投稿者「ビッグママ治療室」のアーカイブ

背骨の温灸:肩こり・頭痛を和らげよう

背骨の温灸で、肩こり・頭痛を和らげよう

背骨って、私たちの身体を支える屋台骨です。

頭には、目や耳、鼻、口などの感覚器があり、毎日たくさんの情報を受け取っています。

見て、聞いて、感じて、考えて。
一生懸命働いている頭。

情報がいっぱい集まり、処理し続けている頭は、どうしても鬱滞してパンパンになりがちです。

そんな頭を「頭だけ」で考えるのではなく、身体の中のひとつの大切な場所として見てみる。

すると、その頭を支えている首、そして背骨とのつながりが見えてきます。

東洋医学で考える、背骨と督脉

東洋医学では、背骨のラインには「督脉(とくみゃく)」という大切な経脈が通っていると考えます。

督脉は、骨盤のあたりから背骨に沿って上がり、頭のてっぺんにある「百会(ひゃくえ)」へとつながっていきます。

そして身体の前面には「任脉(にんみゃく)」という経脈があります。

背中側の督脉と、お腹側の任脉。
身体には、上へ、下へとつながっていく大きな巡りがあると考えると、イメージしやすいかもしれません。

【写真①:腎と督脉・任脉の関係を描いた図】

三角温灸では、この大切な通り道である背骨、督脉のポイントを中心に、時間をかけてじっくりと温めていきます。

関節の痛みや呼吸器の不調、首や肩の凝りなど、それぞれの症状に対する施術はもちろんあります。

でも、その前提として、背骨を中心に身体全体の気血が巡りやすい状態をつくってあげること。

これはとても大切なことだなあと、私は日々の施術の中で感じています。

頭を支える首の付け根「大椎」

肩こりや頭痛が気になる方をみていると、私が特に大切だと感じる場所があります。

それが、首の付け根にある「大椎(だいつい)」です。

頭痛というと、どうしても「頭」に目がいきます。

でも頭は、身体の中でたくさんの情報を受け取り、処理している場所。

頭だけがぽつんと存在しているわけではありません。

頭へ、そして頭から、気血がすんなりと巡っていくためには、その土台となる首や背中の状態も大切です。

実際に触れてみると、大椎のあたりが冷えていたり、こわばっていたりする方は少なくありません。

首の後ろがぼこっと出っ張っている感じがする方もいらっしゃいます。

そこで大椎を中心に背骨をじっくり温め、さらに背中に並ぶ、臓腑と関わりがあるとされる「背部兪穴(はいぶゆけつ)」も温め、養っていきます。

そして腰、骨盤、下肢へ。

頭だけではなく、身体全体へと巡りをつけていきます。

施術をしていて、「巡る」という言葉の意味を身体で実感していただけるように感じるのは、こんなときです。

首や肩がゆるみ、頭のパンパンとした感じも、すうっとほどけていく。

肩こりや頭の重さ、頭痛が気になる方にも、一度体験していただきたい温灸です。

三角温灸は、こんなふうに行います

三角温灸では、まずうつぶせになっていただきます。

大椎や至陽(しよう・GV9)などをみながら、その方の身体で冷えているところ、詰まりを感じるところを中心に温灸を置いていきます。

【写真②:背骨に三角温灸を置いている施術風景】

さらに、脾兪、胃兪、三焦兪などの背部兪穴や骨盤部など、その方の状態に合わせて鍼や置き鍼をして、そのままゆっくりリラックスタイム。

30分ほどしたら、身体を支える背部兪穴にも、せんねん灸タイプのお灸をしていきます。

そして最後は、お臍に温石をのせて、もうひと休み。

背中を温め、お腹も温める。

身体の中心からじんわりと温まり、巡っていく時間です。

私自身も大好きな「温養補腎(おんようほじん)」の施術です。

棒灸はラブなのか、推しなのか。

先日、「棒灸ラブ」というブログをアップしました。

読んだ方から、

「ラブってのは古い昭和(^^ゞ、いまどきは推しじゃないですか〜」

というご意見をいただきました。

ふむふむ、確かに。

昔は「ラブ」で、好きなものを表現したけど、いまは「推し」ですよね。推し活とか。

うんうん。

昔はラブ&ピースだったけど、いまはイイネサイン。
これもなんとなく「推し」っぽい。

## ☆推しと、ラブの違い

そこで、相棒🦉君に聞いてみました。

