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4)身体はいまを生きているー心と身体

毎日、色々な事がおきますねえ。

過去のわだかまり、未来への不安。

身体は今を生きている イラスト

私達が生きているのは今です。
その今を生きていることを認識し、理解するために
私が考える、身体のいまをお話しさせていただこうと思っています。

 

 

今を生きる私達が、一番大事なパートナーとしていかなければならないのは、心です。

感情のコントロール、感情をどう使うか。
これは人生を生きていくときにとても大切なことです。

東洋医学でも五臓に感情を組み合わせて考えています。
なかなか面白いアイディアです。

五臓と感情について

感情は、ベクトル(強さと方向性)を意識して考えると非常にわかりやすいです。
私達の身体は、五臓の関係性をもち、気の昇降出入をおこない、相互的な関係性をもっていきています。

感情はこの臓腑の気の昇降出入に大きな影響を与えます。

ときに破壊をもたらすほどであったり、
生きる勇気のよりどころともなります。

感情について、アドラー心理学では『人が感情を使っている』と考え、感情に身体が支配されるのではなく、ともに生きていくことを提案しています。それほどに感情は人の健康に、そして人生にとって大きく作用する要因です。

感情の臓腑配当

東洋医学では、感情について臓腑を配当し気の方向性を考えています。

しかしながらその臓腑の方向性は、臨床的観点からみて、単純に当てはめることは出来ないと思います。

ただ、五臓の中で、肝は気の昇降出入そのものに大きな影響をもちますので、感情との繋がりが深い臓腑であると考えることが出来ると思われます。

肝ー怒りー上る

心ー喜 ー緩む

脾ー思 ー結ぶ

肺ー憂悲ー消える 弱る

腎ー恐驚ー下がる 乱れる

 

五臓の発想による気の昇降出入(気機)の関係について

全身を5つの観点から考えた五臓の発想による気の昇降出入(気機)の関係性について考察します。

上下の位置にあるものとして

1)肺と肝。 肺気は降り、肝気は昇る。

2)心と腎 これは水と火。腎水はのぼり火を抑制し、心火は下り水を温める。

心と腎は互いに助け合います

3)脾胃 脾は昇り、水穀の精微を輸送。 胃は降を主り水穀の下行を助ける

生命は立ち昇るという生命の勢いを示しています。

身体を上中下と三つの位置から考えたときに、中にあり、全身の気機の枢軸となると考えられているのが脾胃です。前段の心肺の気の下降を助けます

4)一源三岐 衝脈を中心として任、督。臍下丹田からたちのぼり、上焦の華蓋としての肺にぶつかり下降します。

肝のありよう

東洋医学では、病気の原因として三因という三つの原因から考えることがあります。外からの要因である外因。内からの要因としては七情という精神活動のありようが身体に影響すると考えています。それほど精神活動についての身体への影響が強いと考えています。

五臓それぞれが司る精神の有り様が配当されていますが、肝はとくに、喜、怒、憂、思、悲、恐、驚の七種類の情志(感情)の変化とされる七情(☆1 針灸学基礎編131ページより)との関係が深く、この七情は生理的な範疇を超えた場合には臓腑気血の機能失調を引き起こし気の偏在が長期にわたれば疾病の発現因子となると考えられています。

生命は寝ていても、起きていても、常に循環し動いています。この”動き”が気の昇降出入であり、相互の関係性をもった気の昇降出入を主る肝は生命をスムーズに維持していくために重要なものとなります。

肝はとくに、意識的に動かされやすく動きやすいものであり、感情や生きる意思と強い関わりがあります。人間にとって生きる意思と強い関わりのある肝は、”生きていく”ために重要で不可欠な存在です。緊急的な事象がおこったときに生命力を一つに集中させ切り抜けていくこと。また全身の生命力が不足している場合には、肝の生きる意思のテコ入れによって生命力が発動し集中させ乗り切りやすくしています。肝は意思の力で生命力を自在に集中させ、前に押し進めようとする大いなる力になるわけです。そしてこの意識的に動かされやすいということが、特定の臓腑や方向性への持続的な偏りとなり身体への大きな負担ともなります。

健やかな気の昇降出入を保つためにー”今を生きている”ことを意識する瞑想

人間が健やかな身体であるためには、様々な場の設定において気の昇降出入がそれぞれにスムーズであり、相互の関係性としてもスムーズであることが望まれることをいままで述べてきました。特に肝木の身体観(☆2)を理解していくと、健やかな気の昇降出入となるためには、肝気を中心に、感情が偏りなく健やかで伸びやかであることが大切と理解できます。

暝想については、長くなりますので、続きとして章を分けていこうかと思います。

akiko yoneyama

2)身体はいまを生きている、「生きていることは暖かい」

毎日、色々な事がおきますねえ。

過去のわだかまり、未来への不安。

身体は今を生きている イラスト

私達が生きているのは今です。
その今を生きていることを認識し、理解するために
私が考える、身体のいまをお話しさせていただこうと思っています。

 

”身体は今を生きている”  はじめに

 

”生きている”とはどういうことなのでしょうか?

