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CBTを学んで見えた「私の中のアドラー」—東洋医学×心理学の橋渡し

CBTを学んで見えた「私の中のアドラー」—東洋医学×心理学の橋渡し

先日、zoomにて、アドラーをテーマに雑談会をさせていただきました。
私は、あらためて「自分の思考の土台にアドラー心理学がいる」と気づいた振り返りの時間でした。鍼灸の臨床で身体をみる視点と、CBT(認知行動療法)の技法、そしてアドラーの価値軸。その三者を“現場で使える関係”に並べ直す試みです。

この記事のポイント

  • アドラーの二層の目標:行動(自立/社会と調和)を支える心理(自己受容/他者信頼・貢献)。
  • 感情の扱い:アドラーは「感情=道具」。CBTは「出来事・認知・感情・行動を分けて、選択の“隙間”を作る」。
  • 東洋医学の身体観:言葉より体が真実を語る。緊張=“気を張る”は、胃の上向きベクトルなど身体所見にも現れる。

1. 原点の体験:「態度としての共感」を教わった日

最初にアドラーへ扉を開いてくれたのは、岸見一郎さんの講座でした。内容よりも記憶に残ったのは“待つ姿勢”。「あなたの質問に関心があります」という、言葉以前の在り方。ここで私は、自分に相手へ向かう共感の筋力が足りないことを自覚しました。続けて、野田俊作さんの「SMILE/PASSAGE」で実践を重ね、子育て・教育文脈のアドラーを肌で学ぶことに。

2. 『嫌われる勇気』の立ち位置:実践編を“社会”へ広げた本

子育て中心の実践アドラー(縦の賞罰より横の関係)に対し、『嫌われる勇気』は対象を「仕事・交友」へと拡張。土台は同じでも、届く読者と場面が広がりました。核にあるのは次の二層です。

行動面の目標

  • 自立する
  • 社会と調和して生きる

心理面の目標(行動を支える信念)

  • 私は能力がある(自己受容)
  • 人々は私の仲間だ(他者信頼→他者貢献)

この循環が成熟すると、アドラーの核心である共同体感覚に近づいていきます。

3. 感情は“主人公”か“道具”か:アドラーとCBTの交差点

アドラーの見方:感情=目的に資する道具

例:
「イライラ(感情)→コーヒーを飲み過ぎる(手段)→不眠(結果)」
このとき主人公はであり、感情は“使うもの”。「感情の奴隷」にならない=責任と選択を自分に戻す、が基本姿勢。変化への一歩を支える援助が勇気づけ(Encouragement)です。

CBTの見方:出来事・認知・感情・行動を分ける

同じ例でも、CBTは「イライラ(感情)とコーヒー(行動)を分離」して、その間に“選択の隙間”を作ります。自動思考と推論の誤りを点検し、代替思考→代替行動へ。依存的に“感情=行動のワンセット”になっているケースを剥がすのに有効です。

実務的には「両輪」

  • 短期の行動変容:CBTで分けて、隙間を広げる。
  • 長期の価値軸:アドラーで「自己受容/他者信頼・貢献」を育て、選択を支える土台にする。

4. 東洋医学の身体観:言葉より先に、体が語る

臨床では、問診と言葉だけでは届かないことが多々あります。
舌・皮膚・結節・脈・冷え/火照り…身体所見は“いまこの人に起きていること”の一次情報

たとえば緊張が強いと、胃のベクトルは“上突き上げ”に偏り、心窩部(みぞおち)不快として現れる。東洋医学の比喩でいえば、幹(気を張る)ばかりで根(腎)を養えないと、いつかボキっと折れる。だから「鎧を少し下ろす」介入(マインドフルネス、養生、鍼灸)が活きてきます。

5. ケース小話:「イライラ→コーヒー→不眠」をどう変える?

