ありがたみのない鍼の話

先日、ナラティブマガジンを見ていたら、似田敦先生がでていらして、なつかしい~と思いました。免許取り立ての頃、ご縁があって、同じ治療院で働き色々な指導をしていただきました。

もう20年近く(いやそれ以上かな(^^ゞ)似田先生が自分をモデルに鍼してみなさいと仰って下さり、あれこれ。この頃は、まだ整体やカイロを中心とした手技療法家になるんだと思っていた頃で、いきなりそう言いわれて、内心『鍼ですか(^^ゞ』とぐぐっと詰まりながらも、一本の針で、あれこれ打つというやり方をはじめました。

曲池を打ったときに、ご存じの方はご存じの先生があの口調で、『あーありがたみのない鍼ですね~』と冷たく(^^ゞおっしゃられ、以来、私にとっては肘周りの経穴は禁忌になっておりました。まあ、たぶん、20年前のあのときの私には一本たりとも、ありがたみのある鍼は打てていなかったのでしょう。

いや、追加して言えば、このときの体験から、私は『ありがたみのある鍼』は、自分には出来ないとして、違う道にいきました。つまり鍼を響かせたり、鍼自体をそうさするのではなく、鍼はシンプルに置鍼して動かさないというやり方です。このやり方は、鍼の刺激そのものが恐いと感じる私にはぴったりでしたし、患者さんでも刺激の少ないタイプの鍼灸がお好きな方が多いので、ぴったりというところですね。今の私は、ほとんど鍼で手技はしません。ありがたみのない鍼で効かせる。これが私の臨床スタイルです。このおかげで、臨床数も含めて、非常にシンプルに臨床が広がりました。シンプルであるので臨床としての積み重ねがしやすかったのです。

さて、このずーっと禁忌だった曲池ならびに肘周り。最近は開眼です。まあ、よく考えれば稼働のある関節周りは非常に使いやすいところです。

きっかけは、きつい喘息の患者さんで、胸が詰まるようというときに、肺兪、中府と充分な補気をもっていき、どこの末端に引こうかとながめていました。身体の範囲として、とても指先までないなと判断して、普段あまりみない肘まわりを。曲池のちょっと内側、尺沢あたりに、詰まった感じがあったので、これをガツンと温補。すると患者さんが、胸がすうっとして息が入ってきたと。補気してこちらに引いたのか、それとも、肘まで範囲をつけることで動きやすくなったのか(うーん多分、後者だな)。以来、上焦を考えるときに、肘までくわえて動きをつけるということをしています。そういえば、孔最も面白い経穴。この肺経ってのは、なかなか味がありますねえ。