脚気の歴史:栄養の歴史から③

脚気の歴史、病気の原因を知る難しさ

脚気は古くからある病気です。日本書紀にも記述がありますし、江戸煩いといわれた時期もあります。つまり都会に出て食生活が変わると出現する病という認識です。

明治時代になって、軍隊という集団生活の中で非常に大きな発病をみました。ここから脚気の原因に対する試行錯誤が始まります。

外国の軍隊では脚気が起こりにくいということから、食事を和食から洋食に変えて発生を抑えることに成功した海軍の軍医高木兼寛は食事によって脚気の発生を抑えることに成功しましたが、明治政府が導入したドイツ医学を学んだ石黒忠應や森林太郎らは細菌感染説や中毒説を唱え、長く対立しました。

長い変遷を経て脚気の原因は「ビタミンB欠乏症を主因として起こる」という結論が出ましたが、栄養欠乏症であることにたどり着くまでは長い時間がかかっています。

脚気の症状は、倦怠感、下肢のしびれ感、腓腹筋の痛み、頭重感、食慾不振、便秘、むくみなど。循環器症状として、下肢や顔面のむくみ、頻脈、心臓の肥大、心不全、神経症状として、対照的な可氏症状、運動障害性の多発性神経炎。大きく乾式脚気、湿式脚気にわかれる。

江戸わずらいといわれたころ、大名が江戸にやってきて白米食を食べると疾患に悩まされ、国元に帰ると大部分が短時間のうちにすっかり治ると言うこともわかっていました。

明治時代には脚気が大流行し、結核とともに二代国民病として畏れられていました。

軍隊という、同じ生活、同じ食事の中での大量発生があったために、脚気の研究はぐっとすすみました。
外国の軍隊では脚気がおこりにくいということから、食生活の西洋との比較をおこない、海軍では麦飯によって脚気の発生を抑えることに成功しました。

しかしながら、陸軍においては平時には麦飯を採用するにも、兵事には中枢部からの命令で白米にしていたことから、脚気が流行してしまっています。

栄養学としては、食品の性部分分析から三大栄養素(糖質、脂質、タンパク質)の科学的解明がすすみ、さらに無機成分やそれ以外の成分があることも解明されていきます。ビタミンB1研究には1884年(明治17年)に高木兼廣が脚気の発症に食事が関与することを発見してから、明治43年には鈴木梅太郎が米糠より杭脚気因子を単離、昭和4年エイクマンが杭神経炎ビタミンの発見でノーベル賞、昭和4年ホプキンスが成長促進ビタミンの発見でノーベル賞という流れです。

このビタミンの発見が、「欠乏症」の概念を広く受け入れさせることに繋がっていきました。

微量の栄養素による欠乏が大きな病を招いていたということに気がつき、対処できるまでになるのに、こんなに長い試行錯誤の歴史があることに大きな感慨を持ちました。

病因を探るというのは本当に難しいことなんですねえ。

私は目の前の患者さんを拝見するときに、思い込みを排除し、診たままを理解し、単純に決めつけて評価することがないように、わからないものはわからないとして置いておくという原則的な態度を貫いていこうと心を新たにしました。

Amazonの箱が大好きな月見姫です。かわゆす(^^)