どうして子供が欲しいのか、なぜ孫の顔がみたいのか

どうして子供が欲しいのか、なぜ孫の顔がみたいのか

人は生老病死する存在です。

生まれた瞬間から老いに向かって生きているわけです。

とある方が、
「若い頃は、年を取るのがイヤだったし、死ぬのもイヤだった」

と仰いました。
そりゃそーだと思います。
若いんだから、今の若さの中をずっと生きていたいと思うのは
当たり前のことです。

芸術家として広く活躍なさっているこの方にとっては、
「今を生きる自分」の時間を最大限使って
いまを楽しみたいわけですよね。
それだったら、いま、若い時間がとても貴重で年を取るのもいやだし、
死ぬのもイヤなのはよくわかります。

「そしたらね、孫ができて、孫を世話していたら、年を取ることも
死ぬことも、そうか当たり前のことだってわかって、受け入れられたの」

と、続けて仰いました。

このエピソード
実は私自身に孫が出来る前にはわかりませんでした。
いや、わかるんだけど、実感を伴わない感じでした。
まあ、自分の遺伝子が繋がるんだから
なんとなくそんな感じがするのかなっていう程度。

それが自分も孫ににっこりと笑顔をされたら、
すごく納得できたのです。
すとんと腑に落ちるような感じ。

孫が欲しいとか、
孫の顔がみたいというのは、
色々な欲が混ざった言葉だと思います。

人と比較して自分の所にも孫が欲しいとか、
かわいい生き物をみたいとか。

まあ、もう少し手前の「子供が欲しい」にも、
跡継ぎがほしいとか、
自分が一人で不安だからということもあるでしょう。

ただ、
なんというか、
もっと根源的に、
子供が欲しいとか、
孫の顔がみたいとか、
そんなこともあるのかもしれません。

特に、「子供が欲しい」というのは、
今の社会の中で考えたら、大損(^_^;)です。
経済的にも負担が大きく、
肉体的にも大きな負担です。
夜間労働もスタートです。
また、当たり前ですが、子供は自分の思ったとおりには育ちません!!。

それなのに、子供が欲しい。
どうしてなんでしょうねえ。

そしてまた、自分とはちょっと遠い存在でありながらも
孫が欲しいという感情。

子供が欲しい、
孫が欲しい、
家族が欲しい。
わかるような、わからないような。
上手く言葉には出来ない感じです。