東洋医学から見た人間観察」カテゴリーアーカイブ

私の受けたい治療⑮  人生に寄り添った視点をもった治療/施術を受けたい

私の受けたい治療⑮ 人生に寄り添った視点をもった治療/施術を受けたい

☆人生に寄り添える治療、そして治療家であるために

私の受けたい治療について、いろいろな道具のことを書きました。

さて、一番大事なのは、治療が向かう方向性です。

治療の目的は、端的にその『症状をとる』ということが求められ、施術者側も『症状』を目標とすることも多いと思います。

しかしながら、私が求める『受けたい治療』は、確かに症状にも対応はしてほしいのですが、

私の受けたい治療⑫ 2つの暮らし:自転車操業と余裕資金

ここでのべた、体力の余裕資金を積み増しするような治療も受けたいのです。

そう、ここが私の受けたい治療の要(かなめ)です。

この症状を取る治療と、体力貯金の積み増し治療。

施術者が、ほんの少しでも、基本的な東洋医学的生命観を把握して、考えるという視点を持つことで、ご自身の施術/治療を大きく、この2つのフェーズを考えた治療へ

かえることができるのです。

☆一人でも多くのかたに、人生に寄り添える治療家となって欲しい

施術を考えるときの方針に、

  • 1)症状をとる
  • 2)体力貯金の積み増しをする

この2つのフェーズがあることをいままでお話してきました。

そして、基本的な東洋医学的生命観を把握するということが

本当に重要であるのに、どうしてもないがしろにされがちだということが

あります。なぜならば、この2)においては、治療/施術を受ける患者さんがわにも

理解が求められるからです。

☆☆治療/施術を受ける患者さんに求められること。

このところ、多くの方と、この『私の受けたい治療』そして体力貯金の積み増し治療のことを話しています。

そして、この私のビッグママ治療室で提供している治療/施術を、実際に患者さんとして受けられる場としてビッグママ治療室を評価してくださっていることに本当に感謝です。

一般的な治療院や、マッサージなどの提供の場であれば、

30分4000円などと、治療時間と値段の設定が一番先です。

これだと、30分間、マッサージや鍼灸の刺激が受けられるということが

第一条件になってしまいます。

私はこのやり方は、非常にわかりやすくて、サービスの提供者にも受け手にも

よいとは思っています。

でも、当院(ビッグママ治療室)では、目安の提示はしても、この時間と内容の指定をする方法は基本的にとらないのです。

☆治療方法と時間を決めてしまう欠点

この、治療方法と時間を決めて、サービスを提供するやり方が

シンプルで、わかりやすく、納得しやすいということはよくわかります。

でも、これだと、これだと、患者さんが予め、時間と施術の種類を決めてしまい、

何が必要ななのかという『観察ー見立てー相談ー方針を決めるー施術』という

ことが、施術者側に委ねられていないのです。

だから、その方にとって本当に必要なこと、余裕資金の積み増しの方法が探せないし、提示できない、提供できないのです。

このプロセスをしますと提示している治療院は多いとは思いますが、

実際のところ、患者さんとの合意がとれていなければ、成り立ちませし、

本来的にできているところは少ないと感じます。

ああ、それでも、私はそんな治療が受けたいんです。

ここから、もう少し私の受けたい治療が成り立つためにはということを考えていきましょう。

私の受けたい治療⑯ 患者さん側に求められること、施術者に求められること

私の受けたい治療⑯ 患者さん側に求められること、施術者に求められること

いまの私の治療院では、私の受けたい治療である、『人生に寄り添った視点を持った治療/施術』を提供することが可能になっています。

これは、患者さん側の理解があり、そのご理解の上に成り立っていると私は思っています。

私はいままで語ってきたような治療/施術が受けたいです。

これはただ症状をとることを目標にした治療/施術ではないということです。

これは、患者さんに理解していただき、その上で成り立つものなのです。

☆施術者側の課題:観察する技術と、事象への理解力

人生に寄り添った視点を持った治療/施術を提供するには、

