投稿者「ビッグママ治療室」のアーカイブ

第二章 賞罰のない育児

第2章  賞罰のない育児(聴き上手になろう)

 

うーん、どうも今ひとつワードプレスのブロックエディタになれないっすねえ。
表示はnoteの方が良いので、このシリーズを読みたい方は、よかったらそちらでどうぞ。
note版 第二章

スマイル:聞き上手になろう

1)子どもが負の注目を得ようとする2つの場合

 ・親が適切な行動に無関心で正の注目を与えていない

 ・親が与えた課題が難しすぎる場合

2)批判は子どもの勇気をくじく

 ・親は子どもを批判することが、子どもの勇気をくじいていることにきがついていない

 ・批判された子どもは臆病になる

3)罰の望ましくない5つの効果

・罰する人がいなければ不適切な行動をする

・罰は負の注目をあたえたことになり、不適切な行動が続く

 (無関心よりはよい、親の関心を引ける)

・罰では適切な行動を学習できない

・罰は勇気をくじき、消極的、依存的な子どもにする

・罰を与えると親を憎み、親子関係が悪くなる

4)罰する代わりにできること

・不適切な行動に注目を与えない

・適切な行動を見つけて認める

・適切な行動をしている他の子どもに感心をむけりう

5)聞き上手の

初級編

・相づちを打つ

・相手の言葉をくりかえそう

・黙ってしまったら、それで?などと水を向ける

・相手の話は最後まで聴く

上級編

子どもの気持ちを言葉に出してみる
あなたの気持ちを言ってみる

子どもとの視線や距離について工夫してみる

声の調子や顔の表情に気をつけよう

パセージ:賞罰のない育児


1)どんな場合に子どもは適切な行動をするか

1:罰を恐れて適切な行動をする

 →伝統的な育児や教育はこの方法。短期的には即効性があるかもしれないが、長期的によくない

2:賞を求めて適切な行動をする

→子育ての目標から考えると適切ではない

3:適切な信念に基づいて適切な行動をする。

→適切な信念、1・私には能力がある、2・人々は私の仲間だという信念に基づいての行動は子どもが自立している

☆厳しく躾けると(エッセイ風)

 甘やかされて育ったのが非行少年?→違うねえ。厳しく育てられた結果、親や社会に復讐しようとしている。人々のことも嫌い、自分のことも嫌い。自分を大切にしていない。1・私には能力がある、2・人々は私の仲間だ とという信念をもっていないとこうなっちゃうね。

 罰での子育ては、「自分のことは無能力で役立たずでイヤなやつだと思っちゃうし、人々はウソつきで裏切り者で信用できなくて敵だって思っちゃう」

 暴力的な子どもは、体罰で躾けられた子どもが多い。暴力が人に言うことを聞かせられるんだなと学んでしまう。→親が教えたかったことを学ぶのではなく、親がしてしまったことから学んでしまう

2)罰の好ましくない副作用

1:罰は負の注目になる

 罰の唯一の利点は即効性がある。「無関心でいられるよりは、罰せられてでも親の注目を引いている方がいい」

2:罰する人がいなければ不適切な行動をする

 善悪の判断が、叱られるか、叱られないかとなり、自分の内側に善悪の基準をもたない

3:親子関係が悪くなる

 罰せられると、親は自分のことを嫌いだ、私を支配しようとしてしまうと感じる

4:罰は子どもを消極的にする

 罰では適切な行動を学べない

5:適切な信念が育たない

 罰せられた子どもは、「私には能力がない」「親は私の中まではない」と感じる事が多い。子育ての目標を達成できず、自立せず、社会と調和できない

アドラー心理学ってなに

 アドラーは明治3年生まれで昭和12年になくなった。

アドラーは戦争をやめさせたかった。戦争は国際間の問題を解決するのに、暴力という方法を使う。これは子どものころから暴力で解決する習慣がついているからだと考えた。

 その上で賞を使う育児もアドラーは反対した。過保護も、過干渉も、放任も反対。そして勇気づけという新しい方法を打ち出した結果、旧来とは全く違う育児法が出来上がった。

アドラーは積極的に新しい方法を提案しているのであって、アレもダメ、コレもダメとただ反対しているのではない。

3)賞の望ましくない効果

1:賞を目的に行動するようになる

賞をもらえることが目的になり、勉強することの必要性を学べない、楽しさに目覚めることができない。

2:賞をもらえないとわかると、適切な行動をしない

賞を駆け引きの材料に使ってしまうかも

3:賞が次第にエスカレートする

4:結果ばかりを重視する

ご褒美を貰うために手段を選ばない

5:初めからあきらめてしまうかもしれない

☆賞と勇気づけはどこが違うのエッセイ

賞と勇気づけの違いは目的。勇気づけは子どもが適切な信念を持つように援助すること。賞は行動のことは考えているけど、信念ことは考えていない。

 褒めるっていうのは、一歩間違えると、上から目線で勇気づけにならず、相手の勇気をくじいちゃうのだ。1・私には能力がある、2・人々は私の仲間だという1・私には能力がある、2・人々は私の仲間だとを育てることがとっても大切で、勇気づけはそのためにあるのかもしれないねえ。と。

