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私の受けたい治療⑨ 妊活鍼灸、不妊カウンセラー

私の受けたい治療⑨ 妊活鍼灸、不妊カウンセラー

鍼灸学校を卒業後、弟子入り修行や大学病院での研修していましたが、

個人的に治療を頼まれることもあり、開業届は出し、施術をはじめていました。

大学病院での研修の傍ら、眼科クリニックでマッサージのお手伝いもしており、

その関係でも治療を頼まれることも増えました。

☆頭痛の解決と不妊治療へのつながり

そのなかに、頭痛を主訴とする医療関係者の方がいらっしゃいました。
私のところにいらっしゃった理由は頭痛。
実は私は頭痛の治療が得意です。

頭痛は、頭痛そのものを分類したり、頭痛そのものをアプローチすることを考えますが、
案外、身体そのものを整えると、頭痛が解決するのです。

この方も、数回の治療で頭痛が改善されました。

20数年前の当時は、妊活は大学病院が主流でした。
また、不妊治療を再開するとおっしゃるので、
私からは、鍼灸治療のお休みを提案。当時は妊娠中の鍼灸は禁忌とされていたので、
ひよっこの私は指針に従ったのです。

すると、

『こんなに体調がよくなったんだから、鍼灸も継続した方がいい』
ときっぱりおっしゃり、鍼灸をしながらの妊活で無事に妊娠、ご出産となりました。

いまではそのお子さんも大人になられ、年月を感じます。

その方の紹介で、高度生殖医療をなさっている妊活中の方が多くいらっしゃるようになり、紹介の形で非常に患者さんが増えていきました。

☆妊活に特化していくこと、大きな2つの課題

妊活の患者さんが増えたことで、妊活そのものの情報も集まり、経験値も格段にあがり、不妊治療に関しては、カウンセラーとしての役割も多くなっていきました。

当時の高度生殖医療は自費でした。

非常に高額になる妊活治療は、一緒によりそっていると、

・体調の側面、お身体の状態での妊活

・病院選び、治療選び、治療にあわせた体調の整え方

この2点の課題が大きく支れることに気がつき始めました。

☆☆妊活情報と向かい合うことの大切さ:不妊カウンセラーとして

妊活を始めたばかりの方は、この2つの課題がごちゃごちゃになりがちです。

よいという情報は、情報を売りたい人がお勧めしている情報です。

本当にいるのかどうなのかは、個別具体的な話しになります。

また周りのアドバイスなどはその方ご自身の成功体験を元に語られます。確かに、その人にとっては、その方法が良かったのかなとは思います。

ただ、それがご自身のケースにあてはまるのかどうなのか。
不妊という状況は同じでも、人によってその原因や解決方法はさまざまです。
また妊娠じたい、大きな偶然性と、淘汰というプロセスがあるという動かしがたい事実もあります。

その中で、妊活を年齢要因という要素に向かい合いながらすすめていくことの難しさ、大事さを沢山経験することとなりました。

多くの患者さんが、ご自身の経験を次の方のためにと仰って下さること。本当に私にとって幸せなことであり、私の使命とも感じています。

どうぞ、参考になさってください。

そしてお子さんをのぞむ、ご家族をつくりたいというご希望がかないますようにと願っています。

不妊:婦人科

症例集:コラム

私の受けたい治療⑦ 自由にやりなさい、責任は持つから

私の受けたい治療⑦ 自由にやりなさい、責任は持つから

大学病院の東洋医学科では、ドクターのみたてのあと、漢方の処方がおこなわれたり、鍼灸治療が行われていました。

大學病院ということもあり、醒脳開竅法や、パルス通電など、どちらかというと、強めの鍼灸が多く行われていました。

 

☆『あなたの自由にやりなさい』というS先生のもとで

私は、どうしてもキツい針、強めの治療が好みにあわず、温灸やお灸を使いながら、いままで勉強してきた知識を使い、あまり痛くない穏やかな鍼灸を大學病院の場で実践してみました。

 

☆理論を実践を通じてやってみることの出来る場

私には、『自分が受けたい鍼灸を実践したい』という思いがありました。

漠然とした思い。

これは実力がない鍼灸を受けたいということではありません。

しっかりとした効果があり、その上で心も身体もほっとやすらぐ

臨床の場を作りたいという思いです。

責任は取ると先生がおっしゃってくださる大學病院という

異空間は私にとって、非常によい学びの場となりました。

☆☆頸椎の痛み『今回が一番早く治った』

ある若い男性患者さん。

過去になんども、頸の痛みで来院していました。

私は、首そのものも辛いけど、その前段階で、胃腸の力が弱く、

身体を温め養う力の不足があるから、首の経絡経筋を養いきれずに

症状となっていると見立てました。

そこで、まず温養脾腎を行いました。

その上で、傷めている首の経絡経筋を手入れするという二段階。

2,3回目の治療で患者さんから

『今回の治療が一番が、一番早く治った気がします。いい感じになりました。』という

お言葉を頂きました。

 

