東京勉強会で感じたこと ― 一本の鍼と、それぞれの道
昨日は、ちょいと東京まで勉強会に行ってきました。
海外の先生による講座で、通訳の方が入ってくださっていたので進行はゆっくりめ。考える時間がしっかりあって、とても良い時間でした。
ただ同時に、「もう少しダイレクトに英語を聴き取れる力があったらなあ」とも思いました。
うーん、難しい。
よくよく聞いていると、どうも母音の発音が違う。
pain を「パイン」のように発音なさっているようで……なかなか手強いですね。
このところ「結構英語聴き取れるし、いいじゃん♪」なんて少し鼻が高くなっていたので、見事にへし折られました。
あれだけゆっくり話してくださっているのに、聴き取れん!わからん!
体表観察の丁寧さに驚く
さてさて。
今回の実技で特に興味深かったのは、ジェフ先生の体表観察の丁寧さでした。
これまで拝見してきた海外の先生方は、主訴を聞いて取穴部位を決め、その周辺の圧痛を探す観察が中心という印象がありました。
けれどジェフは違いました。
鍼を打とうとする目標部位や関連部位だけを見るのではなく、先生独自の方法で全身を触れ、患者さんの身体全体を理解しようとされていたのです。
その上で取穴される。
理論に基づくものもあれば、理論にとらわれないものもある。
その柔軟さに、少し驚きました。
体表観察のアプローチ自体は自分とは異なります。
けれど「まず全体を把握する」という姿勢があり、その上に理論と実践があるというスタイルに、ぐっと共感しました。
一本の針にたどり着くまで
さらに、先生が歩んでこられたストーリーにも心を打たれました。
先生は「手技」から入り、鍼やお灸、整体的なことをがっつり実践され、心身ともに疲れ果てて1年間休まれたそうです。
そこからバランスメソッドとの出会いがあり、新たな扉が開かれ、最終的に「一本の針」でのアプローチにたどり着いたと。
これまで私は、比較的多くの鍼を用いる強めのドーゼや組み合わせを学ぶことが多かったので、この先生の行き着いた「一本の針で共鳴するような治療」に、美しさを感じました。
資料や理論、考え方は本当にさまざまです。
そして最終的にどんなアプローチになるのかは、その臨床家が歩んできた道の先にあるのかもしれません。
山手線での偶然
そんなことを帰り道に思い巡らせていました。
すると――なんと帰りの山手線で。
隣に座った方が、「中医学は決まったポイントへのアプローチになってしまう」と話していたのです。
思わず、え?え?え?と心の中で叫びました。
私は、中医学の臓腑経絡学を人間理解の道具として体表観察を行い、弁証論治をしています。
心の中では
「いやいや、中医学の臓腑経絡学に基づく弁証論治は、患者さんの過去から現在を理解し、未来への物語を描くための体系立った道具ではないのですか〜!」
と反論したくなりました。
……が、一夜明けてみると少し見方が変わりました。
中医学がどうこうという話ではなく、その先生がベースとしている世界観の中では、臓腑経絡学的な発想が必要ない、ということなのかもしれない。
アプローチも考え方も、たくさんある。
道の歩き方は、人の数ほどある。
その上で、自分はどうありたいのか。
どう鍼灸で貢献できるのか。
改めて問い直す時間になりました。
それにしても、最後の出会いがすごすぎる。
あれだけ人の多い東京で。
一本見送った山手線の、次の電車で。
たまたま鍼灸という狭い世界の先生と隣り合わせに座り、話を聞くことになるなんて。
神様って、面白い出来事を私たちに用意してくださいますね。
なんだか、ほっこりです。