施術者として、ただ、提供する技術、つまりマッサージや整体、鍼、お灸などの

テクニックを持つことだけが必須ではありません。

☆☆四診をする技術力と、人間観

患者さんを診る技量、すなわち、四診する力が必須です。

これは深掘りしようとすればいくらでもできますが、

基本的なシンプルなものだけでも持つと本当に違います。

また、もう一つ必要なのは、人間観です。

まるごと一つの人間を生命観を持って理解するという視点を一つ持つ。

これが本当に大事。

世の中には数々の情報が溢れています。

その情報の度に、生命を考える物差しをかえてしまっては、

一体何を診ているのかわからなくなります。

1つ自分の軸となる考え方を身につけてほしいと切に思います。

そしてそこには、東洋医学で言う『まるごと一つの身体』という全体観が

一番役に立つと思います。

全体観を持った上で、患者さんが訴える症状を考えると、違った世界が見えてくると思います。

☆☆業界への苦言(秘密の独り言)

ここで、ひとつだけ私が二十年以上この東洋医学の業界にいて思う独り言の苦言があります。

この四診と人間観を深掘りする先生や、勉強会は非常に多い。
ここがポイントだということは誰でも気がつきます。

ただ、残念なことに、あたりまえに道具としてこの四診の技術を持てるレベルの人が少ない。
また人間観も、教科書的な文字は一杯知っていても、実際にイメージして使えていない人がなんと多いことか。これはひとえに症例でのレッスン(数多くの症例の弁証論治を書いて学ぶという姿勢)が足りていないことにつながります。

そして、また逆にここを深掘りばかり。いうなればそればっかりということがあります。

これらは深掘りすれば果てしなく深掘りできます。
ただ、本来の患者さんをみる、寄り添うといったところからは、離れて行ってしまっているのではないかと私には感じる事もとても多いのです。

実際の患者さんを診るという視点よりも、学問そのものとしての追求。
また、派手な技術ばかりを前面に出し、高い講習会料金で、施術者を食い物にしているセミナー屋さんも多く見かけます。

どっちも本末転倒ではないかと私は思うのです。

もっとシンプルでよい
もっとあっさりでいい
そして、本当にしなくてはいけないこと、本当にして欲しいこと。
ここから目をそらさず、軸をぶれさせず、学び、実践する。

そんなことが、業界の古株になっているいま、思うのです。
シンプルでいい、あっさりでいい、本質を掴んだ治療を!

 

☆☆『観察ー見立てー相談ー方針を決めるーそこから始まる施術』

いまの私の治療院の場では、私が観察して診立ててというプロセスが非常に大きなウエイトをもっています。

米山自身が臨床経験が長く、観察が好きなことと、

患者さんご自身がこのプロセスを踏んだ治療を納得してくださっている。

そんな前提が出来上がっていると思います。

私自身、そんなプロセスがゆるされる治療院を持つ事ができたことが

とても嬉しいですし、またそんなことを理解してくださる多くの患者さんが

来てくださることが嬉しいです。

☆患者さん側の課題

患者さん側の課題もあります。

施術者が診る、観察する、東洋医学的な人間観から理解すると言うことに対して理解していただく。

そのうえで、症状を対応する治療を選んでいるのか、体力貯金の積み増しを考える治療を受けるのか、

この観点からの出発が必要です。

施術者側の観察、つまり身体の状態をみて、一つの東洋医学的な人間観に基づき判断するということが、必須な項目であることを患者さん側も理解することが大切だと私は思います。

☆☆肩こりから考えてみましょう

少し例題を出して考えてみましょう

35歳女性 このところ仕事が忙しく肩こりが辛い。
肩こりを楽にしたい

☆☆1)凝りをほぐすー局所のアプローチ

肩こりというのは、肩周辺の筋肉が凝って辛いということですよね。

この凝って辛いを、とりあえず解決するには、なでさすったり、マッサージをしたりして、凝りを解消することが求められます。

☆☆2)凝りをほぐすー全身のアプローチ

この、肩の凝りがなぜおこるのかなということを、症状的な観点から考えれば、背中や頭の筋肉まで広げて考えることもできますね。また全体の血流が悪いということであれば、足や手先を動かして、血流をあげる施術が功を奏すことも考えられます。

