日本初、体外受精の話から。自然と淘汰とリスクを感じて:1

日本初、体外受精の話から。自然と淘汰とリスクを感じて:1

先日、とあるドクターとお話しをしていて、日本初の体外受精の話になりました。
世界で初めての体外受精での出産はイギリス。
ルイーズちゃんという名前でした。記憶のある方も
いらっしゃるでしょう。

そのルイーズちゃんが赤ちゃんを産んだという話もニュースになりましたね。
そんな当たり前のことがニュースになるのかと驚きの気持ちと、
生殖というものに対する恐れも、ああそうなんだなと感じました。

このサイトは日本初の体外受精の話です。

http://www.asyura2.com/12/social9/msg/141.html

1983(昭和58)年10月14日早朝、仙台市の東北大学医学部付属病院で日本初の体外受>精児が生まれた。帝王切開で、体重2544グラム、身長44センチ。

いま34歳になられるのだなと思います。
ルイーズちゃんはその5年前だから39歳。

当たり前に妊娠し、出産してお母さんになる年齢ですね。
日本の国立大学で行われたこの不妊治療は当時大きなニュースになりました。
それは体外受精に対する恐れと、期待と、希望に満ちた大きな
ニュースです。

私には、ママ友がいます。そのママ友と私の子供は現在30歳。つまり
すでに日本では体外受精の技術が導入されていた時代です。
このママ友は、長らく不妊治療をされていました。
そして35歳の時に不妊治療終了宣言を病院側からされ、
泣きはらしたら妊娠したのよと私に語ってくれました。

この彼女が不妊治療をしていたころは体外受精はまだまだ遠い国の技術で
大学病院に通っていた彼女に朗報をもたらしてくれる技術ではなかったわけです。
また、不妊治療そのものが35歳で終了とされていた時代です。
そんなに昔のことではありません。
この認識の差は大きいですね。

2014年の統計では、出生児数の21人にひとりは体外受精での妊娠に
なりました。隔世の感があります。

私が不妊治療のお手伝いをはじめてころは、まだ大学病院が主流でした。
それが、新宿の加藤レディースがダントツの勢いで日本のトップといわれるように
なり、ぐんぐん数が伸びていったのではないかと思います。当時の患者さんも、
地元の東海大学病院での体外受精のほか、新宿の加藤か山王(山王病院)などという迷う話もよくでました。

ずーっと昔、昔。
でも、そんなにむかしではないころの話です

2に続く