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待つ、やめる、やらないも大切な選択:妊活、不妊、不育

ネットのアドバイスは、貴方へのアドバイスじゃないのです。

そして読んだアドバイスは、自分の聞きたいものだけ耳に入ります。

だから、血流が大事と聞くと、血流のために運動しちゃう

ストレスが大敵と聞くと、ストレス発散のために活動しちゃう。

血流もストレスも大事な要素です、でも、どの方向にもっていくかは、
人それぞれなんですよ。

でも、どうしても、耳は聞きたい方向で聞いてしまうものだと、つくづく私は思います。
当然、私の耳も、そうです。

だから、少し俯瞰したものの味方、メタ認知的な視点はとても大切です。

壁にぶつかった貴方の妊活を前に進めるために

CBTレッスン推論の誤り2:過度な一般化

・認知行動療法CBTについて

 

私達の車は、出来事に対して、認知、感情、身体の反応、行動という4つの要素をもち

反応し、人生の道をあゆみます。

このとき、出来事に対して、自分が出来事に対して色眼鏡をかけていると、あまり合理的ではない判断をしてしまうことがあります。

 

感情や行動が、あまり合理的でなく、自分にとって不都合だと思うとき、この状況をかえるための認知行動療法はとても効果的だと思われます。

・推論の誤り

認知行動療法を考えるときには、自分の色眼鏡を知ることが必要です。

この推論の誤りは10個程度有名なものがあります。
ひとつづつ一緒にかんがえていきましょう。

 

一般化のしすぎ 過度の一般化→レッテル張り

 過度の一般化とレッテル貼りを1つのカテゴリーとしている分類もみかけますが、別のカテゴリーとして扱っているところもあります。このあたり、10個と括ってはいますが、案外曖昧な感じですねえ。

 

一般化のしすぎ

「いつも」「みんな」「絶対」などの言葉を使いがち

これは、すごく納得ですね。「みんなそうしてるもん」っていったいどこの「みんな」ですかってきいちゃいます。「いつも」も、「絶対」も、確かによく出てくるキーワードですね。

・ひとつのよくないことで、全てを判断

否定的な出来事がひとつでもあると、全てを否定的に把える。そして全てその先もそうなると思う。

・一つの否定的な出来事を、決して終わることのない失敗の連続 を示すものとして捉えてしまう。      たった一つの出来事で全てを判断してしまうこと。

具体例:
・1度失敗した私はダメだ
・一人の女性と断られたから、どんな女性を誘っても断られると決めつけ
・自分を好きになる人なんて、ひとりもいない
・仕事でもいつも失敗ばかり。今回がダメだ〜今後は全てダメだ
・1度嫌いだと思った相手は全部嫌いだ。
・一人っ子ってコレだからダメだ
・日本人って、人って、男って、B型ってと一般化する

うううむ、書き出していて、自分も言葉の中にこの一般化はつかっているなあと思いました。
一人っ子とか、男っては使っちゃってますねえ。

私の母も夫も一人っ子で、行動がすごく似ているんですよ。
たとえば、目の前にケーキがあると、二人ともまるごとひとつ全部が自分のものに見える。
兄姉のいるひとは、ぱっとそのケーキの上に分割線が見えると思うんですよね。
二人兄姉だったら二つに分ける、三人兄姉だったら3つにわける。
意地悪とか、人に分けたくないという意識なく、ぱっとみると全部が自分のものとあたりまえに思っちゃう人と暮らすと、え?え?と思うシーンは多々あります。
それが母と夫で共通しているので、ついつい、「これだから一人っ子は」と一般化しちゃうのです。いやいや、推論の誤りですねえ。

 

対策としては、

 ☆例外をみつけてみる

 ☆○○全員ではないな

 ☆いつもではないな、

 ☆絶対ではないな

 

などの言葉とともに、一呼吸置いて考えてみましょう。

CBTレッスン推論の誤り1:全か無か思考と完璧主義

・認知行動療法CBTについて

 

私達の車は、出来事に対して、認知、感情、身体の反応、行動という4つの要素をもち

反応し、人生の道をあゆみます。

このとき、出来事に対して、自分が出来事に対して色眼鏡をかけていると、あまり合理的ではない判断をしてしまうことがあります。

 