この2つの視点は、
患者さん側が、治療/施術側のやっているサービスメニューから選ぶことになります。

ここで、治療/施術に、まるごと一つの人間としてみるという体表観察を中心とした四診の観点をいれます。

☆☆3)肩こりという症状から一歩引いて、
まるごと一つの人間として全体をみる:メタ認知の視点

主訴が肩こりであるので、肩こりだけに注目し、肩こりの治療を考えがちですが、一つ視点をあげて、

・患者さんをそのままみる。そしてその身体に困っている症状である肩こりがあるという事を理解する。

という少し俯瞰した診方でみることが、過去から生き、今を生き、未来を生きる患者さんを診るということであり、人生の今を生きている患者さんのメタ認知的な観察です。

この視点があれば、全体の中で『肩こり』という問題がどの程度の問題なのか、この方に本来必要なこと、はなんなんだろうか?という発想につながり、人生を歩むときの大きな寄り添うとなるちりょうになります。

肩こりの治療という非常に一般的でシンプルな出来事でも、このように視点が変わると見える世界が変わるのです。

私の受けたい治療⑭   治療の種類、道具の選び使い方、お灸が大好き!

私の受けたい治療⑭ 治療の種類、道具の選び使い方、お灸が大好き!

さて、①-⑬まで長らくの私の臨床経験を語ってきました。

私はいつも、『自分が受けたい治療』を治療院でみなさんに提供したいと思っています。

その自分が受けたいという視点が中心。

書いていて、かなり厳しいこというな〜>自分!
とは思います。

うん、患者さんとして、このレベルのリクエストを突きつけられたら

困っちゃう治療者は多いと思います。

それでも、私はこんな治療を受けたいんだもんっていう、視点はぶれず、あえて難しいことも言おうとおもいます。

世の人は、この業界のありようや、鍼灸やマッサージがなにをしてくれるのか、何ができるのかということをご存知ありません。だから、

世の中の宣伝広告にパッと惹かれます。

ニーズに上手く応える、治療院のロケーション、時間設定も大事ですね。

また説明がうまいとか、サービスの点で納得というのもわかります。

わかるんです、それらも必要であってほしいということは理解できます。

それでも、あえて、私自身が、長らくこの東洋医学の施術を受けてきて、自分の身体をいたわり、大事にするために『自分が受けたい治療』があります。そしてそれを提供したいし、提供できる努力を続けたいし、受けたいんです。

さて、具体的に話していきましょう!

☆施術者の技量:人を診る観察力を持っていてほしい。

・ちゃんと、患者の身体をみることの技術と経験を持っていてほしいです。
・課題を解決出来る技量を持っていてほしい
・経験と実践の両輪がある施術者の治療が受けたい

 書いていてあたりまえの事ばかりなのですが、これ案外高いハードルなんです。

鍼灸学校というのは、国家試験の合格をめざすのが一番で、案外、技術的なことはサラッと一巡という感じで、その人の技術と経験をあげるには、そのあとの修行が何よりも大事。

そしてこの修行の道が案外険しいのがこの業界です。

他の医療職と違って、保険診療の枠ではないので、鍼灸学校卒業後も、数年の修行が必須だと思います。私自身も学校3年のあと、大学病院での3年、弟子入りなどをいれて、4年のガチ修業時代があり、その上で、いつまでも勉強であると言う日々はいまもかわりません。

☆治療の針、灸、道具について

・鍼灸ならばディスポの使い捨ての針を使って欲しい。
・お灸も、ただ暖めるだけではなく、しっかりやってほしい。
・鍼とお灸ならばお灸がメインで鍼が補助といった感じの治療がいい。

 鍼はディスポというのは、必須ですね。

色々なメーカーがあるのですが、私は日本のセイリン社製のものをつかっています。

値段は高いですが、やはり信頼。

お灸は、煙の問題があり、案外使うことが出来ない治療院も多いです。

また、お灸には本来、撚って(ひねって)火をつけて、ある程度のところで取るとか消す。リズミカルに施灸するというのは技術が必要で、修行と訓練がないとできません。

まあ代替としてセンネン灸などもありますが、これは治療の方向性として撚るお灸との違いが大きいです。撚るお灸が出来る上で使うセンネン灸タイプという技術は持っていてほしいですね。

