いつもの生活」カテゴリーアーカイブ

MacBook Airとipadとスマホの連携

ヨネ婆ちゃんは、いまどきのガシェット好きです。

でもって、MacBook Airとipadとスマホの連携

icloudにはMacの移行でドロップボックスとの考え方のこともあり、かなり泣かされましたが、
やっぱり良いことも多い。

いま、感動しているのが、この3つのデバイスの連携。
文章をどこでコピーしても、どこでもペーストできます。
発信デバイスであるスマホや、ブログへのアップロードのパソコン。
ガンガンつながります。

 

養老

養老はアンチエイジングに使えるツボです

このところ、マイブームのこの経穴。絵を描いて写真に取り込み、ipadでちょいと
落書き。スマホに飛ばしてインスタ投稿、パソコンにも飛ばしてブログ投稿。

やっぱりMacが好きだよ〜

ネットならではの書き物あれこれ、意見もあれこれ。

ネットならではの書き物あれこれ、意見もあれこれ。

ある方が、ご自身の意見をまとめて記載されているだけとかいていらっしゃりました。

小学館『Domani』サイト掲載記事への抗議 意識高い系をめぐって

https://blogos.com/article/559662/

まあ、この件をパクリとはいわないのでしょうけどねえ。

この方は、内容そのものがご自身の本をまとめたようなものであること、そしてそれを踏まえて記事のもっていきかたについてご意見を述べられています。

むかし、パクリで大騒ぎだったことがありますね。

DeNAのWELQの問題などが象徴的

そして、私自身も注意せねばと思っています。

自分が読んで、ふむふむその通りと思ったことを、自分の理解として書いたりするのですが、書き方によってはパクりの文脈になっちゃう。

過去に私は、学会発表を何度かしています。

ある学会で演壇にたって発表したことが

数日後、とある方のブログにその方のものとして掲載されていてびっくりしました。

私が造語した言葉が入っており、構成も同じ。やられたなと思いましたが、

まあ、それだけ価値あるものだと思って頂いたのでしょうと

だだっ広い心で理解いたしました。

それでもねえ・・・・。学会で聞いたことだと書いてあれば
ここまで違和感を持たなかったなと思います。

結局、パクられた方としては、かなり多大な努力をして警告しても、それを削除してもらって終わりだけですので、なんだかそんなものに係わるだけ労力無駄っていう感じがしますね。

このあたり、ネットの世の中になって、コピペなどで簡単にパクることができ、

よりハードルが低くなっているように思います。ううむです。

まあ、パクってくれてもしょうがないってか、そういう世界だとは思うのですが、自分的に「それって、私の中ではまだ思考の途中〜」などと思う部分もあったりして。

自分の学んだ物を整理しながら書いていくというのは私のスタンスでもあります、

だから、引用などがあったり、著作物を踏み台にして考察するということも理解できます。でも、見聞したことを、そのままあたかも自分が考察し書いたようにするのは

おかしいんじゃないっては思っています。

まあ、そうやって、知識って広がって、理解も広がり、世界が発展するのかな(^^)

肝腎要なお話。表記はかわるよ簡単に〜

東洋医学の体力貯金というテーマで文章を書いています。

私達は日々ご飯を食べて、エネルギーを受け取り生きています。
これが、胃腸を中心とする後天の精を得るシステムです。

そして、身体の底力とか、余力をたくわえるのが、丹田の力。
臍下丹田とかいいますよねえ。
言わないかな(^_^;)、どうも東洋医学の世界どっぷりになると、
普通の言葉の感覚が失われて言ってしまったり。
いかんいかん。

ということはさておき、この身体の底力、余力ということを、
東洋医学の体力貯金という言葉をテーマとして書いていました。

そして、この中心のこと場を、肝腎要と言いますヨネなどと書いていて、
肝腎要(かんじんかなめ)が、肝心要と変換されるので、あれ?あれ?あれ?と
違和感が。

東洋医学の世界では、身体を上中下にわけます。で、底力は下のところに位置する腎を中心に身体の軸となる肝と組み合わせて考えるのが素直なところです。これをなんで肝と心。なんでやねんと違和感を持って調べると、日本語表記の問題で腎が使えなかったから、心を使い、のちに腎が使えるようになったけどそのままという歴史の流れがありました。

つまり、もともは肝腎要であったのが、日本語表記の関係で肝心要とされた時期があり、腎も使えるようになったけど、肝心要の方が浸透しているというところみたいですねえ。

東洋医学的な観点から考えると、肝心要はちょっと違うんじゃないって思っちゃうんですが、一般用語となった場合は肝心要でも違和感がないんですかねえ。

言葉って面白いですねえ。

こうやって、私達の知っている古典だってなにかの書き違いとか、いろいろな都合で変化していることもあるんだろうなあなんて思いました。

言葉は日々成長するってことだわねえ。

人に言えない、長いレアジョブレッスン歴。

人に言えない、長いレアジョブレッスン歴

オンライン英会話を長らくやっています。

で、どれぐらい長くやっているかはあんまり人に言えません。

だって、実は2013年の9月からスタートしてほぼ毎日やっているので、もう9年目(^^ゞ。あららん。

そしてどうして人に言いたくないかというと、

「そんなに長くやっているなら、もうペラペラでしょ」と言われるからです。

いや、まったくぺらぺらじゃありません。

いわゆるちゃんと使える英語にはまったくなっていません。

ただ、英語で楽しく25分オンライン英会話を楽しんだり、

旅行にいったときにさほど不自由ないというレベルではあります。

ひろゆき(2チャンネルの創始者であり、YouTubeやってるおじさん。私ファンなの(^^ゞ)が面白いことを言っています。

英語をしゃべるにはbyひろゆき

https://www.youtube.com/watch?v=0puPNqaydnQ

あーこれはその通りだなと思いました。

英会話レッスンの時は英語で話して英語で考えているので、

途中で日本語の翻訳はしてないんですよね。

先日は、健康診断受けて、こんなのが引っかかって、こんな検査したって言うような会話をしました。こういうときの、難しい単語はグーグル先生に聞いて使いますが、それ以外はなーんとなく通じる。

