食の情報を知りたい:栄養の歴史から②

②食の近代化と栄養学より  

食の近代化と栄養学という論文があります。非常にわかりやすく私たちの食の歴史を語って下さっていますので、明治以降が中心とはなりますが、この論文に沿って理解を深めていこうと思います。

食の国を中心とした指導ということでは、明治政府がおこなった、「富国強兵」と「殖産興業」との繋がりが深いです。これは制度だけではなく、「富国を保証する国民層の形成」という目的をもって、国民の体位向上を欧米並みにするという目標を立てて進んでいったんですね。ここではポイントが三つ。

1)「肉食の推奨」
2)「米食率の向上」
3)「食品成分表、栄養基準量の公表」

1)「肉食の推奨」

このときまで長らく日本人は肉食を禁忌としていました。
稲作を重視した国家体制で、繰り返し禁令発布をおこない、肉食を禁止してきた日本人にとって、肉食の受容は大きな意識変革でした。

明治天皇が肉食をしたというエピソードからも、肉食の推奨は語られますが、明治政府が旗印にした明治天皇自身は明治維新の時には15歳。それまでは京都御所で女官達に囲まれて生活。化粧、眉そり、お歯黒までしていた天皇生活。それが突然の明治維新で担がれての大転換。明治維新は明治天皇そのもののにとっても大変革だったのでしょう。肉、それもフランス料理を言葉も違う外国人と共にし、日本代表としてもてなしていく時間は目まぐるしく二間が流れていったのでしょう。江戸から明治へ。日本は変わったのですねえ。

2)「米食率の向上」

これは脚気の歴史にもつながります。もう少し掘り下げます。

3)「食品成分表、栄養基準量の公表」

この3)は日本人らしい発展を見せます。食生活の地域格差の比較などをおこない、食事調査、栄養調査の手法や成果は今日の「国民栄養調査」に発展し、世界に類のない貴重なものとして高く評価されているそうです。排卵日を考えることから受胎法(避妊法にもつながりますが)を見つけた荻野久作(オギノ式避妊法)の発見にもつながる日本人の勤勉さと細かさが感じられるデーター集めからの発展ですね。

いまでは日本食品標準成分表2015年版(七訂)が使われています。歴史が重ねられているのですねえ。

神奈川県民おなじみのハングリータイガーのハンバーグです。これも明治政府のおかげ??

タイガーちゃんの絵もありました。うふふ