温灸は、やはり換気装置が必須です。

当院では、治療院の中に8台の換気扇があります。

これってもうかなりすごい数です。

初めは4台でしたが、温灸の煙のすごさに窓用の換気扇を足しました。

温灸やるならばここまで設備が必要です。

そして換気をどんどんすれば、室内の温度調整もむずかしくなります。

お灸、温灸をするといった前提にたっての治療院作りが必須だと私は思います。

☆治療の刺激量

・鍼の刺激は穏やかなものがいい
・鍼が怖くないと思える治療がいい
・鍼を沢山打つ治療はイヤ。
・強い鍼の刺激の治療はイヤ
・電気でピクピクさせる治療はイヤ
・お灸で火傷ができるのはイヤ
・単なる温灸だけではなく、さまざまなお灸を使った治療がいい。

鍼治療というと、テレビで美容針をみたとか、なにかさしてぐりぐりしているというイメージの方が多いのかなと思います。

この鍼治療というのは、専門家であり、臨床の世界に30年近くいる私でも、『隣は何をする人ぞ』といういぐらい、実際にどんな治療になっているのかは、不透明な世界です。

ただ、どうしても、『治る』を追求すると,『強い刺激』を求めがちで、打った鍼にコードをつけ電気を流し筋肉をピクピクさせたり、神経、筋肉などを深く狙う鍼なども多くあります。山のように鍼を打つ流派、顔にもばあーっと沢山うつ美容針も最近見かけます。

そういったなか、私としては、鍼そのものの刺激は穏やかなものがよいです。

単に『痛くない鍼』や『刺さない鍼』ではなく、鍼を使って、シンプルで穏やかな施術がいいのです。これが私の受けたい治療です。鍼と言いながら痛くないとか、刺さないを追求すると、これはこれで、鍼のよさを難しくしているように私には思えます。シンプルに効かせる事のできる鍼灸を受けたいですし、施術したいです。

お灸は、昔は火傷をつくるのがお灸という時代もありました。

お婆ちゃんの背中に大きなお灸のあとがあったなどという薄い記憶がある方もいらっしゃると思います。これは打膿灸と言いますが、それはそれでその世界がありました。

私は自分が受けたいお灸で、火傷はなるべくない方がよいとおもっています。

ただし、お灸ですので、火傷が出来るリスクがあるのもしょうがないなと思います。

そのうえで、なるべく火傷は少ないお灸を受けたいです。

また、お灸というのは日本の文化に根づいてさまざまなお灸があります。

私はこのさまざまなお灸を楽しんで行きたいと思っています。

私の受けたい治療、だんだん明確になってきて、楽しくなってきました。

私の受けたい治療⑬ 心と身体と生きる意思

私の受けたい治療⑬ 心と身体と生きる意思

☆さまざまな臨床経験を通じて

日々の臨床は、さまざまなお悩みに一緒に解決していく道をさぐることになります。

このなかで、自転車操業的なその日暮らしと、日々をバックアップしてくれる体力の余裕資金があることの違いは非常に大きく、人生を左右するものだということを実感しました。

健康面で、人生の課題ができたときの選択肢は、

・まっすぐに、西洋医学に舵を切るべき方
・東洋医学や、漢方、鍼灸などの手入れが必要な方
・食事の改善、生活改善が必要な方
・目の前の体調だけではなく、余力の積み増しが必要な方、
・時間とタイミングが必要な方

いろいろな要素が、現在の『不調』につながっているのだなと実感するようになりました。そしてまた身体だけではなく、心の不調も身体とひとつとなり私達の健康に大きな関係性をもつことも実感できることです。

そしてもう一つ、『生きる意思』がその人の人生にとても大きな課題となっていることも痛感するようになりました。

☆現代を生きる私達の選択肢と生きる意思

食事は生きるということに直結します。
しかしながら、この食にまつわる、色々な思想信条、選択、そしてその結果を、
東洋医学的な四診の目を通じてみることは非常に興味深いことです。

私達には、それぞれ生まれ育った文化があります。
家庭があり、環境があり、その中で生まれ育ちます。

このなかで、『生きる意思』も大きな影響を受けて育ちます。

いつも精一杯がんばりたい
困難がおきても前に進む
勝負にはつねに勝ちたい
誰かと一緒にいたい
いつも自分が頑張らなくてはならない
やりたいことは精一杯やりたい
すっきりできる事が好き
この味が好き
この人が好き
面倒くさいことはイヤ
子どもが欲しい
怖いことはいや、
やったことがないことはいや

などなど

私達はさまざまな価値を持ち、『生きる意思』がその道の歩き方を決めています。

そして時にこの『生きる意思』は、心と身体をもつ私達の心身の器を越えた選択をしたり、無理を重ねる選択もします。

どうやって、この生きる意思が、心と身体をもつ私達を調和のある形で運転手となってくれるのでしょうか?