相手も、ご主人がこんな持病があってという会話で、その持病そのものの単語は、チャットに書いてもらってググりますが、それ以外は、「大変ね〜」などといいながら、二人でべちゃくちゃ。

うん、べちゃくちゃくっちゃべるぐらいの英語力はあるんだけど、それは、人様に英語出来ますなんていうレベルではございません(^^ゞ。

ただ、英語って所詮道具で、相手とコミュニケーションをとるためのもの。

私のオンライン英会話レッスンの目的は1日の最後の25分を、リラックスして大笑いして楽しく過ごすということ。この目的のためぐらいの英語力は、つくってことです。

ひろゆきがいっている、日本語を挟まないというのは、必死に自分のもちもの単語(頭の中でボぎゃぶらりーという言葉が浮かんだが日本語に直すと単語でいいのか(^^ゞ?わかんね)、文法、作文能力を駆使して相手と必死にしゃべるので、必然的に英語を使う能力がアップするというのがよくわかります。

しかしながら、この方法は、英語のテストの点数はまったくあがらないであろうこともよくわかります。だって、日本語の問いには答えられないので。

英語は道具、楽しく使えるようになると、世界が広がるぞーって思います。

私の今後の目標は、

1)チャットがスムーズに出来ること。

ドロップボックスのサポート、日本語もあるのですが、夜などは英語のみ。英語ができたら、どんな時間でもサポートが受けられるのに〜。

2)YouTubeの英語で直接みたい。

これができたら、すごく沢山のYouTubeみれますよね!目標だあ。

最近、世の中が踏み絵だと思ったこと

最近の世の中が踏み絵だと思ったこと

コロナの日々になって1年以上たちましたねえ。
コロナの感染症というのは、人から人にうつるウイルスによっておこりますね。
そこで、ウイルス対策が必要になりますし、ワクチンをと言う話しにもなります。

生牡蠣の反応も人それぞれ

以前に、友人が職場のみんなで生牡蠣を食べました。
5人で食べた、二人あたっちゃったのですが、3人はなんともありませんでした。
つまり、何か原因になる菌があっても、全員に同じ影響がでるわけではないんですよね。

今回のウイルスに対する反応もそれと同じで、大きく影響を受ける人もいるし、莊でない人もいる。色々な反応がある。

このあたりの前提があるので、話しが非常にややっこしいですね。
私自身は、モデルナワクチンを2回接種しました。
2回目の副反応は、ぎょえぎょえ〜ってな感じで、高熱、嘔吐でまいったという感じ。

これだけとりだすと、ワクチンなんて嫌!になりますね。

何かをするしないの2択だけならば、しなければ平穏

つまり、ワクチンをするしないの二択ならば、しなければ平和です。
だって、接種したことによっての副反応は明瞭。

しなければこんなことにはならなかったわけですから、しない方がいいとなります。

なにかをしたから、反応があったわけです。

しかしながら、私は、今の世の中に「ワクチンをせずに立ち向かう」という勇気はないですねえ(^^ゞ。

つまり、ワクチンをするしないの2択ではなく、

コロナにワクチンありで立ち向かうのと、ワクチン無しで立ち向かうの2択

この2択に、私はワクチンなしで立ち向かう勇気はないなあというところです。

コロナは生き物、だから変化しますねえ。ワクチンが万能ではないでしょう。

ただ、いまのところ、ワクチン無しでコロナ感染という事態は年齢的に50代後半の私にはハイリスク。また少しでも罹患するリスクが軽減されれば、私自身が人にうつすリスクも減ると理解しています。

こんなところですねえ。

草花はそれでも変わらず季節をまとっています。

 

先般散歩をしていて、センニンソウを見つけました。

これは扁桃炎に効くと有名です。

また、ずっと昔にとある患者さんが、宗教団体の秘伝の療法として受けたことがある体験をお話しくださいました。

私達は試されているのか?

私達は、病と取り組み、個として対応、社会としての対応が求められるときがありますね。

ここで、私は試されていると強く思ってしまいました。

ワクチンに対して、

コロナに対して、

どの様に考えるのかを、

まるで何かが私達を試しているようで、

その選択は間違っていないのか、

その選択でいいのか、

問い、試しているような気がしてとても苦しくなりました。

踏み絵はないし誰もあなたを試していない

そんな息苦しさを感じる中、ふと友人が、

「踏み絵」はないし、誰もあなたを試してないから、大丈夫です。
世の中ってめんどくさいですが、他面、大らかなので、そこに信頼を置けばよい
と思います。先回りして、あまり気を使わなくて良い、と思います。

と言ってくれました。

この言葉は私の、煮詰まった気持ちを解きほぐしてくれました。

そう、踏み絵でもない、試されているのでもない。

社会を生きる私として、私が選ぶ選択を素直に受け入れ、

誠実であり続けることが

私に出来ることなのかなと思います。

色々迷うけど、そんなに力まずに、とりあえず前に進みましょう。

なにかを「する」という選択は、「しない」よりも、

選んですぐにおこる変化に対する責任を伴います。

これが、自分自身で一歩踏み出す勇気が必要とされる場面なんですよね。

勇気を持って、私達の社会が早く穏やかになるようにと願っています。