☆☆自分の治療の軸ができた

これは私にとって大きな一歩でした。

弟子入りした治療院での治療や、すご腕先生方の治療も素晴らしいものでした。

その上で、自分がやってみて、治療として納得ができ、

効果的だと思えるものの片鱗が確立できたときでした。

自分自身の見立て、方針。

具体的な鍼灸治療のデザイン

実際に他の治療との比較での結果

これらは、この大学病院での過去のカルテ、西洋医学のカルテなどを

自由にみることができ、自分自身が自由に治療を組み立てられるという

環境で生まれたことでした。

本当に、あのときの、あの場。

S先生の見守りに感謝です。

☆精神科の患者さん

私が担当していた中で、意外なほど多かったのが精神科を受診中の方々でした。

当時のひよっこのの私は、鍼灸の適応に精神科疾患?と謎に思っていましたので、

どうアプローチをしていくべきなのかなあと悩みましたが、西洋医学的な病名にとらわれず、シンプルに東洋医学でみたてた、自分の方法でのアプローチをおこないました。

つまり、問診、体表観察、弁証論治です。

そして、体調の改善は、結局、メンタルの改善につながっていたように思います。

また、いまは認知行動療法を学び、メンタルの改善に、認知行動療法や。マインドフルネス、いま自分の身体を感じるといった、東洋医学的な気のベクトルを落ちつかせる方法がたくさん実感として効くと思っています。これも、大学病院時代の修業のおかげです。

 

