なにかにすがりたい、それは人としてあたりまえのこと。

今日は2021年3月11日、55番目の干支戊午です。
日本人にとって3・11は忘れがたい日だと思います。
おのおのの心の中にいつまでも残るあの金曜日ですね。
月は有明、あと2日で朔となり旧暦の1月も終わります。
新暦と旧暦こんなに日数がずれているんですねえ。
旧暦だと1月は29日まで、そして2月は30日まであります。
でも、大の月小の月と呼んでいるのはどうも新暦のよう・・。
このあたりの暦の調整は本当にわかんねーの世界です。
暦というのはあくまでも、『今』を知るために、様々な座標を用いて『今』を共有しようとしたもの。
これに、月の動き、色々な言葉周り(十干十二支とか、五行とか、27宿とか)をめぐらせ、動物や植物でその栄枯盛衰を描いたり、動かないように見える(だって恒星だからね)星座のなかを動くように見える(だって同じ太陽系にあるからね)月や太陽の動きを、自分という今ここに存在するもののストーリーとして語っているのが『占い』なのでしょう。
東洋医学の世界も、五臓六腑というストーリーツールに体表観察や実際の人間を使った効果効能によって表現されています。実効性においてより具現的な世界が東洋医学ではありますが、距離感を見定めると暦の占いと構造的には同じじゃないかと思ってしまいます。ただ、実際のその人に対する観察がない『占い』の世界が、なぜここまでに信じられるのかは、『言葉にすがりたい人間』の存在なのかとも感じます。
なにかに、『すがりたい』それは人のあたりまえの姿なのかもしれません。
人に、
地域に、
家族に、
宗教に、
言葉に・・・・。
人はすがり、すがられ、そして社会を生きていく存在なのかもしれません。
クリスマスローズが庭の片隅に咲いていました。
毎年ひっそりと私の庭の片隅をホッと肩の力がぬける
スペースにしてくれます。
ありがたいことです。