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『やるべきことはやって、あとは待つ』

やることやって、あとは待つ

色々な方が治療院にいらしてくださいます。まあ、鍼灸を受けに来て下さるのですが、そのお話しを伺っていると、あー人生ってこうやって勝負をしていくのかとつくづく学ばせていただくことが多いです。気がつかせていただくことも多い。

また、人生を歩んでいると、『決めなくてはならないこと』や自分の希望や目標に対してどう取り組んで行くのかと言うスタンスでも、あーーーそうなのねと学ばせていただくことが多々なのです。

とくに、感じるのは、難しい目標、困難な目標を突破していく人はとにかく、ぐずぐず言っても言わなくても、

『やるべきことはやって、あとは待つ』

この態度です。やることはちゃんとやる。できる限りやる。すかっとしています。ときに愚痴やぐずりも入りますが、結局やる。このプロセスに迷いや悩みがない(様に思える(^^ゞ)

そして、道を難しくする人、なかなか到達できない人の特徴は、

『出来ない言い訳をしながら、中途半端にやる』

もう、これに尽きるような気がします。

道を難しくする人、そういったケースの方でも、やるんです、やるにはやる。でも、本当にあれこれ言い訳しながらやるので、道が難しくなる。達成できなくなる。たぶんそんな経験が多いので、予防線をはっているのでしょうが、それがかえってストレスの種をまき、道を複雑にして到達できないんだと思うのです。つまり自分で自分を面倒くさい人にしています。もう一息なのに、到達できないコツ(^^ゞをみるような感じなのです。なぜそこで話を難しくするのかなあと。

これは私自身大いに心当たりありです。だからよりわかる。言い訳したくなります、ストレスも一杯感じます、他にいろいろな道もあるでしょう。でも、一つの事を目標にしているときにこれらのぐずぐずを持ち出すと、より道が曲がります。

『もう、いいんです私は。きがついたから違う道でもいいんです。やってもダメな気がするし、協力してくれる人もいないし、どうせダメだし・・・・』

わかります、そう言いたくなる気持ち。私にもあります。だからわかります。でも、だからといって途中で中途半端にする理由になるのかなあと思うのです。

目標があって、進みたいときには、あれこれ人に聞いたり、検索しても、答えはでるようででません。ただただ迷いを増やすだけのことが多いですよね。協力してくれる人のことを考えるよりも自分が何をやるかが大切。どうせダメかどうかはやってみてから判断すべきでしょう。

とにかく、静かに、淡々と『やるべきことはやって、あとは待つ』これがベストだと痛感します。私もそうありたい。

便秘に使うツボ間使、魚の骨が喉に引っかかったときも???

便秘に使うツボ間使、魚の骨が喉に引っかかったときも???

ツボってのの本があります。まあ、一応プロですので、それなりにもっています。でも、まあ本は本(^^ゞ。

そのなかで、ある私の経穴本にこんなメモが。この本は鍼灸学校時代から使っているのでたぶんこの薄い鉛筆のメモは学生時代に、先生の話を聞きながらちょこっとメモしたのだと思います。

まあ、今になって思うと、本当に突然魚の骨が喉にひっかかる事件なんてそうそう起こることはないし(^^ゞ、でっかいのが引っかかったら、内視鏡カメラで見てもらって取った方が現実的。

いったいこのメモはなにをいってんかなあと思いつつ、他の本には間使PC5:邪熱を疏す。邪熱ねえ、むむむと思いながら、ネットを検索すると、便秘に効く情報が沢山。そうなのねえとむむむ。

こういった、単独経穴のハウツーは面白いんだけど、私が素直に(^^ゞメモを書いたころは『そうか!魚の骨が喉にささったときには間使なのね¢(。。)メモメモ』とやっていたんだろうなあ、なつかしいし、その純粋な素人っぽさもいまとなるとかわいい。

で、まあ今ならばどうするのかと言われれば、本当の喉の詰まりだったら食道を内視鏡で見てくれる病院に行くようにとアドバイス。西洋医学的な鑑別は終わっていて刺さった感じがするというようなことだったら梅核気疑いかな。これはまた後日。

では、この間使がこんなにも便秘の治療穴としてなぜ上げられるのかをもうそっと考えてみましょう。

手という気の偏在を動かしやすいというところと、心包経の流注をみると見事に任脉おなかに行くんですね(と、確認(^^ゞ)。ですので、お腹の問題を動かしやすいところであるということが背景。