☆☆3年にわたる研究、研修生

1年間ということでしたが、結局私自身は3年にわたり、大学病院の東洋医学科に籍を置き、

臨床を積み重ねることとなりました。

このなかで、幸いなことに私の患者さんは、継続的に鍼灸治療に

いらしてくださる方が多く、その後の私自身が作り上げていく鍼灸治療の大きな礎となりました。

私の受けたい治療⑥ 3年間の大学病院東洋医学科での鍼灸治療

私の受けたい治療⑥ 大学病院での3年間にわたる鍼灸治療

私は、大学病院で、鍼灸をやっているということそのものを知りませんでした。

鍼灸っていうのは保険診療外ですから、一般の病院ではなかなか取り入れられません。

それだけに、大学病院の東洋医学科は非常に新鮮でした。

東洋医学科はドクターが漢方を処方し、鍼灸師が鍼灸をおこなうということになっていました。

病院でやっている鍼灸。治療院とは違う世界があるのかなとワクワクしていました。

また漢方の処方も多く学ぶことも多いだろうなとも思いました。

沢山の事を学べそうな気がしてワクワクしていました。

☆指導医S先生 『免許持っているんだから自由にしなさい、責任は自分がとる』

研修生は指導医ごとに2つの斑にわかれました。

私の指導医はS先生。

S先生が教えてくださるんだなーと思っていると

『あなたはすでに免許を持っているんだから、自由にやりなさい。何か起こったときの責任は自分がとるから』と仰って下さいました。

え?教えてくれるんじゃないんですね、とビックリしたものの、

自由に好きなように鍼灸をしていいということは私にとって大きな出来事でした。

☆患者さんを実際に受け持つ

私がついたS先生は放任主義というか、まかせてくださる先生であったこと。

これはもし、免許取り立てで実際の臨床を見たことがない人だったら

大きな戸惑いだったと思います。

幸いにして私は、卒業してからの1年、多くの患者さんを治療なさっている

先生方のアシスタントをしていました。

ですので、ポンッと任されても、それなりに一人の患者さんを診て

治療をする見聞はありました。あとは実践のみ、経験を積んでみよう

という段階でした。

☆大学病院東洋医学科での、鍼灸治療を希望する患者層

いままでの一般の鍼灸院では、看板やチラシをみて来たという方や

紹介で来たという方が多かったです。

体調管理というメンテナンスだったり、整形外科的な痛みなどの方が多かった感じでした。

大学病院東洋医学科での患者さんは、

1)東洋医学科をめざしてくる方
2)入院中で他科からの紹介の方

3)他科へ通院中で紹介の方

こんな感じだったと思います。

入院中の場合は、脳梗塞などの後遺症で片麻痺がある方が

おおくいらっしゃりました。

これは醒脳開竅法という鍼灸メソッドがあり、

かなり取り入れている状況だったからだと感じました。

漢方の投薬を受けにいらっしゃる方も多く、

また当時海洋深層水の研究もなさっていたような記憶があります。

でも、ひよっこは日々目まぐるしくついていくだけだったような

感じでした。

また、なぜか私の患者さんは、精神科との並用の方も多かったです。

私のイメージに、精神的な課題と鍼灸というのはつながらなかったのですが、

多くの方々をみていくうちに、視点がかわっていきました。

☆数多くのカルテをみて学んだこと。

大学病院で大きな出来事は、カルテをみることができたことです。

自分が弟子入りしていた治療院の先輩方が担当していた患者さんも多く、どんな治療をこの場でしていたか手に取るようにわかりました。

カルテには、経穴だけが書いてありますが、それを実際にどのように使っているかということは、案外分からない盲点です。

しかしながら、私は弟子入り経験があり、このカルテをみれば、何をしていたのか

具体的にイメージができ、よく理解できました。結果も書いてありますので、非常によい資料でした。

その上で、自分が問診し、見立て、実際に臨床していくことは、面白かったです。

諸先輩方の治療を踏まえて自分の治療を組み立てる。

何が起こっても、責任はS先生が取ってくれるという信頼は

大胆な治療を私に許しました。

☆このお話は、25年以上前の大学病院での出来事です。現在、同病院には東洋医学科はなくなってしまっています。時代はかわりますねえ。

私の受けたい治療⑤ 弟子入り3年しないと、大学病院での研修は認めない

私の受けたい治療⑤ 大学病院で研修生にならない?

免許を取ってすぐ、すご腕先生が3人もいる鍼灸院でアシスタントをし、

その後、鍼灸専業の治療院に弟子入りして、半年もしたころ。

卒業した鍼灸学校から連絡がありました。

『東海大学大磯病院の東洋医学科で研修生を募集しているからいってみない?』と。

 

もう、この2024年現在、東海大学大磯病院はなくなっちゃいましたねえ。
懐かしい思いがします。

この話は、当時弟子入りしていた治療院の諸先輩方から伺っていました。

大学病院では、実際に自分の患者さんをもって鍼灸ができるから、やりがいがあるよと。

 

☆大学病院で研修生になるということ。

この大学病院東洋医学科は、かなりまえからありました。
また、日産玉川病院の東洋医学科もよく話しに聞いていました。

しかしながら、私が卒業した年は、ちょうど指導医の先生がかわられ、

募集がありませんでした。

それが、翌年から研修生の受け入れを再開し、
鍼灸学校時代にわりと成績がよかったという理由で(^^ゞ、
私にお誘いがありました。

弟子入りは、あくまでも、アシスタント。お灸はしますが、針を自分自身がすることはありません。つまり自分自身の責任で患者さんを診ると言うことがないわけです。

それが、大学病院ならば、実際の患者さんを受け持つことが出来るとのことでした。

私は、『実際にやってみないと何もはじまらない』と思い、大学病院入りを決意

☆弟子入り三年しないと認めない

治療院の先生に、『大学病院での研修生になりたいです』というお話をしました。

すると、『3年弟子入りしないと認めない』とのおこたえ。

うーーん、と迷いました。

それまでの方々は、学生時代から弟子入りしたり、卒業と同時にスタートしたかたです。つまり大学病院と弟子入りが同時進行だったのです。私は卒業年次に大学病院の都合で研修生を募集していなかったので、すでに弟子入りしている状態での大学病院入りとなりました。

日程的には、調整すれば両立はできたと思います。
ただ、弟子先の先生は、こうとおっしゃれば変更はありません。
つまり交渉の余地はないわけです。

それ以前の諸先輩方がどうであれ、先生は、

『3年の弟子入りが先だ、研修はそのあと』とのお返事。

うーんと考え込んでしまいました。

 

☆☆迷いながらも、自分で実際にやれる大学病院研修生を選択

大学病院の研修と、弟子入りが両立しないことは、則ちどちらかを選べということです。

私は、実際に患者さんを治療したいという思いが強く、大学病院入りを決意しました。

鍼灸学校での3年と、治療院での弟子入りと、すご腕先生とのアシスタントで過ごした1年。

大きな学びがありました。
これは本当に大きな学びでした。

ノウハウを学んだというよりも、
患者さんは、身体の治療やメンテナンスをしたいというニーズがあり、
そのニーズに鍼灸というものにニーズがあり、

私が学ぼうとしている鍼灸はその大きな可能性を秘めているということへの

気づきは、私を大きな一歩を踏み出す勇気を与えてくれました。

大学病院での研修をする道を選びました。

がんばろーっと思い応募し、白衣をきて鍼灸をする日々となったのでした。

体力作り、お金の発想でやってみよう!

