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認知行動療法と東洋医学で考える病の原因ー三因学説より

東洋医学の世界、肉体と精神、心と身体

 

東洋医学での世界は、まるごと一つの存在である人には心と身体があると考えています。

それは器質と機能に分けて考えることも出来ますし、

この器質と機能を、器質(血)と機能(気)と考えることもできます。

まるごと一つの存在が生きているときに、動きである部分と、モノである部分を考えるということが根底で、その動きとモノを、気血とという言葉を使うことが多いかなと思います。心身という言葉で、心と身体をあらわしますが、東洋医学だと気血かなという感じです。動きと器質と。まあ肉体と精神というほうが素直に納得できますね。

 

病気の原因を考える、三因学説

 

東洋医学で病の原因を考えるときに、三因論、三因学説というのがあります。

内因(七情内傷)、外因(外邪)不内外因とみっつにわけます。

 

内因ー精神の課題:七情内傷

 

内因である七情内緒は、それほど、人の感情は病の大きな原因と考えているわけです。
面白いよね。

 

七情内傷?そんなバカな?と思ったこと

 

私が初めてこの内因としての七情内傷を知ったとき、そんなバカな(^^ゞと思いました。
しなしかがら、精神、メンタルはとても重要な要因であり、五臓をそれぞれ主り、影響されるのが
七情なのですよね。

五臓の概念から五志+2の七情内傷へ

東洋医学はまるごと一つの人間を、五臓という概念を用い、その五臓それぞれに主る五志(怒喜思悲憂恐驚)という感情が外界の変化に影響を受け、舎る臓にも影響を及ぼすといったイメージでかんがえています。

つまり、外からの出来事で、どうにもならない事を思い悩むと脾が傷む。そして脾が弱っていると思い悩みやすい。そして悪循環という感じですね。

外因は外邪、つまりイマドキだと寒邪とか、燥邪とか。直接身体をおかしますね。

 

三因論の面白:飲食不節、働き過ぎは不内外因(内因でも外因でもない)のカテゴリー

 

この三因論の面白いところは、飲食不節(食べ過ぎ、飲み過ぎ)や、働き過ぎを、病因のカテゴリーにいれ、内因でも、外因でもないとしているのです。まあ、不内外因にはこれ以外に、湿痰と瘀血があり、これはこの存在そのものが病の原因となる(イメージはガンとか)と考えていく感じです。

怖いことがあって恐怖によって、腎の臟が痛んだとか、喜びすぎて心が病むとか。まあ、そんなイメージですね。

 

私の描く、東洋医学の人生物語

私は、人を診るときに、この病因論を使うよりも、時系列でその人の状態が、過去から現時点にどの様にたどり着き、こういう状態を呈しているんだと考え、あらま欲しき未来はこうあってほしいし、そのためにはどう言う手段、考え方があるんだってな感じで考えます。

これがCBTとの相性のよさかもしれませんねえ。

クソリプ?? YouTubeを見ながら学ぶ、認知行動療法

認知行動療法というのが、あります。

これは心理療法のワークでもありますが、

私は人生の風景が楽しく変わるものの味方だと思います。いま、一ヶ月間の
実践ワークにはいっていて、とにかく認知行動療法、自動思考のキャッチトレーニング中です。

そうすると、みえてくる世界がかわってきます。
毎日楽しくみている、安芸高田市のYouTubeもなんだか見え方がかわってきます。

YouTubeから学んだこと クソリプってどうしておこる??

なかなか強烈なサムネ。
私は安芸高田市のファンデもありますが、サトマイさんの大ファンでもあります。

 

クソリプってどうしておこる?

ネットの世界ならば、クソリプですが、安芸高田市の議会をみていていると、もうー大前提で敵意があり、その敵意をあらわすために、質問を使って市長をこまらせてやろう〜としていますが、市長のキレキレ答弁で、バッサリやられてしまってます。

市長はときに、『国語を学んでこい!』といいますが、これは国語、すなわち読解力と言うよりは、もう『認知の歪み』なのかああと思います。つまり、

 

月を見ていても、事実に対する感情で見え方が違うのかも?

このおじさんAは強烈な思い込み(色眼鏡)をかけて、月をながめています。

認知行動療法

 

すなわち”月は丸いもの”

この思い込みで月をみると、みーんな丸いものに見えちゃいます。
だって、宇宙からみればいつでも丸いでしょとか。

今日は欠けてみえるけど、もともと丸いはずだからちょっと今日は調子がわるいだけとか。

まあ、本来月は丸くて、確かに立場によるみえかたをそれぞれの立場とすれば、宇宙でみるの立場でのコメントもありはありです。でも、いやいや〜、私はいまは地球から見る月の話しをしているよと。

私達には、今日は三ヶ月という認識は、地球の大地に足をふみたてて、眺めて見た月ですねえ。

ものをみるときには、見ている人の立場の設定が大事。

ひとりだけ、宇宙に浮かぶ月を、地球に立つ視点ではなく、宇宙からみる視点でいると、

地球からみえる月の満ち欠けはみえないのかもしれません。

この事実についての認識が人によって、かけはなれていると、議論がなりたたないですね。

確かに、月の話しをしているということでは同じかも知れませんが、地球の地面に立っている人と、宇宙から眺めている人と、月の話しがかみあいません。

事実の認識をしっかりもつ。

そのうえで、自分が事実をどうとらえ、その事実に対してどういった感情をもっているのか。

このあたりをしっかりと認識すると、新しい世界がみえてくるかもって思いました。