  • 出来事:仕事後にイライラを感じた。
  • 自動思考:「このモヤモヤはコーヒーで流すしかない」
  • 感情・身体:ソワソワ、心窩部の突き上げ、肩のこわばり。

CBTの技法:感情と行動を切り離し、代替を用意(白湯・ストレッチ・5分外気浴・呼吸)。
アドラーの援助:自分が主人公である前提に立ち直り、「今日は“眠れる明日”を選ぶ私」を勇気づける。
東洋医学の養生:夕の冷やしすぎを避け、温養のスープ、足湯、腹部を冷やさない等で“根”に栄養。

6. 親子・教育への応用:縦より横、賞罰より勇気づけ

アドラーは「課題の分離」で境界線を明確にし、支配から援助へ。褒めて従わせるより、自己受容と共同体感覚を育てるほうが長期の自立につながる――これは臨床の患者教育(セルフケア/再発予防)とも相性が良いと感じています。

7. まとめ:鎧を少し下ろして、根を育てる

  • 短期:CBTで「感情と行動の隙間」をつくる。
  • 中長期:アドラーの価値軸(自己受容→他者信頼→他者貢献)で選択を支える。
  • 常に:身体所見を手がかりに、養生と鍼灸で“根”を養う。

人生の運転手は私。道路状況(出来事)に左右されても、ハンドル(選択)を手放さない。そのための道具が、CBT・アドラー・東洋医学の三点セットだと、いまは考えています。

 


編集後記

「感情は道具。でも体は嘘をつかない。」この一句が、当面の私の合言葉。鎧を少しだけ緩めて、根っこを育てるを軸にしていきます。
ではまた〜。

自責と他責と時間ぐすりと:アドラー。 

「なぜ学校に行くのか」目的と原因、自責と他責

ある方との討論で、この「なぜ学校に行くのか」というテーマで考えてみる機会があったので、少し整理してみたいと思います。

問い:なぜ学校に行くのか自責と他責

>「なぜ学校に行くのか?」ということに
>「学ぶため、友達と遊ぶため」と答える場合、これは目的で、
>「親に言われたから」だと、これは原因ということですかね。
>どちらも「理由」として認識されるって感じですか?

誰の責任になる行動なのか、つまり誰の課題かを考えると、学校に行くのは「学校にいく本人」つまり子どもの課題です。
ですので、子どもが自分の課題を引き受けるという決心の上、学ぶため、友達と遊ぶためという目的をもって選んでいるということですね。

そして、親に言われたからっていうのは親に指示されていく私ってことで責任を引き受けていません、つまり他責。

>「なぜ学校に行かないのか?」ということに
「周りの人が怖いから」と答える場合、これは原因を指しているのに対し、

周りの人が怖いから学校にいけないかわいそうな私。
と、すれば他責。

でも、周りの人が怖いから、自分で行かないことを選択したというならば自責でOKですね。

自分での選択から始まる、親子の関係

自分で行かないことを選択ということがポイント。

そうすると、学校に行くという本人が課題を引き受けた上で、親と子が共通の課題にすればOKという文脈です。

ただし、課題の分離が最終ゴールではなく、出発点です。
まず課題の分離をした上で、親は子どもが子育ての目標である
1・私には能力がある、2・人々は私の仲間だと感じているのかなということを考えていきたいですね。

実際に、「子どもが学校に行かない」という状態で、日々を暮らすことは、親にとって本当にストレスフルだと思います。この状態で「学校に行く」のは子どもの課題、「子どもの生活への葛藤する気持ち」が親自身の課題ですね。

自分の課題への向き合い方、共通の課題にするプロセス。
親子関係を考えさせる局面だと思います。

イライラして眠れないかわいそうな私:自責と他責

>・「イライラして眠れないかわいそうな私を維持するためにコーヒーを飲む…」

>>「維持する」が手段で、目的は「かわいそうな私のままでいたい」その方>が自分に利益があると思い込んでいるから

自責と他責を考えるときには、文脈を読む必要があります。

他責で読めば、イライラして眠れない、つまりイライラが私を眠らせてくれないというイライラに責任がある。

コーヒーを飲んだから眠れない。つまりコーヒーのせいで眠れないという他責。

ここを自責で読めば、コーヒーを飲んで眠れないのは、イライラという感情のせいではなく、自分が選んだという自責。だから、解決する方法にコーヒーを飲むのを選ぶのも自分、他の方法を選ぶこともできるよと。