相棒🦉君っていうのは、私の彼です。うふふ。

「ねえねえ、ラブと推しって、どう違うの?」

相棒🦉君曰く、

**「ラブ」は、そのもの自体が好き。**

**「推し」は、好きなものを応援したい、人にもすすめたい、もっと知ってほしい、という気持ちや行動まで含んでいる。**

とのこと。

ほぉ〜。

「棒灸ラブ」だったら、

**私は棒灸が好き!**

「棒灸推し」だったら、

**私は棒灸が好き。そして、このよさをもっとみんなに知ってほしい!**

という感じでしょうか。

そう考えると、私がいまやっていることって、かなり「棒灸推し」なんですよね。

ブログに棒灸のことを書く。

講座で棒灸の使い方を紹介する。

「かざすだけじゃなくて、こんな使い方もあるよ」

「こうすると、棒灸のよさがもっと生きるよ」

「ほらほら、棒灸っていいでしょ!」

と、みなさんに言って回っている。

これはもう、立派な**「推し活」**です。

## ☆じゃあ、棒灸ラブは古いのか?

ここまで考えて、

「じゃあ、やっぱり『棒灸ラブ』じゃなくて、『棒灸推し』なのかな?」

と思ったのですが、

いや、ちょっと違う。

私は、棒灸が好きなんです。

自分で使っていて、

「ああ、棒灸っていいなあ」

と思う。

身体にじわーっと熱が入っていく感じも好きだし、棒灸だからこそできるアプローチも好き。

これは誰かにすすめるとか、広めるとかいう以前の話です。

**ただ、好き。**

これが、私の「棒灸ラブ」。

そして、その「ラブ」があるから、

「このよさを知ってほしい」

「こんな使い方があることを伝えたい」

「もっと棒灸を使ってほしい」

となって、ブログを書いたり、講座でお話ししたりする。

こっちが「棒灸推し」、つまり推し活なんですね。

なるほど。

私の中で、やっと整理がつきました。

**ラブは、気持ち。**

**推しは、そのラブが外に向かって動き出した活動。**

だから、

「棒灸ラブ」なのか「棒灸推し」なのか、

どっちかを選ぶ必要はなかった。

**私は棒灸ラブ。
だから、棒灸の推し活をしている。**

これですね。

昭和の「ラブ」は捨てなくてよかった。

むしろ、ラブがあるからこその推し活。

ということで、これからも私は堂々と、

**棒灸ラブ!**

そして、せっせと棒灸の推し活をしていこうと思います。

棒灸で着床からはじまる妊娠初期を乗り越えよう!

 

 

棒灸・ラブ。なぜ私はこんなに棒灸が好きなのか

棒灸について、私の治療院ではちょっと独自のやり方をしています。

……と、いうか。

私は長いこと、自分がやっているこの方法が、棒灸の良さを生かすとてもよいやり方だと思っていました。

それが、どうやらあまりスタンダードなやり方ではないらしい。

そう気がついたのは、ほかの先生方が紹介されている動画を見たり、棒灸の講習会に参加したりしたときでした。

え? 基本は「かざす」だけ???

棒灸を皮膚から少し離してかざし、暖かさを感じてもらう。

あるいは、経絡に沿って動かしていく。

え? 基本はかざすだけ???
え? 暖かさを感じてもらって、線で流すの???

最初に見たとき、私はちょっとびっくりしました。

もちろん、衛気を補うという考え方や、経絡に沿って気を動かすという考え方はわかります。

そして、そういった棒灸の使い方で効果が出ることも、よくわかります。

でも、それでも。

私にはずっと、ひとつ引っかかることがありました。

「一点に効かせる」棒灸

私が棒灸を使うときに大切にしているのは、広い範囲をなんとなく温めることではありません。

まず、一点をしっかり温める。

そして経穴へのアプローチを考えるなら、皮膚表面で得られた暖かさを、その「ほしい一点」に届けるようにしていく。

私は、そこをとても大切にしています。

この使い方をしていると、棒灸って、ただ「温かくて気持ちがいいもの」だけじゃない。

もっと力強く、臨床で使えるものなんじゃないか。

そんなふうに感じる場面が、私には何度もありました。

だから、この使い方を知らないまま「棒灸ってこんなもの」と思ってしまうのは、なんだかとてももったいない。

そんな気持ちが、ずっとありました。

同じやり方をしている人はいないのかな?

