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2)身体はいまを生きている、「生きていることは暖かい」

毎日、色々な事がおきますねえ。

過去のわだかまり、未来への不安。

身体は今を生きている イラスト

私達が生きているのは今です。
その今を生きていることを認識し、理解するために
私が考える、身体のいまをお話しさせていただこうと思っています。

 

”身体は今を生きている”  はじめに

 

”生きている”とはどういうことなのでしょうか?

心と体をもって生きている私たちが、
なぜ心によって苦しみ、
ときに体の健康にさえにも影響をもたらしてしまうのでしょうか?。

 この ”生きている” ということについての私の疑問は非常に大きく、東洋医学的な生命観や臓腑の有り様を考える中でいつも中心的な課題となっていました。

 

”生きている” ということは暖かいということだという気づきは、生命にある”陽気”への注目と なりました。自身を暖め養う力を東洋医学的な身体理解の方法である五臓や気の昇降出入という 考えを兼ね合わせて考えることで、”生きている” ことへの理解を深めていきたいと思います。

また心と体をもって ”生きている” 私たちにとって、心を乱すということが、臓腑にどのような 負担になるのか、どのように対応できるのかということを考える中で瞑想にいきあたりました。 気の昇降出入というベクトルで捉えた身体を感情がどのように乱していくのかを考え、この乱れに 対しての対処法としての瞑想の有り様について考えてみたいと思います。

 

 ”生きている” ということ

 

私たちは体と心をもち生きています。 この ”生きている” ということを考えるときに、人間そのものを一括りとして ”生きている” ことを考えることもできますし、人間の身体において様々に括りを変え場の設定をし、その場を よく観察することもできます。

生きているということは、まるごと一つの身体の中で、場の設定をしうるすべてのものが関係 性をもち循環し暖かさをもって生を営んでいるということです。 身体が健やかであるには、この身体にあるすべての括りが関係性をもち循環し、それぞれの場 においても気の昇降出入に従いスムーズな関係性を築くことができていることが望まれます。しか しながら、日々の生命活動のなかで気の昇降出入は、特定の方向性と強さに偏りがでがちです。

偏りは、身体の使い方の癖、また心の有り様や偏り、社会的な活動などによって継続的な偏りや 特定の方向への強い偏りとなることがあります。過度な偏りは病的な異常を引き起こします。健や かな気の昇降出入を保つことが養生となります。

全身を照らす灯りである陽気、心の陽気
全身を温め養う陽気、脾腎の陽気

照らす陽気と、暖める陽気。
この二つの陽気が私達が生きているときにとても大切です。

よりよく観察する:場の設定

人をよりよく観察するためには、場の設定をおこない、どのような場を観察しているのかという ことを明確にする必要があります。

東洋医学では大きく肝心脾肺腎の五臓を代表的な臓として括り、その役割を設定しベクトル(方 向性と強さ)を考え、相互の関係性を考えています。場の設定を気血とし考えることも、陰陽とし 考えることもできます。またもっと小さく部位でくくり、手、耳、足などを場として捉え考えるこ ともできます。人間をよりよく診て観察するにはときには生命としての括りである場の設定が成り 立ち、そこに気の昇降出入があり全体との関係性があればよいわけです。

五臓のそれぞれの特性によって、気の昇降出入のベクトル(方向性と強さ)を考えていますが、 特定の臓腑に特定の方向性だけがあるのではなく、全て臓腑に全ての気の昇降出入のベクトル (方向性と強さ)が存在しており、臓腑に示されている気の昇降出入は、全てあるうちのある特 定の方向性が強い性質をもっているということを示しているにすぎません。

〜〜〜〜解説〜〜〜

 

生きているありよう

 場の設定という言葉がでてきました。

この ”生きている” ということを考えるときに、人間そのものを一括りとして ”生きている” ことを考えることもできますし、人間の身体において様々に括りを変え場の設定をし、その場をよく観察することもできます。

この場の設定をして考えるということは、何を考えているのか、どの状況を考えるのかという生理になりますし、全体の関係性を考えるときにも非常にわかりやすい概念です。

 

この場の設定は、東洋医学的に人を考えるときの非常に大きな課題です。
ここがあいまいだと、いったいなにいってんだかわかんない!という状態になります。

生きているということを考えるときにはまるごと一つの人間として考えていきます。
全身を一つの括りとして場の設定をし、まるごと一つの人間として考えていくわけです。

身体をよくみて、考えるときにはこの場の設定を少しづつ変化させます。
まるごと一つの人間としてみる
五臓のくくりでみる
五臓のなかの一つの臓腑をくくりとしてみる
上中下でみる
陰陽で見る
局所で見る
局所と全体との関係性で見る。
多くの場の設定ができます。

大事なのは、自分がどんな場の設定にしているかという気づきです。

身体が健やかであるには、この身体にあるすべての括りが関係性をもち循環し、それぞれの場においても気の昇降出入に従いスムーズな関係性を築くことができていること、が望まれます。

しかしながら、日々の生命活動のなかで気の昇降出入は、特定の方向性と強さに偏りがでがちです。

偏りは、身体の使い方の癖、また心の有り様や癖、社会的な活動などによって継続的な偏りや特定の方向への強い偏りとなることがあります。過度な偏りは病的な異常を引き起こします。健やかな気の昇降出入を保つことが養生となります。