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今日の律子 アンタは何時にくるん?

今日の律子 アンタは何時にくるん?

朝の6時過ぎに電話。

まあ、6時過ぎてるからいいや〜と出ると、

『アンタは今日、何時にくるん?』と。

ううう〜今日はちょいと予定があって、律子のお知らせ冷蔵庫のチラシには、

むかえにいくよ

としてあるのに、無視かよ・・・・と思いつつ、

『ん? 今日来てほしいの?』と聞くと、

『うん、今から下で待ってればいい?』と。

いやいやいや、いまは朝の6時だし。

『午後1時に行くよ、お昼ご飯を食べて待っててね』

『うん、わかった。1時やな』

ガチャン

15分後、電話

『なあに?』ととりあえず聞く。

『今から下にいくから』と律子。

はいはいはいはい、まだ朝の6時15分ですよ。

『まだ朝だからね、昼ご飯食べて午後の1時ね』

『1時?、デイサービスにいくかもしれん』

お、デイサービスの時間がわかってるじゃん。

『うん、それなら、ちょっと顔を見に行くよ』

『うん、わかった』

がちゃん。

なにがわかったんか、よくわからんが、律子がその時納得してくれて、そのとき不安がとれればまあいいかね。

あーのんびりした休日は存在しないのか。

しょーがないね(^_^;)

今日の律子、サ高住はそろそろ限界か?

今日の律子、サ高住はそろそろ限界か?

サ高住か、グループホームか、介護付有料か

悩める明子です。

母、律子84才。急激に認知機能の低下がみられます。

とにかく、『寂しい、かまってちゃん病』です。

泣きながら、『寂しい寂しい、あんたんちに行きたい』と。

あんたんちってのは、私、明子のおうちです。

明子のおうちで猫と一緒の律子

 

 

 

 

 

ただ、もともとうちに住んでいたわけではなく、

母は四国髙松の自分の家で自由な一人暮らしを長年し、

別棟に半同居していた知り合いが立ち退いたことをきっかけに、

髙松のサ高住に入居、コロナ下で不自由さがましてきたので

家を売却して緊急事態宣言の1日目にこちらのサ高住、

学研のココファンに入居しました。

それから1年半、

学研のココファンは、親切で、立地も大型スーパーに近く、

彼女の生活はそれなりに満足出来るものであったとおもいます。

しかしながら、広がるコロナ。

ワクチン前がとくに、面会、外出が厳しくなり、私達も意識的に面会、連れ出しはやめていました。

そして今年の夏過ぎぐらいから、このかまってちゃん病の発症です。

往診のドクターは急速に行動がワケワカメになってきたので、脳神経外科の受診を提案、脳の疾患そのものは否定されました。

私が迎えに行き、なんとかかんとか、私の家にきて、ご飯をたべて、猫と遊んで2,3時間。『送っていくね』というと、素直に応じ、戻ります。

そしてまた、かまってちゃん病発症。

電話が30回も40回も夜中もかかってきます。

電話に出ると、寂しい寂しいとないています。

学研はサ高住なので、下宿と、食事と、見守り。それに必要に応じて介護サービスの提供となっていて、まるごと全てで係わってくれるわけではありません。

それはサ高住だからあたりまえなのですが、母にとっては、多分それだけでは物足りない時期になってきたんだと思います。

ただ、ココファンのスタッフの、山田さんがとか、田中さんがとか(仮名です(^_^;))話に出てきて、スタッフにも満足し、デイサービスも頑張ると提供サービスにも満足。

サ高住というサービスのありように、律子がついて行けてない感じがしてきました。そろそろ限界かな。

どんな施設がいいのか、考えてみようと動き出しました。

チュールが大好き律子からチュールをもらうギルバルスとツキミ。おいしいよー

 

今日の律子:①律子の四国髙松での生活

私の母は、律子っていいます。
どうも、私の家では、『おかあさん』という言葉はあまりでてこないです(^_^;)。
律子がいわゆるお母さんっぽい人ではなかったのと、私もお母さんぽいひとではないこともあり、
私達家族はたいてい名前で呼び合っています。

律子は『りっちゃん』私のことは『あきこ』そんな感じです。

その律子が四国高松からこちらにやってきたのは2020年4月7日。
第一回緊急事態宣言の初日です。

それから、私と同じ神奈川県小田原市にある、学研さんの施設であるココファンにお世話になりながら、日々を暮らしています。

私の家にきては、ネコのギルバルス、孫のあっちゃんなどと楽しく遊んでくれています。そんな律子のことを少しまとめて書いていきたいと思います。

今回は、その1)律子の四国髙松での生活です。

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☆律子の四国髙松での生活。

私達娘は神奈川県で生活し、律子は四国髙松で一人暮らしをしていました。

彼女は、一人娘であり、髙松駅に近い広めの自宅で自由な(^_^;)生活をしていました。

車の運転もでき、社交的な彼女は楽しく生活をしていたんじゃないかなと思います。

70代の前半、何度か、神奈川への引っ越しを話しましたが、結局、一度も首を縦に振らず、そのまま四国髙松での生活が続いていました。

一人暮らしが出来たのは、長年の付き合いがありなにかとサポートしてくれていた方が近くにいてくれたからでもあると思います。離れた娘達よりも近くの親切な友人の方がよっぽど彼女にとっては、生まれ育った場処で生活も出来、快適で楽しかったんじゃないかなと思います。

そして、その方が病気療養に入ったことなどもあり、一人暮らしが難しくなってしまいました。そしてケアマネさんと相談し、自宅に近くにあった両備さんの施設、両備ヘルシーケア髙松でお世話になることになりました。

このときは、自分の自宅と施設を往復したり、行きたいところにいったりと、一人暮らしは難しいけど、まあ一人で生活が出来るレベル。

また介護で通っていたデイサービス光のかけらというところが、非常にあっていたようで、身体レベルも向上。食事など文句はタラタラでしたが、まあまあ、前向きな生活をおくれていました。両備さんも親切な施設でした(^^)

まあ、振り返ると、このころは、本当によく私は神奈川と四国髙松を往復していました。

介護の飛行機料金ってのがあって、有難く利用させて頂いていました。

またケアマネさんが本当に優秀で、必要な時に必要なことを、サクッと調べた結果でアドバイスしてくださったので、いろんなことが前に進みました。有難かったです<(_ _)>。