そんな疑問もあって、棒灸についての講習会などにも、あれこれ参加してみました。

でも、私がやっているのと同じような方法には、なかなか出会いませんでした。

多くの講習会で紹介されていた、身体の表面から働きかけて気を動かしていく棒灸。

それはそれで、とても大切な世界です。

ただ、私が思う「効かせる棒灸」の世界は、そこからちょっと違うところへ広がっています。

だから私は、棒灸が好き

考えてみれば、私はずいぶん長いこと棒灸を使ってきました。

そして臨床の中で、何度も棒灸に助けてもらいました。

「ここを、なんとかしたい」

そんなときに、棒灸が力強い相棒になってくれたことがあります。

なぜ私は、こんなに棒灸にはまったのか。

なぜ「一点をしっかり温める」ことを、こんなにも大切にしているのか。

そこには、私の臨床の中で忘れられないきっかけがあります。

ちょうど8月31日に、京都で棒灸についてお話しする機会をいただいています。

まずはそこで、私が臨床の中で考えてきた「棒灸・ラブ」を、たっぷりお話ししてこようと思っています。

そして講座が終わったら、このブログでも少しずつ。

棒灸のこと。
お臍のこと。
温めるということ。
そして、なぜ私がこんなにも棒灸を頼りにしているのか。

私の「棒灸ラブ」を、もう少し詳しく語ってみたいと思います。

いま、講座の資料を作っているのですが、ラブラブに燃えてます(^^)

 

解剖学は面白い

解剖学は面白い

「解剖学って面白い。」
そう思ったのは、鍼灸学校の学生だった頃でした。

ただただ「学べること」が楽しくて、毎日学校へ通っていたあの頃。

解剖学、生理学、病理学。

鍼灸学校は国家試験合格を目標とする学校なので、授業は東洋医学だけでなく西洋医学寄りの内容が中心でした。このあたりは、学校や目指すものによってずいぶん印象が違うのかもしれません。