生きる意思と、心と身体の課題の乖離をよく見かけることも、臨床では多くありました。いや、自分の意思と、身体の課題が調和できていることのほうが少ないために、鍼灸にいらっしゃるということも多いのかなと感じています。

☆心と身体と生きる意思

東洋医学の世界では五臓で身体の状態を捉えます。

五臓:肝、心、脾、肺、腎

この五臓は1つの身体を5つの観点でみていくということです。

そして主に身体のありようをみていきます。

また、同じように5つにわけるときに、対応する感情として五志が考えられています。

肝→怒、
心→喜、
脾(胃腸)→思(思い悩む)、
肺→悲、
腎→恐

感情は、身体と直接的な関連性をもっていると考えています。
さまざまな出来事によってもたらされる感情と、その影響のある臓腑という
考え方はなかなか面白いものです。

そして、これにくわえて、私は、生きる意思ということを考えます。

基本的にこの意思は、肝とつよく関連性を考え、身体の気の昇降出入に大きな影響を与えると考えています。

その上で、私はこの生きる意思が、私達の人生の選択においてさまざまな局面であらわれ、強い影響をもっていると感じます。

つまり、心と身体のある私達を、この生きる意思が方向性を示唆するのです。

 心と身体の運転手

この図は認知行動療法を考えるときにつくりました。

そしてまさに生きる意思とは、この運転手なのです。

☆心と身体の運転手である『生きる意思』

私達は心と身体をもち、さまざまな出来事がある人生を生きています。

この運転手であるのが、生きる意思であり、生き方を選択していく『生きる意思』です。

この運転手である生きる意思は、身体の状態や感情を乗り越え、人生を歩んでいきます。

人生を豊にし、楽しくし、幸福にしてくれるのが『生きる意思』です。

しかしながら、面倒くさがったり、捻くれてみたり、突き進みすぎたり、中途半端にやめてしまうのもこの運転手である生きる意思です。

暴走してしまったり、逆走したり、
はたまた意味のないレースをしたり
高すぎる山を目指したり、
道のないところを走ろうとしたり、
自分の車(身体そのもの)のパワーにあわない運転をしたり、
せっかくの車の性能を生かし切らない走りをしたり。

心と身体の運転手である生きる意思と調和をとって生きることは非常に大切なことです。

私達は、この五臓の観点から身体を考え、感情を考えて養生します。

☆生きる意思である運転手が、自分の心と身体をしっかりと認識すること。

人生の運転をするときに、その目標と、自分の車の性能をしっておくことはとても大切です。またどの様な道を歩むのか研究しておくことも大切です。

たとえば、妊活をしたいひとであり、体力の余裕資金を積み増さなければならない状態なのに、どうしても日々の仕事、イベント、娯楽などを多く重ねる日常があたりまえになっている方がいらっしゃります。どうしても、多くの予定を入れないと満足や安心ができないのです。

このときに、身体と余剰資金の関係をしり、しっかりとご自身の生きる意思をもち、賢明な運転者となり、人生をドライブしていくことで、人生の目標を得て、新しい人生の扉を切り開いていった方と多くの時間を共有させていただきました。

妊活はときに、ご自身のいまある生活パターンをかえ、体力の余裕資金を貯める必要があることもあります。これは難しい、でも、それが達成できると、目標である妊娠にも自然と到達できることがある。そしてその後も、体力の余剰資金があるおかげで、出産も順調にのぞめ、子育ても無理がなく過ごせます。

余剰資金がないと、出産時のトラブルが引き起こされ、産後の1ヶ月は気をテンパらせてなんとかなっても、その後にどーんと産後のトラブルであるメンタルやリウマチ、喘息など虚損病を発症してしまうなどということもおこってしまいます。大きな違いです。