それでもって、実際に便通異常で使おうと思ったら、子午使いの私はまず胃心包の表裏を使って間使ー足三里。これは子午使い標準装備である内関ー足三里から心包の経穴をみて、胃経の経穴をみてってところで選びますね。足三里の状況をみて裏の脾経をみるのもよいかと。便秘に肝気の問題(肝鬱とかね)なども問題もはらんでいればそちらもみるかも。そしてお腹の力不足があれば腹部上の経穴(気海など)も入れていくと。つまりなんにせよ、便通が止まっている→動かそう→全体の動き調整→お腹の力不足(よーするに気虚気滞をそれぞれのレベルで考え切り分けるってことなんですが)

便秘っていっても、あれこれのバージョンがあるわけだけど、有名経穴はそれなりに理由があると思うので広げて考えると面白いかなあと感じまする。

便秘ってことでもう少し経穴(ツボ)を出しておきますね。間使ってのは手の内側にあります、で、その反対側のところにも有名なツボが。支溝といいます。ここも同様に足三里やお腹の大黄、天枢などのツボと組み合わせて使います。

私がお薦めなのは気海。お臍の下です。ここに力が入りますように!と願いをこめて温灸お灸します。

すっきりと出るといいねえ。

ストレスから来る情緒不安やメンタルのツボ:内関

ストレスってのは、なかなかやっかい。

私たち人間は社会で生きています。そのなかで、生きる意思をしっかりもって人生を歩んでいくことが
私という人の人生にとても大切にもなります。

そしてこの生きる意思がまっすぐに伸びやかであればいいのですけど、なかなかどうして(^^ゞ。

さて、そんなストレスからくる情緒不安やメンタル系のツボとして一つあげるのならば
私は内関(ないかん:PC6)が好みです。

好みといわせていただいているのは、ツボってのは、『出ているかどうか』が最大のポイントで
ただ、内関というツボが何やらストレスにぱこっと効くわけじゃないってことです。だからツボがでていることを見定めて、出ていれば『内関』を状況にあわせて使うという感じかな。出てなきゃ使えないのです。

どんな感じで出ているかというと、それは様々。まあ、緩んで弱っているケースが多いでしょうかね。それと、反対側の外関(がいかん:TE5)というツボも眺めてみると良いかと。こちらは自律神経系の調整に使えることも多いですね。出ている方、動きやすそうな方をとっていくわけです。

黄色の藤と、赤いイチゴ

うちのにわでイチゴがなりました。早く食べねば鳥に持って行かれちゃいます(^^ゞ

花がさいて、青い実がなったころには赤くなったらいいなあとは思っていましたが、虫などにやられて無理だろうなあとも思っていました。それが意に反して気持ちよく熟してくれて食べ頃に!このあと食べまーす。

庭には黄色い藤が咲き始めました。キングサリです。

金の鎖という名前のように、ゴージャスな雰囲気を醸し出しています。

豆科で種は沢山取れるのですが、実生で育ったことがありません。なかなかご機嫌をとるのがムズカシイ木です。藤はつる性ですが、このキングサリは立生の木です。つる性は他人様によりかかって大きくなりますが、立生の木は自立。このあたりもムズカシイ理由かも知れませんねえ。

それにしても、庭が楽しいです。

代理母を考える、不妊カウンセリング学会での討論を通じて

不妊カウンセリング学会、養成講座での急遽ディスカッションになったことがありました。
(10年ほど前のことです、確か、演者が急病で欠席ということになり、フリーディスカッションが企画されました)

このディスカッションで話題になったのが、代理母でした
つい先日、丸岡いずみさんがロシアで代理出産を経てお子さんをさずかりましたね。

いまから10年前のディスカッションでした。産婦人科医、ナース、そして不妊治療にかかわる様々な人が集まる場でした。その会場で討論にくわわったかた(Hさん)と後日ネットで意見を交換することができました。

私とHさんとのやりとりです。

私『私は、日曜日の午前最後の講座?が意外と面白かったです。代理母と提供卵という話が中心に、沢山の体験談が出てきましたね。肝臓移植や腎臓移植と代理母を一緒に考えてはいけないのか?という壇上からの問題提起に、「子の立場」から考えるというお返事をなさった方(私は後ろのほうにいたのですが、後ろから見て、会場前方左側の方で、話し方のアクションに惹かれました)のご意見にひきつけられました。

