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I miss you 寂しいんや

I miss you 寂しいんや

一日の最後はレアジョブでオンライン英会話を楽しんでいます。

これは、英語力をupというよりは、楽しいおしゃべりタイム。
私は同年代のオバちゃまを週に3回、残りは若いイケメン!と決めています。
若いイケメン君との25分は本当に幸せタイム。

いま私の押しはニコ君。
名前の由来はクリストファーロビンとのこと。

昨日、ニコと私の母のことを話していました。

お母さんはなんていうの?というので、頭の中で寂しいという単語が浮かび、
丁度横でお灸を受けていた娘に『寂しいって英語でなんていうの?』

でかい声で聞くと(^_^;)、ニコが

『 I miss you』と。

え?ニコ日本語がわかるの??。

突然、ニコが日本語を英語にサラッと翻訳したので驚きました。
候うと、なにやら、日本のアニメによく出てくると。

へえええーーーそうなんだ。
日本のアニメは世界に広がってますねえ。

 

I miis you の二つのパターン

I miss youは、寂しい、君に会いたいなのですが、

恋愛シチュエーションと友情シチュエーションがあるようですね。

つまり、

・恋人に寂しい会いたいよ〜愛しているよ〜
・親しい友人に、君に会えなくて寂しいよ〜

という場合です。

ニコに、だれかに『I miss you』って言われたらなんて答えるの?と
聞くと、『I miss you too』だと。

じゃあ、彼女に『I miss you』って言われたらなんて答えるの?と
聞くと、『I miss you too』だと。

えーじゃあ、I miss you と I love youは同じ??って聞くと、それは違うと。

なんとなくわかるような気がしてきました。

 

寂しいという感情との付き合い方

寂しいってのは、素朴な人間らしい感情。

寂しいから友達が欲しいし

寂しいから結婚相手が欲しいし、

寂しいから誰かと一緒にいたい。

コロナは私達の寂しいという感情をより明確にしたような気がします。
感染症対策という名の下の、ソーシャルディスタンスは寂しいという感情とは相反するようなもの。

律子は素直なので、寂しい寂しいと言います。

それは誰にでもある、そして私の中にも大きく存在する気持ちです。
寂しい思いを受け止めながらも、心の中にある灯台の灯りを大事にしたいと思います。

I miss you.

I miss you too.

この感情は結局は満たされることはないんだろうけど、とにかく日々をすごしていこう。

婚活市場はすごくシビアだけど、前に進めるコツも満載!

動画アップしました:妊娠と年齢要因

私は、不妊カウンセラーとして妊娠出来ないというご相談にお答えしています。

私はよく、婚活YouTubeをみます。

婚活YouTube

厳しいアドバイス
女性向け婚活

 

婚活YouTubeをみていると、こんなこといっていいのかと思うことがよくあります。

それは、 人間をリアルな、”商品価値” でみているからかなと思います。
ここまで言って良いのか!と思うのですが、婚活ってのが、結局は人間の価値を見定め、マッチングしていくということなのでしょう。

女性蔑視や年齢差別、男女平等などいわれる社会において、これほどまでに価値をドライに割り切るというのは、ううううううむと思ってしまいます。

婚活市場というのは、システマチックになればなるほど、データーとして価値がつきつけられ、非常にドライな現実をつきつける場ですねえ。

これは、結婚という契約には経済状態と子供を持つという要件が重要だからだと思います。恋愛の場ではなく、上記二点を大事にするとどうしてもドライな商品選びになってしまうのでしょうかねえ。

婚活アドバイザーの方は、『現実を知ると怒って婚活をやめてしまう』

と仰っていますが、この怒ってやめてしまうという気持ち、女性としてはよくわかります。だって、ただ年齢だけでこんなに差別されることに我慢ならぬ!というのはあたりまえのことです。
まあ逆に、男性側は年収ということでかなりシビアに差別されるようでこれも同じですねえ。年齢とお金。なんかいってしまえば身も蓋もないことですが、現実なんですねえ。

 

一昔前のお節介な人のいる結婚

結婚って、以前は年齢的に若い頃に、お節介な人が早く早くといい、こんな人はどお?とか、周りの同調圧力(^^ゞから、20代で結婚しなくちゃということで、お見合いなども今から考えれば”早い”段階でおこなわれていたために、婚活と妊活がシビアにつながってしまう年齢でおこなわれることもなかったのでしょうねえ。

いまは、みんなの意識がかわって、結婚を早くしなければという社会的な圧力がなくなっています。それはそれでとてもいいことです。女性でもしっかりと働きたいという希望、自分がやりたいことをしていくという思いはよくわかります。

ただし、それは妊娠という事柄を除けばということなんですよね・・・

一緒に手をつないでいるパートナーがいるのはとても幸せなこと。

結婚に、『妊娠』というテーマをのぞけば、シビアな問題はなくなるのかなと思います。
男女各々の相性と、お互いの考え方や社会情勢で、人生を共に出来るパートナーと巡り会うきっかけになったらいいなあと思います。

そして、不妊治療をなさっている方が、子供が授からないと悩み悲しんでいるのをみると、なんとか一人でも授かりますようにと強く思います。

そして一つ気がついて欲しいなと思うことがあります。それは、二人の子供を授かりたいと願うパートナーがいるということです。巡り会ったパートナーと、いまだかなわないことだとしても、同じ方向を向かっての目標をもち、二人で努力していける。それは幸せな事だと思いますよ。うん、ヨネ婆ちゃんはそう思うよ。

画像の入れ方練習

こんな風にしたら、わかりやすいかしらん??