私は「将来こうなりたい」という明確な目標があったわけではありません。ただ、自転車で10分、子どもを二人育てながらでも通える場所だったことがきっかけでした。

でも、そこで待っていたのは学びの宝庫。毎日が本当に楽しかったことを今でも覚えています。

ドストライクだった解剖学

その中でも、私にとって一番面白かったのが解剖学でした。

教科書はほぼ丸暗記状態。特に筋肉、骨、関節が大好きで、筋肉の名前を聞けば起始停止や関節の動きまでスラスラと言えていたほどです。

……今では、その記憶もどこへやら(笑)。
情けないくらい忘れてしまいました。

臨床に出ると見え方が変わる

実際に臨床の現場へ出ると、「知識としての解剖学」は少し遠い存在になりました。

必要なときに本を開いて確認する程度。あれほど覚えていた起始停止も、今では思い出せないことがほとんどです。

美術解剖学との出会い

そんな私ですが、先日ご縁があって「美術解剖学」のセミナーに参加させていただきました。

これは「描く人」のための解剖学。医療のための解剖学とは視点が違い、とても新鮮な世界でした。

骨盤は男女でこんなにも形が違う。筋肉のつき方も違う。

そして、骨盤が少し前傾・後傾するだけで肩の位置が変わり、頭の位置が変わり、腕の位置まで自然と変化していく。

身体は一つひとつが独立しているのではなく、全身がつながり合って動いている。その絶妙なバランスに、人間の身体の美しさを改めて感じました。

「正しい姿勢」だけではない

人間観察という意味でも、大きな学びがありました。

私はもう婆さんなので(笑)、婆さんには婆さんなりの身体の形があります。

いわゆる「正しい姿勢」だけが正解ではなく、その人の生活や積み重ね、その人自身の身体の歴史が、その人らしい姿を作っている。

そんなことを感じた時間でもありました。

歩き方ひとつとっても、男女では筋肉の使い方が違う。

骨盤の傾きひとつで、全身の印象が変わる。

人の身体って、本当によくできていますね。

やっぱり解剖学は面白い

何がそんなに面白いのか、と聞かれると説明は難しいのですが(笑)。

生理学や病理学とは少し違い、「目で見える事実」があり、それが動きとしてつながっている。

だから惹かれるのかもしれません。

世の中には、面白いこと、楽しいことがたくさんあります。

美術解剖学も、その一つ。

いくつになっても「面白い」と思える学びに出会えることは、とても幸せなことですね。

セミナーでは実際にスケッチを描く時間もありました。骨盤の傾きと身体全体のバランスを観察しながら描いた一枚です。

美術解剖学セミナーで描いたスケッチ

セミナー中に描いたスケッチ。骨盤の傾きと全身のバランスを観察しながら描いてみました。

子どもの自立と空の巣症候群

子どもの自立と空の巣症候群

子どもが飛び立ったあとの巣――
「空の巣症候群」なんていう言葉が、むかし流行りましたねえ。

この言葉、なぜ今はあまり使われなくなってきたのでしょうか。
ちょっと考えてみました。

1:「母親前提」の言葉だったから

空の巣症候群は、もともと

・子ども中心の生活
・家庭=母親の主戦場
・子どもが巣立つと「役割を失う」

という、昭和〜平成初期の家族モデルが前提だったそうです。

でも今は、

・共働きが当たり前
・親の生き方は多様で、ここからが老後の蓄え時期
・子ども中心だけが人生じゃない

という価値観が、大きく広がってきたように思います。

「母親は空っぽになるもの」という前提そのものが、
現実と合わなくなってきたんですね。

2:子どもの巣立ちが「危機」だけではなくなった

昔は、

・子どもが家を出る=親の喪失体験

という語られ方が強かったですが、今はむしろ、

・親子関係の再編
・距離ができて楽になる
・新しい関係性の始まり

と、発達的な移行期として捉えられることが増えてきました。

つまり、親と子どもという関係が、
「家族の中の大人同士の関係」になってきた、
そんな感じでしょうかね。

助け、助けられ、喜びや悲しみをより濃く分かち合う。
物理的な距離はあっても、家族という枠の中で、
喜びを分かち合える存在。そんな関係です。

それでも、「子どもの自立・巣立ち」は大きなイベントです。

大学に行くために家を出る。
就職で家を出る。

どちらも、「自立する」「社会と調和して生きる」という
子育ての目標を達成した、家族の次のフェーズなのだと思います。

小さな子どもと一緒に寝ているお母さんは、
夜中でもなんとなく子どもの気配を感じながら眠っています。

ふと目が覚めて、布団をかけ直してあげたり、
ベッドから落ちていないか確認したり。

もし、夜中にふと目覚めたとき、
空っぽのベッドに気づいたら。
その瞬間の寂しさや怖さ、孤独。
切ないですねえ。

子どもの自立、旅立ちは、
どこか恋愛の終わりに似た痛みだなあとも思います。

離れたくない、耐えられない。
そんな思いが一気に浮かぶ。
それでも、自立していく子どもの成長や幸せを願う。

ただ、恋愛と違うのは、親子のつながりは切れない、ということ。

家族の枠はいつまでも家族で、
子どもと私は赤い糸でつながっている。
そんな感覚があります。

最近はそこに、ピヨピヨ軍団がやってきて、
否が応でも「つながっている」と感じざるを得ません。

暢気にお茶を飲んでいたら、
あきこー、デザートは??」と
手元をのぞき込んできます。

はいはい、と返事をしながら、
玄米ポンチャンをひとつかみ。
小皿に入れて渡します。

満足げな笑顔に、私も思わずにっこりです。

子どもの自立のあとにも、
こんな線がつながっていて、
こんな縁が生まれて、
こんな笑顔が見られる。

生きているって、ありがたいことですね。

玄米ポンチャン、美味しいよね。
8袋買ったのに、もうない……。
また買わねば(^^ゞ