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その2)ルーズベルトの就任演説の時代、日本はどこへ向かったのか

1933年──同じ時代、日本はどこへ向かっていたのか

同じ1933年。アメリカが「内側から社会を再生する」道を選んだ一方で、日本はまったく逆の方向へ歩き始めていました。

■ 国際連盟脱退(1933年2月24日)

満州事変をめぐる国際的な批判に反発し、日本は国際連盟を離脱しました。これは国際社会との決定的な決裂であり、“世界の中の日本”という立ち位置が大きく変わった瞬間でした。

■ 軍部の急速な台頭

1930年代初頭の日本も不況に苦しみ、国内の不安が高まっていました。その中で、政党政治が弱体化し、軍部の政治への影響力が急速に強まりました。

軍部は満州での既成事実を積み重ね、政府はそれを追認せざるを得ない状況になっていきます。

■ 熱河作戦(1933年)

満州事変からの軍事行動がさらに拡大し、熱河作戦は“後戻りできない段階”の象徴的な出来事でした。

■ アメリカと日本:同じ危機でも選んだ道は正反対

テーマ アメリカ(FDR) 日本(昭和8年)
経済 大恐慌の最悪期 不況・農村困窮
政治 政府が立て直しへ(ニューディール) 軍部の発言力が急上昇
国際関係 内政に集中 国際連盟脱退で孤立
象徴 ダム建設(TVA) 満州拡大・熱河作戦

同じ“危機の時代”でも、国家が選ぶ方向性で未来はまったく違うものになる――1933年はその分岐点だったと言えます。

アメリカは「恐怖に飲まれない」選択をし、内側の改革へ向かいました。
日本は「外へ向かう」力を止められず、戦争への坂道を下り始めていました。

ルーズベルト演説を読むと、この対比が鮮やかに浮かび上がってきます。

 

日本は、軍部が暴走し、どんどん止められない深みに突き進んでしまったんですねえ。

その1):1933年──ルーズベルトの演説の向こう側で、アメリカは何を選んだのか

スピーチ音読オタクのあきこです。
ちょっと読んでいた、1933年のルーズベルト就任演説、心に引っかかったので、まとめてみました。日経平均が爆上がりのいま、万が一に恐慌に備えておいても良いのかも知れない時代。
考えてみましょう。

1933年──ルーズベルトの演説の向こう側で、アメリカは何を選んだのか

1933年。フランクリン・ルーズベルトがアメリカ大統領に就任した年であり、歴史に残る就任演説を行った年です。

当時のアメリカは大恐慌の真っただ中でした。

  • 失業率25%
  • 9,000の銀行が倒産
  • 農村の疲弊
  • 国中に広がる「明日が見えない」空気

その中でルーズベルトは冒頭でこう語ります。

「恐れるべきものは、恐れそのものである。」
The only thing we have to fear is fear itself.

“恐れに飲み込まれて動けなくなることこそが危機だ”――このメッセージは、大恐慌で疲れ切ったアメリカ人の心に深く届きました。

■ ニューディール政策の開始

就任演説の直後から、ルーズベルトは「ニューディール」という社会改革を進めます。

  • 大規模な公共事業
  • 金融改革と制度づくり
  • 農業・産業の再建
  • 社会保障制度の萌芽

アメリカが“国を立て直すための行動”を本格的に始めたのが、この1933年でした。

■ ニューディールの象徴:TVAとダム建設

ニューディールの中でも象徴的な役割を果たしたのが TVA(テネシー渓谷開発公社) です。

1933年に設立されたTVAは、テネシー川とその支流に20基以上のダムを建設しました。

  • 水力発電によるインフラ整備
  • 洪水対策
  • 土壌流出の改善
  • 失業者の大規模雇用

荒れ果てた南部を“丸ごと再生する”国家プロジェクトでした。

ダム建設はただの雇用対策ではなく、「地域経済をつくり直し、人々の生活そのものを変える」ための大改革でもありました。

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