感情や行動が、あまり合理的でなく、自分にとって不都合だと思うとき、この状況をかえるための認知行動療法はとても効果的だと思われます。

・推論の誤り

認知行動療法を考えるときには、自分の色眼鏡を知ることが必要です。

この推論の誤りは10個程度有名なものがあります。
ひとつづつ一緒にかんがえていきましょう。

 

全か無か思考(白黒思考)

「成功か、失敗か」良いか悪いかの両極端で考え、多くはネガティブな方を選択してしまう色眼鏡。

・100%でなければ、失敗と考えてしまう。

・物事を極端に把える、二者択一的な傾向

・黒か白かという絶対的な二文法で物事を見ている。

現実の世界で100%上手く行く事なんてほとんどないっしょ

 

・現実には100%上手く行くことなどはほとんどないのに、「100%でないと意味がない」と考えてしまう。

・自分のマイナス面だけではなく、他者の些細なミスにも否定的

 

100%うまくいくことなどないのに、なぜめざしてしまうのか、完璧主義者となりやすい思考

 100%上手く行くことを目指してしまう人は、完璧主義となりやすいといわれています。

完璧主義者の方は、そのことに情熱を捧げたいからではなく、ミスをしたり認めてもらえなかったりすることに不安を感じているために頑張るのです。

つまり、やること自体に目標があるのではなく、上手く行かないことが不安だから、怖いからがんばるのです。そして100%上手く行く事なんてあまりないわけですから、達成できないと、深い羞恥心を生じ、気持ちがへたれちゃいます。ぼちぼちでいいんです。

 

→目標が高すぎる→達成できない→ダメだ〜

・1度でもケーキを食べたらダイエットは失敗だ

・完璧に出来ないなら、やる意味がない

完璧主義に走る場合、目標が高すぎるとへたれます。
とにかく、目標は低く(^0^;)。
3日ケーキを食べるのを我慢できたら偉い!ぐらいの目標からスタートで十分ですよ。

 

☆全か無か思考を持つ人は、努力家で働き者であることがほとんど。

成果が出ているときは自信をもって努力できるけど、何かのきっかけで心はおれるものです。

努力家で働き者であることそのことに、充分価値をみいだし、
出来たところまでで充分やったねといきましょう。

ないものに目を向けるのではなく、いま、ご自身がもっているものに目を向けると
もう充分な価値をにぎりしめているのかもしれませんね。

いやねてばっかりだよ

 

認知行動療法と東洋医学で考える病の原因ー三因学説より

東洋医学の世界、肉体と精神、心と身体

 

東洋医学での世界は、まるごと一つの存在である人には心と身体があると考えています。

それは器質と機能に分けて考えることも出来ますし、

この器質と機能を、器質(血)と機能(気)と考えることもできます。

まるごと一つの存在が生きているときに、動きである部分と、モノである部分を考えるということが根底で、その動きとモノを、気血とという言葉を使うことが多いかなと思います。心身という言葉で、心と身体をあらわしますが、東洋医学だと気血かなという感じです。動きと器質と。まあ肉体と精神というほうが素直に納得できますね。

 

病気の原因を考える、三因学説

 

東洋医学で病の原因を考えるときに、三因論、三因学説というのがあります。

内因(七情内傷)、外因(外邪)不内外因とみっつにわけます。

 

内因ー精神の課題:七情内傷

 

内因である七情内緒は、それほど、人の感情は病の大きな原因と考えているわけです。
面白いよね。

 

七情内傷?そんなバカな?と思ったこと

 

私が初めてこの内因としての七情内傷を知ったとき、そんなバカな(^^ゞと思いました。
しなしかがら、精神、メンタルはとても重要な要因であり、五臓をそれぞれ主り、影響されるのが
七情なのですよね。

五臓の概念から五志+2の七情内傷へ

東洋医学はまるごと一つの人間を、五臓という概念を用い、その五臓それぞれに主る五志(怒喜思悲憂恐驚)という感情が外界の変化に影響を受け、舎る臓にも影響を及ぼすといったイメージでかんがえています。