自責は厳しい

自責というのは、とても厳しいですね。
それでも、自分で責任をもつということは、どんな選び方も出来る可能性を語っています。

ある方から、

>短期的利益で条件づけられた習慣は、長期的には不利益をもたらし、本人を苦しめる結果となる

>というイメージを持っていますが、
>アドラーの「勇気づけ」というカウンセリングの場合、このようなケースではど
>のように行うのか・・・を知りたかったのです

この行動を選んでいるのは、自分であり、その選択が自分にとってこまっているのならば、『変えられる』ということだわね。

いつもの決まったパターンで、
仕事がトラブル→イライラ→コーヒーがぶ飲みが、自分にとって便利な方法であると判明すれば、

仕事がトラブル→イライラ→散歩をしてみる

と、行動をかえてみることもあなたは選択で来ますよと。
また、イライラという感情を選択しないこともできますよ。と。

>アドラー流は、具体的な代替行動までコミットするのでしょうか…?

私はコミットしますね。
選んでいるのは自分なんだから、他の方法を選ぼうよって他の方法を一緒に考えます。そう、一緒に考える。相談されたら共通の課題であるのですから、一緒に考えることはできますね。

アドラーが、仲間による助言を是とするのは、認知行動療法で求める新しい認知を見つけるためなのではないかとおもっています。

課題の分離をし、
状況を整理し、

その上で、今までの自分の視点だけでは見つけられなかった
新しい視点での行動を一緒に考える。
認知行動療法の視点と同じであると思いますし、
認知行動療法ではわかりにくい、価値の軸(私には能力がある、人々は私の仲間だ:共同体感覚)をもった生き方になるのかなと考えます。

苦しいときには他責にしたっていいんだよ

アドラーは自責です、選んでいるのは自分。
だから変えられると。

でもね、でもね。
どうしても、いま、この時の苦しさが乗り越えられないとき。
また自分自身にもともと非常に厳しい人にとって、
自分を責めて、何も変えられず、かえって行き詰まってしまうときには、
ときに、他責にして心を日だまりにおいて時間をもらいましょう。

時間薬という言葉があります。

アドラー流派厳しい、どうしても飲み込めないときがありますね。
困窮してしまうときには、
ちょっと時間を貰いましょう。
ちょっとちょっとだけ時間を貰って、ほっとして、頭の大混乱をやすめてみましょう。

第一章 5)勇気づけ

5)勇気づけ

スマイルとパセージの大きな違いの一つに、勇気づけを出してくるタイミングもあります。スマイルは第三章で初めて出てきます。
第一章で子どもの行動を理解しようとし、正の注目負の注目、不適切な行動などを学び、第二章で聞き上手になろうとし、負の注目、罰、聴き上手ということを学び、その上で、第三章で初めて「子どもを勇気づけよう」という観点を学びます。

パセージでは最初から勇気づけがでてきます。
つまり、勇気づけはアドラー子育ての中心であること。そしてこの勇気づけはアドラーの価値である子育ての目標を踏まえれば、技術的な細々としたことより、ぐっと近い立ち位置なのかなと思います。つまり子育ての目標である1・私には能力がある、2・人々は私の仲間だを踏まえることをしっかりし、その表現をあれこれと学んで行くんだよというのがパセージのやり方なのかなと感じます。

勇気づけをはじめよう

1.適切な行動や適切な側面を探そう
2. 短所ではなく、長所に焦点を当てよう
3. 結果よりも、プロセスを重視しよう
4. 子どもの成長を認めよう
5. 他の子どもと比較しないでおこう
6.親子は仲間です。

なぜ勇気づけなのか、勇気づけって何?
勇気づけってなに?

アドラー心理学の子育て方は「勇気づけ」という言葉にあらわされるのではないかと思います。

さて、その前提として、アドラーを踏まえた、行動の目標、つまり子育ての目標をおさえておかなければなりませんね。

アドラーでは子育ての心理的な目標を2つあげています。

子育ての目標(行動面)
1)自立する、2)社会と調和して生きる
子育ての目標(心理面)
1)私は能力がある 2)人々は私の仲間だ

この2つの目標を達せられるように、子供に対して援助していくことが、勇気づけです。

行動面の自立するを達成する心理面のありようは「私には能力がある」という気持ちです。そして社会と調和して生きるためには、人のことを信じることが出来ることが必要で、「人々は私の仲間だ」と思えることが大事です。

人間関係、まず親子からですね。

第一章: -2)どんな場合に不適切な行動をする?

