日本初、体外受精の話から。自然と淘汰と:2リスクを感じて

前回のお話し: の続きです。

日本初の体外受精の話、続きです。

前回のお話し:

私が不妊治療のお手伝いをはじめてころは、まだ大学病院が主流でした。
それが、新宿の加藤レディースがダントツの勢いで日本のトップといわれるように
なり、ぐんぐん数が伸びていったのではないかと思います。当時の患者さんも、
地元の東海大学病院での体外受精のほか、新宿の加藤か山王(山王病院)などという迷う話もよくでました。

有名病院の数が限られていたとき、話題に出るのはやはり新宿の加藤レディースでした。
ある方は、『ここで妊娠出来なかったら、と思うと逆に恐くて行けない』とも仰っていて、
ぐっと背中を押した記憶もあります。

このKLCは、当時は今のビルではなく近所の一軒家でした。
当時通っていた患者さんが、入ると待合室のような喫茶店のようなコーナーがあって
時に院長先生がそこで話しかけてきたなどと話していました。

産婦人科のドクター、特に当時のドクターは、色々な意味で『熱い情熱』を持っていらっしゃる方が多かったと思います。
体外受精の費用が高くて、お金がありませんとボロボロの服を着て悲しそうにすると費用を負けてくれた(^0^;)
などという話もちらほら聞こえてきました。ときに、パワハラ?とか一方的な押しつけと思われるような
強引なアドバイスも見受けられ涙する方もいらっしゃいました、逆にその言葉によって奮起した方もいらっしゃり
治療が前に進んだといういこともあるのでしょう。

そんな熱い情熱を持ったドクター達がぐっと押し進めた不妊治療
こんにちでは当たり前の選択肢になり、妊娠を臨む方々には力強い味方であると
思います。

ただ、『生殖』というものは、大きな意味で色々なことがおこります。
個人的には不都合なことであっても、大きな種の一員としては自然な
ありようであることもあります。この自然なありようや淘汰の中にある生殖に
手を入れるという畏れ。忘れていけないですね。