。
そしたらするっと買えたので二人ででかけてきました。

前半は、あまり知らない曲だったのでゆったり聞いていたら
夢見心地。
本当に、夢の中にいるのか、意識の中にいるのか?
隣の妹には姉ちゃんぐっすり寝てたでしょ(^_^;)と
いわれましたが、気持ちよーく眠れました。

そして後半はおお!徳永らしいあの曲ってのがかかり、
ボーカリストからは2曲。あの日に帰りたいとtime goes by
言葉がしみいってくるような独特な歌声に
なんか切なく胸キュン。
泣きながらちぎった写真なんてないけれど
昔の胸キュンを思い出しました。
いやいや。

あんまり音楽には縁がない私ですが、ときにコンサートにいくと
楽しいです。

実は10年ぐらい前から、毎年紅白歌合戦に往復ハガキを出して応募してます。
今年も当然出しました。
あたれーーーあたれーーー
一生に一度ぐらいはNHKホールで紅白の大晦日を過ごしたいのだ。

 

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食事摂取基準、そのこころを読むー佐々木 敏先生

このところ、「食事摂取基準入門、そのこころを読む」という本を食事ということを知りたくて読んでいました。

やっと読み終わり、プチ感動して朝からもりあがっています(*^^*)

食に関しては色々と言われるところ、ブーム、データなどなどがあります。

食として何がよいのかということは、データーからくるもの、経験からくるもの、そしてその人個人の資質、生活習慣など

様々な要素があって一概には言えません。

私の治療院では、食事生活記録という用紙をかいていただいています。食事や生活指導は基本的にこの紙を書いていただかないと

できないなと思っています。この食事生活記録と体表観察が私の臨床のベースです。

食事記録は「日本人の食事摂取基準」を元に作られた食事の目安となる食事バランスガイドをもとに

サービング数で突き合わせていくことをしています(これはご本人にしていただいています)。この作業によって

ご本人にご自身の食の過不足に気がついていただくことがポイントです。「よい食べ物」を教えていただくのではなく、

自分の生活習慣、そして食習慣の偏り、過不足に気がついていただくことが目標です。

これによって、私の臨床の現場では、食事と睡眠ほど大切なものはないということも

実感します。このことは「食事生活記録と体表観察」の突き合わせから私は考察して行っています。

この本の最後の方の章に、栄養指導の歴史、変遷が少し紹介されています。

ここで明治時代に求められたこと、そして戦後の私たちに求められ、情報提供されたことが記されていて

いまの食事摂取基準ができてきた流れがわかります。

佐々木先生のあとがきに、「栄養学は楽しい学問です。なぜなら、暮らしの中でもっとも大きな楽しみである「食べる」という

行為を通して、人に幸せになってもらうために存在する科学だからです」という言葉にぐっと感動してしまいました。

この本を通じて、栄養学や「よい食」を提案する難しさを痛感しました。ひとつの言葉を出すために

とても丁寧にデーターから出し食事摂取基準があること、その上で個別の過少過大申告の問題もふまえて食を

アドバイスする必要があります。非常に難しく、私にはとても踏み込めませんが、逆に体表観察から

食を変化させたときの状況を知ることはできます。(ただし、鍼灸治療も入ってくるので厳密に食だけの

変化ではありませんが)。

「幸せになって欲しい」これは私の臨床のなかでつねに願っていることです。

そのために、東洋医学の生命観をベースに人を読み解く努力をしています。

ここに栄養学が提唱する「食事摂取基準」に基づいた食と体表観察をベースに「人間を観察、理解」していきたいと

思います。

体表観察から得られた情報と、適切な食事、そして睡眠。

私たちの身体は、私たちの人生を一緒に歩んでいく乗り物です。

乗り物の手入れをして、楽しく人生という道を歩んでいきたいですね。

幸せに、楽しくすごしていけると嬉しいなあって思います。

“>食事摂取基準そのこころを読む

おわりに、に込められた佐々木先生の思いにまたまたちょっと感動です。