人間の肉体と精神。生きる意思と、肉体という器

人間の肉体と精神。生きる意思と、肉体という器

とある芸術家の方、
ご自身の才能を存分にいかして、
今のコロナの世の中もいきていらっしゃります。

ご自身の突き動かされる情熱を、そのままご自身の才能に

のせて表現する。

そのありように、美しさを思います。

人間を観察していると、人間には二つの部分があると思います。

一つは人間としての生きる意思をもち社会と共に生きている部分。

そしてもう一つは生き物として、食べ、呼吸し、消化し自分の血肉として生きるぶ分。

この芸術家の方は、前者である、

人間としての生きる意思を輝かせ、
その社会的使命や芸術性などを発揮し、
人々を感動させる芸術をつくりあげ、

なにものかに授けられた使命に突き動かされる日々をすごしていらっしゃります。

生命力がその 「人間としての生きる意思」 中心に注がれているのが
よくわかります。

とても美しい、人としての生き様です。

そして人間ですから、当たり前に生き物としての側面もあります。

この生き物としての側面は、ちょっとだけおろそかにされているなと感じます。

あまりにも授けられた才能と生きる意思を中心とした側面が
強いので、ご自分の身体にまわる養いが行き渡らない感じです。

このご年齢ならばこのぐらいという生命の厚みがあります。

しかしながら、皮膚が薄く、底力の不足を感じます。

動物のように、食べ、呼吸し、消化し、
自分の血肉となり日々を生きている部分を充実させる必要があります。

つまり、少し社会的な使命ばかりに行きがちな意識を、
自分自身の中心においてあげることがもう少し必要なのです。

社会の中で生きていく私たちは、
その使命によって導かれ、人生を歩んでいきます。

それはとても美しいのです。

誰かのために生きる。

それもとても美しいし、人間が社会を構成し、

皆で生きていく生き物であると言うことだと思います。

人生を歩むには、入れ物である身体はとても大切です。

自分自身の身体のこともときにいたわり、
かわいがり、ともに私の意思と、私の身体が、

たのしく人生を歩んでいけたらいいなあって思います。

一人の人間として、社会と調和して、明日を生きる。

よい年をお迎えください。

来年は楽しく、自由に羽ばたける年になりますように!

 

写真は昨日、小田原厚木道路からのぞむ富士山です。