つまり、外からの出来事で、どうにもならない事を思い悩むと脾が傷む。そして脾が弱っていると思い悩みやすい。そして悪循環という感じですね。

外因は外邪、つまりイマドキだと寒邪とか、燥邪とか。直接身体をおかしますね。

 

三因論の面白:飲食不節、働き過ぎは不内外因(内因でも外因でもない)のカテゴリー

 

この三因論の面白いところは、飲食不節(食べ過ぎ、飲み過ぎ)や、働き過ぎを、病因のカテゴリーにいれ、内因でも、外因でもないとしているのです。まあ、不内外因にはこれ以外に、湿痰と瘀血があり、これはこの存在そのものが病の原因となる(イメージはガンとか)と考えていく感じです。

怖いことがあって恐怖によって、腎の臟が痛んだとか、喜びすぎて心が病むとか。まあ、そんなイメージですね。

 

私の描く、東洋医学の人生物語

私は、人を診るときに、この病因論を使うよりも、時系列でその人の状態が、過去から現時点にどの様にたどり着き、こういう状態を呈しているんだと考え、あらま欲しき未来はこうあってほしいし、そのためにはどう言う手段、考え方があるんだってな感じで考えます。

これがCBTとの相性のよさかもしれませんねえ。

アドラー心理学と認知行動療法について思うこと

最近、認知行動療法(CBT)をジムトレーニングのようにトレーニングしながら学んでいます。

私の認知行動療法の目標は?

認知行動療法って、このCBTジムの目標は、人生のパイロットになるということです。

これって、実は自分の鍼灸治療の場でも何度もお伝えしてきたテーマなのです。

自分の身体は自分の車。その大きさ、技量をしって、上手に運転していければいいよねって。

その上で、運転者(パイロット)が周りを見る力によって、見方がかわり、進路が変わりますね。

自分を見る目、

周りを見る目、

しっかりとした運転者(パイロって)になって、楽しく人生をあゆめるといいですね。

 

アドラー心理学と通じる人生の目標

この人生のパイロットになるという目標をおく考え方は、私が以前にも心理療法としてしっかりとワークもして学ばせていただいた、アドラー心理学とも通じるところがあります。

アドラー心理学の場合は、

  「人間の精神生活を研究する上で重要な問いは

         「どこに向かって?」である」としています。

つまり全ての行動にはどこかに向かう目的があるということです。

そして現時点での「ライフスタイル」を分析し、不都合があれば「ライフスタイルを変更」し、その人生の流れを変えようとしています。

 

私が感じる認知行動療法とアドラー心理学の違い

 

認知行動療法の場合は、ここまで行動に注目はしていない感じが現時点ではしています。つまり、事実に対する自分自身のものの見方(色眼鏡)をかえることで、行動がかわっていくということです。

アドラーでいう、ライフスタイルというのは、自分やり方、いつものパターン。このいつものパターンによって自分が困っている状態であれば、このパターンを変更しようとしています。

認知行動療法の場合は、自分の色眼鏡を確認し、意識し、認知をかえることによって、見える世界を変えていこうという感じです。この自分の色眼鏡をかえることは、見えている世界がかわり、感情もかわります。関係性がある相手を変えようとするのではなく、自分自身の見えている世界がかわることで、自分の感情がかわり、行動がかわるということで、社会の色々な場面での応用が聞きそうです。

 

アドラー心理学と子育て

アドラーが子育てに非常に相性がよかったのは(と、私は感じていました)、親子のそれぞれの人生の目的が一致しているのか、一致していないのかを確認することが容易で、親が目的を、誰の課題であるかを問うことによって、結果的に親子の関係性を良くすることができやすいからなのかなと思いました。

 

人生を楽しく生きていくための、身体と心の使い方

私は心理学そのものに深入りするつもりはありません。

しかしながら、自分の身体には、自分の人生を自分の意思(気持ち)と共に歩んでいく車です。人生の自分の車の運転手として、車に振り回されることなく、運転手として乗りこなし、人生を楽しんでいきたいですね。

 

アイキャッチ画像を作ってみました。
うふふ、猫のヒデヨシ君かわゆす

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