体力作りは、種銭から

妊活をよく応援させていただく治療をしています。

妊娠する力ってのは、生命の余力を積み上げることが大事です。

妊娠って日々を生活する上では、あまり考慮しなくてよい要素です。

つまり、妊娠しても、しなくても、私達は毎日を生活しています。

お金で、『江戸っ子だ!宵越しの銭はもたえねえ〜』という

名台詞があります。

つまり日々をいきていければ、貯金なんていいらねえよ〜

自転車操業的な毎日でOKってことです。

でも、何かあったときに之では困ります。

風邪を引いても、身体の余力がないと、風邪を早い段階で追い出すことができず、

深く入ってしまい、万病の元になります。

風邪は万病の元にしない身体作りが、余裕のある身体、体力のある身体です。

☆有事に備えるための、余裕のある身体作り

まあ、つまり女子胞(子宮)への余裕をつけるというのは、

東洋医学で言うところの腎気をあげることです。

そしてこれは妊活だけではなく、

ご自身の人生を余裕を持って乗り越えるコツでもあります。

☆体力作り、『運動すればいいですか?』の質問にお答えして

余裕のある身体作り、

腎気の積み増し。

この説明は、案外難しくて、

まあ、東洋医学の基本を学んだはずな鍼灸師の方々への説明でも、

説明を理解していただくのが難しいです。

生命の余力をつけよう、体力をつけようというと、

すぐにお返事があるのが、『運動すればいいんですか?』と。

ちがうんだってばああーー。

今のあなたの状況で運動すればそれは過重労働ですよ、

体力を削って、運動していますよと言う話しになって、

話しが噛み合わないです。

☆お金にたとえると、体力作りわかりやすい。

わかりやすい余力、体力作りの説明で、最近私はお金にたとえます。

つまり、体力貯金(腎気)を貯めようという話しでいきます。

10万円毎月稼ぐとします。

この10万円をすべて1ヶ月で使い切るのが、自転車操業的な生活。

つまり、この10万円を毎月使い切っちゃダメだってことです。

2割でもいいから、毎月貯める、

昨今の投資系ユーチューバーがよく言っている

収入の二割を貯蓄にって話しです。

☆☆収入の二割を貯蓄へ

毎月10万円稼ぐ人が、2割の2万円を毎月貯めます。

すると、10ヶ月で20万円。

これが体力貯金の第一歩、種銭となります。

☆☆種銭が出来たら、まず生活防衛資金。

種銭が出来たら、まずそれは生活防衛資金として、現預金にします。

そしてもう10ヶ月、次の種銭を作ります。

☆☆生活防衛資金が出来たら投資の種銭作って複利運用、!新NISAだ。

生活防衛資金をとっておき、

次なる10ヶ月で種銭が出来たら、投資に回します。

これはいまどきの新NISAでいきましょう。

インデックスファンドなどにいれて複利運用すると、種銭自体が

膨らんできて、あなたの身体をより安定的に支えてくれます。

☆まず種銭を作るところまで、がんばりましょう

種銭といえるぐらいの貯金になるまで、ちゃんと体力積み増しましょう。

そして、種銭が出来てきたら、全体に余裕ができ選択肢が増えます。

やりたいこともスムーズにできるし、妊活もスムーズにいくのです。

☆自転車操業タイプのやっちゃいがちなこと

昨今の私は、とにかく体力貯金の種銭をためましょうと指導する婆ちゃんです。

ただし、自転車操業タイプは、鍼灸や漢方でちょっと余力ができると、貯金にまわさずにすぐに使いたがちゃいます。

こんなヤンチャさんには、

3000円余力を稼ぐでしょ、それをすぐに握りしめてパチンコいっちゃって

楽しんですったらあかんのよ。

3000円は貯金するの。

種銭ができるまでは、がまんがまん(崎陽軒のシュウマイの歌風♪)

肝気が立って、今を楽しみたいタイプは自転車操業タイプが多いです。

とにかく、種銭を貯めさせて、妊活が上手く前に進むように

婆さんは応援するのです。

☆種銭、投資が出来ると人生の幅が広がります。

生活の安定に、種銭を使って複利運用。

人生の安定のために、種銭腎気貯金を使って複利運用。

これができると人生の幅がひろがります。

種銭は妊活にも非常に役立ちますし、

なにか新しいことに挑戦しようと言うときにも、力強い支えとなります。

楽しく人生を歩んでいきましょう!