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『母親になって後悔してる』 親になること、子供をもつこと

NHKのクローズアップ現代で、『母親になって後悔してる』という本を取り上げていました。

“母親にならなければよかった”?女性たちの葛藤 6000人アンケート結果 
https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0029/topic099.html

本 母親

うーん、いろんなお答えがありますよね。
3分の1以上の人が母親にならなければよかったというお答え。多いですよね。
とくに、今子育てが一番忙しく、手がかかり、心身共に大変である上に、
自分がやりたいと思っていたこと、仕事などが中断、犠牲になっていれば、
母親になったことそのものを、後悔するという気持ちであるのも理解出来ます。

☆私は母親になって後悔と言うことを考えたことはない、真面目なお母さんじゃなかったから

私自身は1回もないというお返事です。

でもたぶん、ちゃんと母親をしてこなかったからだろうなあと思います。

私自身の見本である母も、お手本になるような立派な母ってよりも、好き勝手にやっていた
印象ですし、私自身も子供優先ってよりも、自分のやりたいことやってた子育て時代。

☆子供が保育園入学と同時に鍼灸学校に入学。

私は子供が保育園時代に鍼灸学校に入学しました。
当時は、この理由で保育園に入れたんですよね。園契約という形があり、
私は自分が学校に入学すると同時に子供達を保育園に入れることができました。

学校というのは、自分がお金を払って行く場所です。つまりサービスを受ける立場。
自分の都合が悪ければ休めますし、落第しない程度に出席し、
試験を受けて合格さえすればOKです。
たぶん、仕事をしてお給料を頂くという立場よりも非常に気楽だったと思います。
まあ、鍼灸学校の勉強というのは、暗記物が多く、ハードではありました。
国家試験がありますので、幅広く勉強するということで、
予想外に西洋医学の項目も多かったですしね。

自分がやりたいことが明確で、やれる(学校に通学出来る)立場にあり、
子供中心じゃなかったから、一度も母親にならなければよかったという真面目なことを考えるまでもなかったのかなあと思っています。

☆ニキーチンの積み木

そういえば、妊娠中にせっせとニキーチンの積み木というセットに色を塗っていました。

白木の積み木に色を塗る。これが案外楽しい作業。

でも、生まれた後、この積み木でちゃんとニキーチンの考えを実践出来たかって言うとなんもしていないので、

単なる積み木に色をつけるのを自分が楽しんだだけです。
一事が万事こんな感じで、子供のためにという文脈が小さかったような気がします。
だから、後悔するというほど、自己犠牲がなかったかと。

☆私の力になったラジオ:子供と教育電話相談

まあ、そんなオトボケな母親な私の唯一の指針が、当時聞いていたラジオでした。
子供が生まれてから鍼灸学校にいくまで。
私は年子で子供を産んでいます。その子供が赤んぼちゃんで自宅に居た頃の話しです。

当時は子供と一緒に外出するということもなく(まだ赤んぼなので)
私はNHKの子供と教育電話相談という1時間番組を毎日聴いていました。

毎日日替わりでいろんな分野の先生がおかあさんからの悩みに直接回答していました。

平井信義先生の回が一番好きでした。
穏やかな声でお母さんの悩みによりそい、一緒に考えてくださっていました。

心の基地はおかあさんの本、そうか、親子の信頼関係ってそういうことかあと今になってそのタイトルから思いがつながります。

河合洋先生、石川憲彦先生、遠藤豊吉先生などの名前も記憶にあります。

私にとってはこの時の先生の回答が私の子育てや子供との対応の基本となっているような気がします。

この番組はおかあさんの具体的な悩みという事例に直説に現場の先生が答えていて、

さまざまな立場からの専門性を踏まえた答えは、当時の私の子育ての根底になりました。

確か5才の子供が『納豆しか食べない』という拘りの食の相談に

『納豆食べてればOK。一番大切なのは、納豆以外の食材を食べさせるのではなく、
       お母さんと子供が良好な信頼関係にあること』

といった感じで応援していました。

当時の私は、”ふーん、まあ何か食べてて、ちゃんと毎日生きてればOKなんだね、そんなに栄養、栄養って拘わらなくても子供は生きていくんだね”

ってな具合で身勝手で、都合の良い解釈をしていました(^_^;)

いまになると、この先生が仰りたかったことは、”親子関係を悪くしてまで、しかって正しいこととお母さんが思うことをさせなくてもいいんだ。親子の信頼関係がある方が大事なんだよ”

ってなことを伝えたかったんだと思います。

☆子供を病院に連れて行く、いかない問題。

『お母さんの心配を解消するために病院へ連れて行くのではなく、お子さんがその状況で困っているのならば連れて行きましょう』といった回答で、ああそういう風に考えるのねと納得。

まあ、自分にとって都合のよい答えばかりが耳に残っていたと思いますが、私の子育て時代を応援してくれた番組です。

☆アドラー心理学との出会い

その後であったアドラー心理学は、子育てしながら、鍼灸師としての修業時代を過ごす私の子(都合のよい?)支えとなりました。

子育て時代の私は子供に勉強させるというモチベーションがほとんどなく、自分が勉強するってことに追いまくられていたので、子供の課題に私が首を突っ込むこと泣く、子供大好きな夫のおかげでギリギリおかあさんの役割を果たすおかあさんだったと思います。

そして時を経て、いま、おかあさんになりたい、子供を持ちたいと言う人の応援をしていて、経済的にも、肉体的にも負担ばかりの子供という存在を持つ事になぜそこまで?と思いながらも、自分が孫が居る立場になると、子供が人生をともしてくれる灯りであることをやっと気がつけたというところです。

私が子供の存在を、自分の人生に棹さす存在だと感じなかったのは、アドラー的な課題という考えをしていたことも大きいかなと思います。”課題の分理”です。

子供の課題に踏み込むことをあまりよしとせず、それが子育てを気楽なものにしてくれたような気がします。

まあ、私のような自分勝手な人間にはこの論法が子育て放棄につながってしまいガチですが、そこをギリギリ踏みとどまれたのは夫のおかげだし、真面目なお母さんをやってない私を責めなかった当時の学校の先生や、まわりのお母さん方のおかげかと思います。いわゆる親が参加する行事とか、親がやること、結構すっぽかしていましたが、誰も責めなかったし、まあしょーがないわねえってな感じでフォローしてくださっていました。いま考えても脂汗モノです。

☆人生は壮大なひまつぶし?

ひろゆきは、人生は壮大な暇つぶしといっていました。
ホリエモンもそんな感じですねえ。

人生が壮大な暇つぶしであるのならば、その暇つぶしの素材に、種を蒔き、水をやり、肥料を加えその生長を見守るというのもアリなのかもしれません。

その木が自分と関わりがあって、短い時間ながらも一緒に過ごせるのは、楽しからずやってところなのかなと思います。

まあ『こんなはずじゃなかった』と思っても引き返せないのが子供をもつということですけどねえ。昔はそこからの果実を食べるまでがあったんでしょうけど、いまはそこまで期待するのは違うのかなとも思いますし。

暇つぶしな自分の人生、
自分の人生を彩る沢山の方向はあるのでしょう。
どれもこれもと、手を伸ばすことは出来なくても、
なにかきっと人生をともしてくれるあかりはあるのかなって思います。