経穴をみる。 合谷というツボ

経穴を見る

先般、自分にとってはまったく分野が違った勉強会に参加してみました。
おお~と驚くことばかりで非常に勉強になりました。

その中に、合谷を見るということがありました。ここで治療側を判断したり、治療結果を判断したりということで、この部位に施術するのではなく、この部位をみるということ。

スジバリや硬結、そしてわからなければ患者さん側に聞けということで取穴するのですが、普段、こういった取穴方法をしていなくて、うーんよくわからんと思いました。で、まあ、自分がこれだと思う方をとり、講師の方に候ったり、患者さんに聞くとまあほぼ全てこれでokとなり、スジバリや硬結は探していないぞと思いつつもこれでいいんだと納得。

ううむ。
で、自分自身に私はどうやって取穴しているのかと問いただしてみました。
私は、指先でみるときに、自分の頭で考えることを手放して、指先の感覚だけを使うようにしています。で、触れてみて、相手の反応、相手から返ってくる感じをみている。見ていると言うよりも待っているという感じかなあ。それでこれだと思うモノを取穴。これって何だ?と思い感じ考えてみると「空」とか、emptyという感じなんですよね。ここを取穴しているんだと。

脈をみていても、経穴をとっていても、名前をつけることは苦手です。
たとえば、脈をみて、んーこれだなと思うわけですが、カルテに書くには名前をつけなければいけない。このネーミングが苦手。手で感じた感覚を名前にするときには頭でするわけで、ここで頭から手に思考がいくので見える範囲が狭まる感じがするわけです。

なにいってんだかっていうよくわからない文章ですが(^^ゞ
見るということは、指先で見ること。指先で感じたことを頭に留めて、施術の前後で変化をみる。ネーミングは不要。

スジバリを探すと言う行為は、頭でスジバリを考え指先で探しているので
私には難しくて探せないんだと思いました。

で、このあたりを整理できたら、なんだかぐっと経穴で見える幅が広がりました。
合谷も、いままであまり使っていなかったんですが、自分が何をしているのかが理解できてちょっと使う幅がでてきました。

参加した勉強会の趣旨からは外れたところなのですが、自分としては非常に大きな意味をもって気がつくことができました。あ、経穴を使うってこんな感じかあと。いやいや今更こんなこと言っている私ってトホホなんですけどね(^^ゞ。