英語の音読オタクの米山です(^^ゞ。
音読し、歌を歌うように楽しむ。おもしろいですよー。
さて、今回は

John F. Kennedy
Presidential Inaugural Address
いまから60年ほど前の、ケネディー大統領の就任演説です。
「あなたが国のために何ができるか」を問うてください。
最後の、
And so, my fellow Americans:
ask not what your country can do for you—
ask what you can do for your country.
だからこそ、私の同胞であるアメリカ国民の皆さん、
「国があなたのために何をしてくれるか」を問うのではなく、
「あなたが国のために何ができるか」を問うてください。
有名な一説ですねえ。
そして、胸熱な言葉です。
国があなたに何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが何を出来るのかという言葉は、色々な言葉に置き換えて語られます。
学校があなたに何をしてくれるのかではなく、あなたが学校のために何ができるのか。
学校という場に所属して、クレクレするのではなく、所属することで一緒に学び、貢献できるようにという意図。
これは、オンライン英会話で出会った先生が、ご自身の仕事の中で
生徒に対して思われることだそうです。学びの場に参加しているときの姿勢として大切なのかなと思います。
婚約者があなたに何をしてくれるのではなく、あなたが婚約者に何をしてあげられるのか?
婚活YouTubeをみていて、こんな言葉に出会いました。
婚活は、あたかも相手選び。そのなかで、「よいお相手がいない」という
コメントに対して、その態度だと、お相手との出会いがありませんよ、結婚に結びつけるのが難しいですよというお話の中で出ていたコメントです。
相手に期待するのではなく、相手に何ができるのかを考えるという視点で考えるのがポイントなんですねえ。
さてさて、始めましょう。
John F. Kennedy
Presidential Inaugural Address
ージョン・F・ケネディ大統領 就任演説
1961年1月20日
We observe (観察する)today not a victory of party but a celebration of freedom -symbolizing an end as well as (BだけでなくAも)a beginning—signifying renewal as well as change.
私たちが今日目にしているのは、政党の勝利ではなく、自由の祝典です— それは終わりであると同時に、新たな始まりを象徴するものです—
それは変化であると同時に、刷新を意味するものです。
For I have sworn before you and Almighty God the same solemn oath
our forebears prescribed nearly a century and three quarters ago.
なぜなら私は、皆さんと全能の神の前で、同じ厳粛な誓いを立てたからですそれは、約175年前に私たちの先人たちが定めたものです。
The world is very different now.
今や世界は大きく変わりました。
For man holds in his mortal hands the power
to abolish(撤廃する) all forms of human poverty and all forms of human life.
なぜなら人類は、そのはかない手の中に、力を握っているからですそれは、あらゆる貧困をなくすことも、あらゆる人間の命を絶つこともできる力です。
And yet the same revolutionary beliefs for which our forebears fought are still at issue around the globe—
しかし、私たちの先人たちが戦った同じ革命的な信念は、今もなお世界中で問われています—
the belief that the rights of man(人間の権利) come not from the generosity of the state(国家の寛大さ) but from the hand of God.
それは、「人権は国家の寛容によるものではなく、神の手によって与えられる」という信念です。
ここで、アメリカのスピーチにかならず登場してくる、「God」がつかわれています。このあたり、文化的背景の違いにつながり、根底に流れる価値観のありようを考えるきっかけになりますね。
日本の場合、これほど明瞭に語られることはないかと思います。しかしながら、やはり根底に流れる文化的な価値はあると私は感じます。言語化するのが難しいですけどねえ。このあたりが、心のよりどころにもつながり、「人」が社会で生きていくことを問うているのかなとも思います。