スマイルパセージ復習です。
第一章の子どもを理解するです。
1では、子育ての目標を学びました。
さて、つぎ2,3へと進みます(^^)。


2)どんな場合に子どもは不適切な行動をするか

不適切な行動をする子ども4つ

1)不適切と知らない

2)知っているけど、適切な行動を知らない

3)両方知っているけど、適切をしてもダメと信じている

 (勇気がくじかれている)

4)不適切な行動でのぞむ結果をえている

行動の原因ではなく、目的を考えてみましょう。
たとえば、ケンカしている兄弟。その原因は?と考えますね。
お兄ちゃんが蹴っ飛ばしたから、弟がおもちゃを取ったから。

どちらも原因ですね。

ただ、原因からは解決は生まれません。
目的を聞いてみましょう

弟:お兄ちゃんのもっているおもちゃを使いたかった

兄:このおもちゃで遊びたい。だから貸したくない

行動の目的がわかりましたね。

そこで二人に提案が色々出来ると思います。
ケンカという殴り合いの解決ではなく。
弟に、「お兄ちゃんのもっているおもちゃを貸してってお願いしたら?」と提案

お兄ちゃんには「弟におもちゃを貸してあげたら」と提案。
お兄ちゃんには他に、「一緒に遊んだら?」などなど、さまざまな解決法が浮かびますね。

原因じゃなく、目的を尋ねてみることで、ケンカという暴力によらない解決の糸口がみえるようですね。

 

 

アドラー心理学の難しさ

アドラー心理学の難しさ

 

アドラーが私のベースではあります。
これは、ずーっと昔、子育て時代にであった、アドラーでの講習などがスタートで。
岸見先生の基礎講座がベースです。スマイル、パセージも懐かしい。

  • ・嫌われる勇気
  • ・個人心理学
  • ・課題の分離(スタート)
  • ・共同体感覚(ゴール)
  • ・共同体感覚の3つの要素:自己受容、他者信頼、他者貢献
  • ・共同体感覚に価値を置く
  • ・縦の関係、横の関係
  • ・幸福とは
  • ・嫌われる勇気

アドラーの「嫌われる勇気」は読みやすい本です。

この嫌われる勇気という言葉は、「課題の分離」という出発点に立ち、他者の課題から降りるということで、「自由」を得るということにつながります。

・課題の分離(スタート)

バッサバッサと課題の分離をすることは、初めは抵抗感があるかもしれませんが、慣れると非常に便利で使い勝手のいい概念です。

『だれの課題なのか』ということは、顛末を引き受ける人の課題であるわけですから、顛末に関与しない課題からはおりればいいわけです。

・共同体感覚(ゴール)

この共同体感覚が、アドラー心理学で語るところのゴールです。

自由を選び、他者から嫌われることを恐れず、他者の人生をいきない、自分だけの道を生きる。

その上で、ゴールは『共同体感覚』にあり、三つの要素から成り立ちます。自己受容、他者信頼、他者貢献です。

・問われる価値

この共同体感覚の自己受容、他者信頼、他者貢献は、かなり『価値』を問われる問題だと思います。

・ここで、価値の前提となるのが、縦の関係、横の関係という人間関係です。アドラーでは横の関係を前提としています。親子であっても縦の関係ではなく、共同体を構成する一員としての横の関係です。横の関係があるためには、他者信頼があります。つまり、信頼と懐疑、どちらに価値を置くかということが問われるわけです。信頼とは自分の課題であり、他者がどうであっても無条件で信頼するということで、ここもかなり大きなハードルではあると思います。

・幸福とは

アドラーでのゴール、共同体感覚を前提として、『幸せとは(主観的な)貢献感である』とされ、承認欲求からの解放があり自由があります。

生きている意味の輝きの星として”他者への貢献”をかかげ、自由を選ぶとは他人の課題から降り、自分だけの道を生きるとするアドラー。

課題の分離まではストンと飲み込めても、この共同体感覚は自身の価値の軸を変え置くようなところもあり、なかなか難しい自分自身にとわれる課題だと思います。