再挑戦です。

 

 

5月5日のこどもの日 お節句だね。症例を通じた出会いから

最近の私。

この1年半、東京にでかけたのは、不妊カウンセリング学会で講師役をさせていただき、

そのときのオンライン収録で新幹線にのったぐらいです。

あれだけ、毎月あっちこっちに出かけていた日々がウソのようですねえ。

この1年半で、学びの場がzoomを中心とするオンラインにすっかりと切り替わりました。

ぐぐぐいーっっと世界が変わった感じです。

これによって、交通費がかからなくなったことも大きいのですが、

時間の節約がなによりも有り難いです。

自分の机がそのまま勉強会の会場になりますし、

また自分が発信者としても自分の机から日本各地の方々にお話し出来ます。

なんかすごい世界が駆け足でやってきましたねえ。

そして生活そのものは、夫を中心に

子供夫婦や孫、そして自分の母などの家族との暮らしに軸におき、

猫やメダカ、庭の手入れに手を尽くし、ご縁のある檀家寺の日蓮宗

真言宗の教えを大切にし暦を振り月を愛でる生活です。

いままでご縁があり書き上げさせていただいた症例は150件を超え、

症例のOKを頂いているものはもう150件以上あります。

これらご縁を有り難くいただいて、一つ一つ丁寧に人生の物語として

東洋医学的な弁証論治を書き上げ、シェアさせていただこうと思っております。

がんばるぞー(^^)

忙しさにかまけて、日々に追われてそのままになっていた自分とのご縁をしっかりと

受け止め、シェアすることを許していただいた皆様の暖かいお気持ちを大事にすることを

自分の使命と自覚しております。

短く、はかない人生。

あっという間に時間が流れますね。

私はお子さんが欲しいという方に寄り添う臨床を主軸にさせていただいておりますが、

昔は自分と同年代の方の不妊治療だったのに、

あっというまに子供世代、もっと若い世代になっています。

治療でご縁があって生まれたお子さん方は、みな自分の孫のような気がします。

今日は孫の初節句でした。

娘夫婦が結婚式をあげた神社でご祈祷をしていただきました。

小さくて、かわいくて、愛おしくて。

私の人生にこんなご縁があったこと、本当に感謝です。

また、皆様とここでこの場でご縁があることもとてもありがたいなと思っております。

それでは!

Akiko yoneyama

なにかにすがりたい、それは人としてあたりまえのこと。

今日は2021年3月11日、55番目の干支戊午です。
日本人にとって3・11は忘れがたい日だと思います。
おのおのの心の中にいつまでも残るあの金曜日ですね。
月は有明、あと2日で朔となり旧暦の1月も終わります。
新暦と旧暦こんなに日数がずれているんですねえ。
旧暦だと1月は29日まで、そして2月は30日まであります。
でも、大の月小の月と呼んでいるのはどうも新暦のよう・・。
このあたりの暦の調整は本当にわかんねーの世界です。
暦というのはあくまでも、『今』を知るために、様々な座標を用いて『今』を共有しようとしたもの。
これに、月の動き、色々な言葉周り(十干十二支とか、五行とか、27宿とか)をめぐらせ、動物や植物でその栄枯盛衰を描いたり、動かないように見える(だって恒星だからね)星座のなかを動くように見える(だって同じ太陽系にあるからね)月や太陽の動きを、自分という今ここに存在するもののストーリーとして語っているのが『占い』なのでしょう。
東洋医学の世界も、五臓六腑というストーリーツールに体表観察や実際の人間を使った効果効能によって表現されています。実効性においてより具現的な世界が東洋医学ではありますが、距離感を見定めると暦の占いと構造的には同じじゃないかと思ってしまいます。ただ、実際のその人に対する観察がない『占い』の世界が、なぜここまでに信じられるのかは、『言葉にすがりたい人間』の存在なのかとも感じます。
なにかに、『すがりたい』それは人のあたりまえの姿なのかもしれません。
人に、
地域に、
家族に、
宗教に、
言葉に・・・・。
人はすがり、すがられ、そして社会を生きていく存在なのかもしれません。
クリスマスローズが庭の片隅に咲いていました。
毎年ひっそりと私の庭の片隅をホッと肩の力がぬける
スペースにしてくれます。
ありがたいことです。