アドラー心理学」カテゴリーアーカイブ

不妊カウンセリング学会養成講座の講師として。

不妊カウンセリング学会養成講座の講師として。

3月に頼まれていた不妊カウンセラー養成講座での講義。
このご時世で延期かなと思っていたらオンラインでの収録、聴衆がいないところでお話しするのって、始めはやりにくいなーと思っていましたが、これはこれで楽しかったですね。

さて、不妊カウンセラー向けの講演ですので、一般の方向けではなく、不妊カウンセラーをめざす方への情報提供や学びの場と言うことです。

不妊カウンセリングというのはとても多岐にわたります。
当院でのご相談で多いものを列記してみました。


不妊治療というのは、人それぞれに抱える問題が違います。
なかなか相談する相手が見つからないのかなと思う課題も多いですね。また病院での治療のことはその施設の不妊カウンセラーに相談するのもよいと思いますし、また逆にその施設ではない他の目をもった不妊カウンセラーに相談するのもよいと思います。

とにかく、息詰まってしまう前にご相談いただければと思います。一緒に考えましょうね。

アドラー心理学: 自分は変えられる

アドラー心理学を学び、私の心理学的なアプローチの基礎になっています。
まあ、認定のカウンセラーになろうという気はなく、自分自身の生きる道の道標として
とても納得できるところなので、心の中に置いてあるという感じでしょうか。

私自身は天邪鬼です。そして自分が”協力的ライフスタイル”でありたいなあと
願っています。天邪鬼はなかなか素直に協力的ライフスタイルであることができません。
それでも、人として協力的ライフスタイルをいきたいと願っています。

願っていても、なかなか自分を変えることができないので、ときどき振り返り修正。
何年も長く修正をやっていると少しずつ変わって行けると信じているのです。

少しずつでいいと思っています。
自分の使い勝手のいいライフスタイルを変えることは大変。
だって、長年使いやすく使ってきたんですからね。
ただ、そのライフスタイルで困っていたり、ライフスタイルを変えたいと思ったら
いつでも変えられる。
そう信じています。
私は自分の幸せよりも、自分の周りにいる人の幸せのためにいきたい。
ついつい自分が使いたくないライフスタイルが顔を出しますが、
あ、違うなと感じ、修正。そんなことの繰り返しです。

さて、アドレリアンの野田さんのブログを読んでいたらこんな記事を見つけました

”「神経症的策動 neurotic maneuver」というものがあって、カウンセラーが自分の失敗をうまく言い逃れする技術だ。ある言い回しをすると、言い訳として通用する。どうして言い訳として通用するかというと、世間がそういう言い訳を許容するからだ。たとえば、患者さんが「この症状さえなくなったら、いくらでも働きます」と言うと、ある治療者は「早くよくなるといいですね」などと言って、「そんなことを言っていないで早く働きなさい」などとは言わない。そうして、神経症者は永遠に「この症状さえなくなったら」と言い続け、治療者は永遠に「早くよくなるといいですね」と言い続ける。こうして神経症者は非生産的な生活を続けながら、世間と、さらには自分自身とを、欺き続ける。そこに親などからの経済的援助や、あるいは社会保障がからむと、いわゆる二次的疾病利得が生じて、神経症が主たる収入源になってしまい、患者業はいつまでも商売繁盛することになる。”

人は気づかずこの言い訳を使ってしまい、聞いている方はなんとなく納得させられてしまいます。

患者さん;風邪の症状がいつもでて、身体が熱ぽいので仕事ができないのです

カウンセラー:風邪の症状がよくなるといいですね。そうしたら仕事ができますね

患者さん:はい、風邪の症状さえよくなれば、仕事ができます。私にはいつも風邪の症状があるし、
いつ風邪の症状が出てくるか不安なので、仕事は出来ないのです。

カウンセラー:そうですね。風邪が早くよくなるといいですね。

患者さん:はい、風邪の症状さえなければ働けます。ただ、仕事にいくと風邪を引くのではないかと思うので、職場にもいけません。

この方の「風邪」は、
– [ ] 風邪を引いていれば仕事ができない
– [ ] 仕事にいくと風邪を引くと思うと仕事ができない、
– [ ] 風邪の症状がいつ出てくるか不安で仕事ができない。

つまり、風邪があってもなくても、仕事は出来ないという説明になっています。
問題は”風邪”ではないのですよね。

ですので、この風邪という問題を外して、”仕事”と自分はどう向き合いたいのかを
率直に考えてみなければ、いつまでも「風邪」というアイテムをつかって、
自分自身が仕事とどう向き合うのかというタスクを正面から考えることができなくなっています。
しかしながら、この状況にご自身が不都合を感じているのならば、
変えるときなのです。その時が来ているのです。

