ひとりじゃ寂しいと思って・・・

もう、15年以上前の記事です。

2004年の9月。

このお婆さんは、あるとき体調を悪くされ、出張治療に切り替え、いろんなお話を伺うようになっていました。娘さんが面倒をみてくださるというお話から、だんだんとお家に候う機会もなくなっていました。

数年たったあるとき、気がついたらお家が取り壊され更地になっていました。

そして、あるとき気がついたら新しいお家がたっていました。

お婆さんから頂いたバラが毎年私の庭で咲いています。

「バラらしい色のバラでしょ」といって、挿し芽をしたバラの株をくださいました。

ピンク色のバラらしいバラが毎年咲きます。

読み返した文章。

せつなくて、せつなくて。

まだこの患者さんが、治療院にいらっしゃってくださっていた頃のお話です。

少し加筆をさせていただきながら、もう一度彼女のことを思い出して

書いてみたいと思います。

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2004年の出来事;ビッグママ治療室

”ひとりじゃ寂しいと思って・・・”

今日の午前中の一番最後の患者さん。86歳の一人暮らしの女性です。

いつも治療を受けながら沢山のお話をしてくださいます。

その言葉、芸術家肌のこの患者さんのお話は、
いつ伺っても新鮮で、はっとさせられることが多く、目の前にぱあっと風景が浮かび上がります。

腰が痛いというお話から

『あなたは、まだ若いからわからないわよねえ。50台、60台はそうは思わなかったけど、80をすぎて、あちこちが壊れていく感じがするのよねえ・・。これが老いて死ぬことに近づいていくことだなあって。』

トイレが我慢出来なくなったというお話をさらっと。

「行きたいと思うでしょ、昔はそこからだいぶ時間があったんだけどね、いまはもうすぐなのよ」とケラケラと。明るく仰り、へーそうなんだ年を取るってと妙な納得をした私。

私の夫が、近くのお地蔵さんにお花をあげているという話をすると、

『ほとけさんはね、必ず助けてくれるのよ。お父さんに、これから出かけますから、転ばないように見守ってくださいというと、転びそうになっても、なんとか転ばないですむのよ。なくしものをしても、これから注意しますから教えてくださいっていうと、翌日に
出てくるのよ』

『このところね、寝るときに必ず誰か枕元にいる感じがするのよ。おとうさんとか、子供を抱いた誰かとか。ああ、私が抱いているのかしらねえ。朝、目がさめると誰もいなくて、ああもう先に箱根(ご主人の勤務先)にいったのかななどと思っているうちに、ああ夢だったのかって思うのよ。きっとみんなが、私が一人暮らしだから寂しいと思って出てきてくれるのよね』

 こうやって、さらっと、ご自身の一人暮らしを語れる、強くしなやかな彼女。

歩いて10分ほどのお宅なので、犬ちゃんとの散歩のときに寄ったりしています。そうすると、『慰問に来てくれたのね~』とゆっくりと喜んでくださいます。

私の中にある、一人暮らしの老女のスタイルは彼女なのかもしれません。

彼女のように、さらっと、さらっと自分の老い、寂しさ、思い出と

つきあう。

「二階なんてあがれないわよ、前は物置だったけど、もう行くこともないわね

そうか、年を取ったら二階なんて行くこともない別世界なんだなあと。

「白菜のでるころに、八百屋さんが来てくれて、樽につけてくれるのよ。それで白菜漬けを冬の間食べるの」

「この絵はね、孫が書いてくれたの。芸術大学で織物を学んでいるけど絹は高いわね」

そうなのかー芸術を学ぶってお金がかかるんだなあ。

お花の話しもたくさんしたように思うのに、覚えているのは冒頭にあげた

バラのお話だけ。バラの季節にいつも思い出します。

「一人じゃ寂しいと思って・・」

私が、もし86才の老女になって一人暮らしをしていたら、一人じゃ寂しいと思って誰か出てきてくれるでしょうかねえ。

バラらしい色のバラでしょ。
バラ