米を食べる習慣:栄養の歴史から⑥

白米へのあこがれは、長い歴史があります。お米をつくっても年貢として納めるばかりの時代が長く続いていたわけです。

さて、米食習慣、脚気についてもう少し考えていきましょう。

米は脚気の歴史の中でもでてきますが、あこがれの食材。逆に農耕栽培が難しく天候に左右されやすい植物です。この中でひえや粟などの雑穀は条件が悪くても育つ食物として栽培され食されてきた歴史があります。

また年貢の形で納められる社会的な基盤でもありました。お金じゃなくて米で納めていたんですよね。農民の首相は大麦、ひえ、あわ、イモ類を組み合わせたものでした。

庶民にとって、米食習慣は夢であり、あこがれ。
年貢としての意味、
農耕条件が難しいということ。
脚気の歴史

日本人にとって、米は大事な食物ですね。

さて、もう少し脚気の歴史をのぞいてみます。

脚気はいまではビタミンB1の欠乏症ということがわかっています。
しかしながら、この微量の栄養素を発見するまでは、原因もわからない恐ろしい病気として
怖がられていました。

このなかで、漢方医と西洋医の東洋脚気相撲という出来事があり、世間の注目を浴びることとなりました。しかしながら結果はどちらにも軍配があがりませんでした。

この結果については、様々な記述があり、私には今ひとつよくわかりません。漢方医が伝統的な食事療法で大麦小豆、ひえ、粟を摂取することで回復ともあるのですが、これが下痢を引き起こし心身衰弱ともあります。答えが食事のなかの微量な栄養素にあったため、他の要素が大きすぎるとビタミンB1の摂取による回復よりも、他の薬剤による虚損のほうが大きかったということでしょうかねえ。併用された漢方が瀉下をメインとするものが多かったのも心身衰弱の原因となったようです。

ちなみに、食品中のビタミンB1の含有量は、100グラム当たり玄米で0.41㎎、精白米だと0.08㎎です。かなりの違い。でも確かに玄米は消化は悪いですね。大豆でも茹でたものは0.22㎎、生ならば0.83㎎。うーんでも生では食べられません。

脚気の歴史はとくに軍隊の中で問題となりました富国強兵を目指す軍隊で屈強の若者におこることは深刻な問題です。海軍と陸軍、それぞれの比較があります。平時には麦飯の採用によって脚気は減少しましたが、兵事には白米となり再び脚気が出現。これは白米ならではのモチベーションアップによって選ばれたのでしょうか。