このアドラー心理学の考え方はとても厳しい考え方だなと思います。
そして厳しくも、人生を前に押してくれる考え方だと思います。

人生は短い、そして美しい。
私たちに許されている時間を、その美しく短い人生に輝きをもたせて歩んで行けたら
いいなあって思っています。

テマリちゃん、箱が大好きです

テマリ

幸せになって欲しい

幸せになって欲しい

初診にお話しを伺うと、とーーーっても幅広いお話になることがあります。

お困りのことは、ただ身体のことだけではなくて

ご主人との人間関係だったり、

経済的なことだったり、

友達とのこと

仕事の悩み

家族の心配

沢山のお困りのことがあって、それが抱えきれずにいることで

悩みとなり、心身に影響していることも多くあります。

私は、「幸せになって欲しい」といつも願っています。

幸せになって欲しい。

だから、別に鍼灸治療をすることが私が患者さんとのつながりではないと思います。

鍼灸を通じて、

お話しをして、

悩みを伺って、

一緒に考えて、

解決をさぐったり、

少しでも負担が軽くなる方法をみつけていきます。

この1年で多いなと思ったのは、

入籍しないカップルのご相談。

「彼から、「別にいいよね」って言われて、なんとなく

入籍って言い出せないんです。」と。

確かに、二人が一緒に暮らすと言うことがベースですから

入籍しなくても「別にいい」のでしょう。

でも、この方の不安は、「未入籍の関係」がもたらす不安です。

それだったら、

それが原因だったら

別にいいんだったら入籍したらとアドバイスをしちゃいます。

私はお節介なおばさんだから、いっちゃうのです。

そして勇気を出して結婚、入籍へ踏み出した方が何人かいらっしゃります。

そしてまた逆に、「おれは自分のお金はすべて自分の趣味に使いたい」と

宣言を受け、「あ、この人とはこれから先一緒に人生を歩いて行くことが出来ない」と

気がついた方もいらっしゃります。

不妊治療でも、どうしても前に踏み出せないこともあります。

そんなときは一緒に考え、選択を後押ししたりもします。

幸せになって欲しい

それが私の願いなんです。

保護猫テマリも幸せかな(^^)

【Language】
English:I want you to be happy

心配は親の課題、だね(^^)

子供の治療 

さて、私は子供の治療は、独特な世界があるのでメインとはしていません。
ですので、こーーーっそりとして公表はしていないのですが、案外持ち込まれるご相談。
来てくださるということは神様が修行をせよということなのね、ありがたいことです(^^ゞ。

ところで、子供の治療でよくあるのは、子供は困っていないけど、お母さんが心配だからというもの。

まあ、確かに子供をしっかりと見守るのは親の役目。そのなかで気になることがあればフォローしてあげるのも
親の役目ではあります。でも、その状態でお子さんが本当に困っているのかは見極める必要あり!!

子供が困っていないけど、親としては不安心配。
そうなると、心配は親の課題だぞ!!ってことになります。

ご自身の課題を子供におっかぶせてはいけませんってのが私の思う原則。
だから、はじめに親御さんから受療目的は伺いますが、お困りごとは直接お子さんから候います。

さて、
先日は、ちゃんとしっかりしている小学校4年生。
お母さんのオーダーは「緊張して肩がこって喉が詰まっている感じ」

お子さんに候いました「治療受けたい?」「うん!!」。

それではどーぞどーぞで施術開始。
「何か困ってることある?」そうすると、ご機嫌良くきっぱりと「ないです!」。

おかあさんからみると、喉が詰まって肩がこって、緊張して見えるけど、子供は困ってないと。
そしたらもう会話はあれこれと楽しいことや面白いこと、ゲームのことをペラペラ話しながら、
するすると手の赴くままにやっていきます。

左右の手の甲をみて、右の手臨泣のつまりと、同側みぎ臨泣のつまりをとりちょいとクリクリ。
おへそをみて、上に引っ張られているのを確認。
上背部、背部とみて、緩み陥凹を取穴して軽く温灸してお休みタイム。
最後におへそを確認。軽く気海に温灸しておしまい。

上背部の細絡、おへその上向き、少陽経のつまりなどまあ確かに上焦の軽い鬱滞を中心とする気逆とそれを支える中焦下焦の弱さを調整して、ご自宅ではその中焦下焦の弱さに対してのアプローチをお願いしておきました。

怒は命の発露なのか、東洋医学で考える肝について

東洋医学では、五臓という概念を使っています。
肝心脾肺腎の5つ。その中で肝はとても面白い臓腑です

今回は、生きていることは「動いていること」だという観点から考えてみました。

まるごと一つの人間である私。
指先にまで血液が行き届き、神経が行き届き、生きています。
行き届くことがあり、細胞の一つ一つが新陳代謝をおこなっているため、
命が届いて生きています。

動くことがなくなったら、生きていません。
だから動きがとまると、非常事態、そこに怒りという強い感情が出現して、
危険を回避します。

怒は人間に組み込まれた自然な生きる欲求なのかもしれませんねえ。

その欲求と上手に二人三脚して、人生を豊かにすごしていきたいなあと思います。

さて、考察です。

肝に対する考察

生きていると言うことは、動いているということ。細胞一つ一つも生きていれば動いている。

動いているというのは、代謝して命があるということ。
代謝して命があるということは、血流があることだし、神経も届いているといういこと。

まるごと一つの命の中に、沢山のネットワークがあり、それがつながり、動いていることで生きている。その動いている動きということに、「肝」が大きく関わっている。

動き、動いているということには、①命として当たり前に無意識的に組み込まれているレベル(新陳代謝と言われるレベル)から、②便意、食欲といった、身体の声というレベル、そして③人生を意思を持って生きるというレベルまで様々ある。

肝気がストレスなどとつながりやすく問題となりやすいのは、この①、②、③のレベルの動きが、同時に影響をうけてしまうから。その過剰によっても、不足によっても、「動き」が止まったり、動けなくなったりする。

生きていることは、動いていること。動きが止まることは苦しい。そこに怒りが生まれる。だって生きていられないから。怒りは生きていることに直結する危険信号のような関上なのでコントロールも難しいし、一番コントロールのしがいがあるところ。怒はただのイヤな感情ではない。

写真は京都タワーからみた京都の町、ミニチュアモードです。