心と体をもって生きている私たちが、
なぜ心によって苦しみ、
ときに体の健康にさえにも影響をもたらしてしまうのでしょうか?。

 この ”生きている” ということについての私の疑問は非常に大きく、東洋医学的な生命観や臓腑の有り様を考える中でいつも中心的な課題となっていました。

 

”生きている” ということは暖かいということだという気づきは、生命にある”陽気”への注目と なりました。自身を暖め養う力を東洋医学的な身体理解の方法である五臓や気の昇降出入という 考えを兼ね合わせて考えることで、”生きている” ことへの理解を深めていきたいと思います。

また心と体をもって ”生きている” 私たちにとって、心を乱すということが、臓腑にどのような 負担になるのか、どのように対応できるのかということを考える中で瞑想にいきあたりました。 気の昇降出入というベクトルで捉えた身体を感情がどのように乱していくのかを考え、この乱れに 対しての対処法としての瞑想の有り様について考えてみたいと思います。

 

 ”生きている” ということ

 

私たちは体と心をもち生きています。 この ”生きている” ということを考えるときに、人間そのものを一括りとして ”生きている” ことを考えることもできますし、人間の身体において様々に括りを変え場の設定をし、その場を よく観察することもできます。

生きているということは、まるごと一つの身体の中で、場の設定をしうるすべてのものが関係 性をもち循環し暖かさをもって生を営んでいるということです。 身体が健やかであるには、この身体にあるすべての括りが関係性をもち循環し、それぞれの場 においても気の昇降出入に従いスムーズな関係性を築くことができていることが望まれます。しか しながら、日々の生命活動のなかで気の昇降出入は、特定の方向性と強さに偏りがでがちです。

偏りは、身体の使い方の癖、また心の有り様や偏り、社会的な活動などによって継続的な偏りや 特定の方向への強い偏りとなることがあります。過度な偏りは病的な異常を引き起こします。健や かな気の昇降出入を保つことが養生となります。

全身を照らす灯りである陽気、心の陽気
全身を温め養う陽気、脾腎の陽気

照らす陽気と、暖める陽気。
この二つの陽気が私達が生きているときにとても大切です。

よりよく観察する:場の設定

人をよりよく観察するためには、場の設定をおこない、どのような場を観察しているのかという ことを明確にする必要があります。

東洋医学では大きく肝心脾肺腎の五臓を代表的な臓として括り、その役割を設定しベクトル(方 向性と強さ)を考え、相互の関係性を考えています。場の設定を気血とし考えることも、陰陽とし 考えることもできます。またもっと小さく部位でくくり、手、耳、足などを場として捉え考えるこ ともできます。人間をよりよく診て観察するにはときには生命としての括りである場の設定が成り 立ち、そこに気の昇降出入があり全体との関係性があればよいわけです。

五臓のそれぞれの特性によって、気の昇降出入のベクトル(方向性と強さ)を考えていますが、 特定の臓腑に特定の方向性だけがあるのではなく、全て臓腑に全ての気の昇降出入のベクトル (方向性と強さ)が存在しており、臓腑に示されている気の昇降出入は、全てあるうちのある特 定の方向性が強い性質をもっているということを示しているにすぎません。

〜〜〜〜解説〜〜〜

 

生きているありよう

 場の設定という言葉がでてきました。

この ”生きている” ということを考えるときに、人間そのものを一括りとして ”生きている” ことを考えることもできますし、人間の身体において様々に括りを変え場の設定をし、その場をよく観察することもできます。

この場の設定をして考えるということは、何を考えているのか、どの状況を考えるのかという生理になりますし、全体の関係性を考えるときにも非常にわかりやすい概念です。

 

この場の設定は、東洋医学的に人を考えるときの非常に大きな課題です。
ここがあいまいだと、いったいなにいってんだかわかんない!という状態になります。

生きているということを考えるときにはまるごと一つの人間として考えていきます。
全身を一つの括りとして場の設定をし、まるごと一つの人間として考えていくわけです。

身体をよくみて、考えるときにはこの場の設定を少しづつ変化させます。
まるごと一つの人間としてみる
五臓のくくりでみる
五臓のなかの一つの臓腑をくくりとしてみる
上中下でみる
陰陽で見る
局所で見る
局所と全体との関係性で見る。
多くの場の設定ができます。

大事なのは、自分がどんな場の設定にしているかという気づきです。

身体が健やかであるには、この身体にあるすべての括りが関係性をもち循環し、それぞれの場においても気の昇降出入に従いスムーズな関係性を築くことができていること、が望まれます。

しかしながら、日々の生命活動のなかで気の昇降出入は、特定の方向性と強さに偏りがでがちです。

偏りは、身体の使い方の癖、また心の有り様や癖、社会的な活動などによって継続的な偏りや特定の方向への強い偏りとなることがあります。過度な偏りは病的な異常を引き起こします。健やかな気の昇降出入を保つことが養生となります。