生殖医療、生殖の問題は本当に、国により、環境により、立場によって意見が違うのだなとまざまざと見た思いです。』

Hさんからのお返事
よねやまさん、書き込みありがとうございます。

急遽設定されたフリーディスカッションが一番興味深かったですね。
会場の方からのディスカッションの最初に発言したのが私です。

臓器移植と代理母の決定的な違いは、提供される側の生命や健康が、その医療技術が提供されなかった時にどのくらい損なわれるかという点だと思います。
臓器移植を受ける方は、その移植がなければ健康が著しく損なわれるか生命の維持が難しいわけです。
一方、代理母を望まれる方は、例え代理出産をしてもらえなくても身体的な健康や命は脅かされません。
もちろん、「子どもを持てない」ということが、その方の社会的・精神的・スピリチュアル的な健康は損ねてしまうかもしれませんが。

「子どもの立場から」というご意見には、一部賛同一部疑問という感じでしたね。
私は「子どもはその親を自ら選んで産まれてくる」と考えております。なので、この世に生まれ出て来れただけで、その子どもはすでに幸せになるチャンスは手にしているのではないかと感じています。不妊治療の方にだけ「子どもの幸せまで責任を持て」と言われるのはおかしい、というドクターの意見に納得でした。

この問題は、立場が違えば当然意見も違ってくると思います。
後半に出た、「お産は死ぬことがあるもの」という認識を持っているのは、やはり産科医療現場で働くものにしかないでしょう。
私も、代理母が命を懸けることになるかもしれないという点が、代理出産に手放しで賛同できないもっとも大きな理由です。
もし私が子宮を失っても、自分の母親にそんなリスクは決して負わせたりはしないと思います。』

私からのお返事

そうなんですよね、あのフリーディスカッションが私も一番興味深かったです。
次回から定例にしてもらってもいいぐらいだと思いました。

もしかしたら、緑色のお洋服を着ていらっしゃいましたか?
発言の順番は記憶していないのですが、もしかしたら?と思いました。
私は、そのもう10列ぐらい後ろにいました。その方は、確か、お知り合いが
結婚したいと思う相手が自分が子供を生むのがイヤだから代理母を頼んでいいか?と相談されているというお話をなさった方だと思います(記憶が混乱していたらごめんなさい)私は自分が生みたいくないから代理母をなんてすごいことをいう女の人が世の中にはいるもんだなあ(^^ゞとぽかんと口があいてしまいました。

前日の、根津先生のお話が土台にあったのもよかったですね。
私の身近でも根津先生に相談に行った方がいらっしゃったりして、どんな
先生なのかと興味深かったのです。また、あれだけ世間で話題になっている
先生ですので、断片的でないお話が聞きたいとも思っていましたので。

私は、基本的な姿勢としては代理母反対です。やはり、代理母の生命の問題も、ありますし、私は親子関係の複雑さを考えると、反対です。また、私が子宮を失って代理母しか我が子を抱くことができなくても、自分のために母に頼もうとも思いません。しかしながら、会場でもお声があがっているように、私も娘を持つ母でもあります。もし私の娘が不妊で、娘のために私が代理母をすることで彼女に赤ちゃんが出来るのならば、私は万が一私の命がそれで終わっても産んでやりたいと思います。代理母、総論反対各論賛成のダブルスタンダードになってしまう自分に気づかされたセッションでした。』

Hさんからのお返事

よねやまさん、お返事ありがとうございます。

>もしかしたら、緑色のお洋服を着ていらっしゃいましたか?

はい、その発言をしたのが私です。
「人に産んでもらって子どもを持つということが個人のエゴであってはならない」ということを言いたくて、あの例を出しました。

>代理母、総論反対各論賛成のダブルスタンダードになってしまう自分に気づかされたセッションでした。

立場が違えば、当然考え方も違ってきますから、ダブルスタンダードにはなりますよね。
親の立場、本人の立場、産まれてくる子どもの立場、医療者の立場・・・何が正解かよりも、どうすればよりよくなるのかを常に考え続けて、問題点をクリアにしていくことが大事なんだと思います。

代理母という選択肢があることは悪いことではありませんが、それ以前に「子宮を失わなくてすむ努力」は必要なことですから、やっぱり教育・啓発が大事だなと感じました。』

熱い議論がかわされた会場でのやりとりを思い出しました。

子供をもつ、ということについて、沢山の問題、課題がありますね。
そのなかでどのような選択をし、生きていくのか。考えさせられる課題ですし、
昔から、そしていまも結論はでていない問題だと思います。