上手な人生の運転手であることは、いろいろなことがある、人生の荒波を受け止め、乗り越えていくおおきな助けになるのです。

自らの心と身体をしっかりと認識し、よいドライバーとなって、人生を歩んでいきたいものですねえ。

私の受けたい治療⑫ 2つの暮らし:自転車操業と余裕資金

私の受けたい治療⑫ 2つの暮らし自転車操業と余裕資金

妊活や、体調管理など、多くの患者さんを拝見できるということは、臨床家にとっては非常にありがたいことです。

そして患者さんのさまざまな訴えや、お身体を拝見することから多くの発見がありました。

☆生きることの二つのフェーズ:自転車操業と、体力の余裕資金

生きることは二つのフェーズがあることもこのころ痛感しました。

私達は日々を生きています。

その日々が、ただただ、一日をすごすことが精一杯なのか、

余裕があっての日常なのかは大きな違いがあります。

つまり、

自転車操業的な日々と余裕資金のある日々です。

自転車操業でも、なんとか、一日がすごせれば、生きていけます。

つまり、なんとか、今日食べた食事で、今日生きていける。

そんな状態です。

ただ、ちょっとした出来事、たとえば、『寒い』とか、『仕事がきつかった』『睡眠不足』などがあると、自転車操業的な体力では、このちょっとしたことに対して対応することが大変になり、全身の不調となってしまう方がいらっしゃります。

このちょっとした出来事を柔軟に受け止め、全身の不調にまで波及させないように

するのが、体力の余裕資金です。これは人間の体力でも同じ事です。

人生の様々な場面で、体力の余裕資金は私達の人生をバックアップし、安定させてくれます。

この体力貯金が妊活では、子宮を支え、赤ちゃんをはぐくみ、出産後の授乳、子育てを支えます。

また、寒い、熱い、忙しい、寝不足などがあっても、柔軟に対応出来るようになります。

この体力貯金がないと、ちょっとしたことがきっかけで、重篤な状態に陥ってしまいます。

風邪は万病の元といいますが、風邪がちょっとしたことで終わるのか、万病になっていってしまうのかも、この体力貯金が必要なのだなと気がつき始めました。

☆女性にとっての体力余裕資金

女性にとって、生理があるリズムが日常です。

卵胞が生理周期に并せ育ち、排卵し、子宮内膜を肥厚させ、

妊娠が成立しなければリセットとして生理がきます。

この生殖のプロセスを、しっかりとバックアップをしていくのが

余剰資金の体力預金です。

生殖の場合は腎気が中心となります。

体力預金がなければ、なんとか生理はきますが、

疲れた、緊張していた、冷えた、こんなことによって日常のリズムである

生理は乱れます。

また、生理周期の終わり頃の高温期が辛くなります。

生理そのものに疏通の悪さがあれば、生理痛がひどくなります。

また、妊娠の成立まで致らないということもおきます。

卵胞が充分に養われない、子宮内膜が充分に厚くならない。

こんなことが重なると、なかなか妊娠が成立しなくなります。

また、妊娠ー出産は素体に大きな負荷をかけます。

気血の虚損が生じやすいですし、出産そのものや、産後の夜間も含む育児は

体力を奪います。

体力の余裕資金がなければ、産後にメンタルが辛くなったり

リウマチ喘息などの虚損病が発症したりということもおこってしまいます。

妊娠などの生殖が、女性の人生において一番、体力の余裕資金があるであろう

年代に限られるのも納得ができますし、この時期の充実が強くのぞまれます。

☆なにかあったときの、火事場の馬鹿力が出せるように

この体力の余裕資金はなにかあったときに、私達を力強く守ってくれます。

つまり、『火事場の馬鹿力』です。

火事になった! そんな緊急事態に

ざくっと力をだし、力強く周りを守り、逃げる。

こんな力を密かに備えておくのが人間の身体のつくりです。

☆体力の余裕資金、積み増しの難しさ。

患者さんの話を伺っていると、この二つのフェーズがごっちゃごちゃになっているような方が多くいらっしゃります。

たとえば、『身体の体力をつけたいんです』と仰り、一生懸命マラソンしていますと。

この文脈、もともとの素体の力がある、つまり余裕資金がある方ならば余裕資金の積み増しとなるかもしれません。

しかしながら、体力の余裕資金がない、日々の自転車操業的な日常だけが精一杯な状態だの方が、こんな負荷をかければ、日常に大きな負担となり、単なる過重労働となってしまい、もともと少なかった体力の余裕資金を削ってしまう結果になってしまいます。

体力の余裕資金の積み増しは、案外難しいんだなということを痛感しました。