4)子どもの話を聴く

1:話しを最後まで聴く

 途中で口を挟まず、子どもが話し終わるまで黙って聞こう

2:子どもの方を向いて聞く

 子どもの方をむいて、子どもの話に関心を持っていることが伝わるように聞こう

3:相づちをうつ

 うんうん、なるほど、 それで? などや、感想などの相づちを挟むと、子どもは聞いてもらえていると感じてもっと話すようになります。

4:子どもが黙っていてもせかさない

 話の途中で黙ってしまったときは、考えをまとめているかもしれないので、目安として20秒ぐらいはまってあげるとよいでしょう。それでも続かないときは「それで?」などと水をむけるか、最後に話したことを繰り返す

☆相手の言うことを繰り返すのは エッセイ

 心理学でよく、「相手の言うことを繰り返して聞きなさい」とならいますね。実際にやるとこれはうまくいかないです。

 これは日本語と英語の違いかなと(by野田さん)

英語:意見→事実 感情→事実

   私はこう思う、どうしてかというと

   私はこう感じる、どうしてかというと。

日本語:事実→意見、事実→感情

こうこうなので、こう考えた

こうこうなのでこう感じた

日本語と、英語では文章の順番が違います。繰り返しでは最後の言葉を繰り返すので、日本語だと、意見や感情を繰り返すことになり、話しが主観的で感情的な方向にながれてしまう。

アドラーでは感情に焦点はあてず、事実や、それに対する態度決定とかのほうが、問題解決につながる。

つまり、ものごとがおこっている「事実や事態」の解決のために援助することが目的なので、感情に焦点を当てた繰り返しでは、出来事の正しい理解や対応が進まなくなってしまい、援助がしにくいと思われます。

5)再び勇気づけ

1:子どもの立場で勇気づけられるかどうか感じてみる

子どもの立場になって、感じてみよう。親の自己満足じゃダメ

2:罰は勇気づけにはなりません

罰しても1・私には能力がある、2・人々は私の仲間だ と感じられない。適切な行動をしていても、罰を恐れて臆病になっているだけかも。かえって目標から遠ざかります

3:賞は勇気づけにはなりません

賞は賞と紐付いた関係しか築けない。賞で育てると結果だけを重視して失敗を恐れる臆病な人になってしまう可能性があります。

4:勇気づけは激励ではない

激励で元気になってやる気をおこすこともある。しかし場合によっては、やる気を失い、絶望したり孤独感を持つ可能性もある。

☆勇気づけと勇気くじき 一覧表

勇気づけるメッセージ

勇気をくじくメッセージ

貢献や協力に注目する

賞杯や能力に注目する

課程を重視する

成果を重視する

すでに達成できている成果を指摘する

なお達成できていない部分を指摘する

失敗をも受け入れる

成功だけを評価する

個人の成長を重視する

他者との比較を重視する

相手に判断を委ねる

こちらが善悪良否を判断する

肯定的な表現を使う

否定的な表現を使う

私メッセージを使う

あなたメッセージを使う

意見言葉を使う

事実言葉を使う

感謝し共感する

賞賛し叱咤激励する

空気は読むモノじゃなくて吸うもんだい!

ワードプレスの整理整頓をしていたら、下書きにたまったものの原稿が一杯。
あーー書いたところで満足してそのまま放置したんだな・・・。
自分らしいいい加減さに納得。
私はこうやって書くことが大好き。
そこでおわっちゃうのよね。ここからちゃんと整理整頓できる人になるぞおおおおお!

そしてもう一つ、パソコンスマホの最大の恐怖はアップデート。
自分が慣れた環境が勝手に、OSのバージョンアップがされ、みたことのないような
画面に・・・・・

それは、たとえば、ある日突然冷蔵庫が全く違う形の、全く違うドアノブがついていて、
あけかたも、冷凍庫の位置も、野菜室のスライドもかわっている。
えーー前のが慣れてていいのにっていっても、かわっている。
その冷蔵庫になれて、使えるようにならなければ、冷蔵庫無しの生活になってしまいます。パソコンスマホ、恐怖のアップデートについていくべく、
頑張っていくしかないね。

ワードプレスも、ブロックエディタになれるぞおお。
下書きに入っていた以下の文章、ちょうど去年のいまごろかいています。
1年前に戻るぞお

空気は読むモノじゃなくてすうものだ!(2022年11月)

最近の世の中、本当に空気が吸いにくいです。

そらは青空で、気持ちのよい日々

秋が深まり、富士山もキレイ

うちから歩いて三分ほどで海岸にたどりつきます、
相模湾を見渡し左は房総半島、そして写真の右手は真鶴半島から箱根連山へ。
うつくしい、うつくしい、大好きな風景です。

相模湾 海

それなのに、空気が吸いにくいよのなかでやんなっちゃいますねえ。

病院のコロナ隔離病棟にいる律子は元気かなあ。
りっちゃんといろんなところで美味しいもの食べたよね

また中華街でなんかたべようよ。
(1年後の今の律子は、退院後、すっかり認知症が進んでしまい、語彙が減り、私のこともわからないような、わかったような。ちょっと寂しい状態になってしまいました。ときおどき美味しいどら焼きをもっていって食べて貰いますが、さくさくさくっと食べ、私とコミュニケーションという感じはなくなっちゃっています、寂しいね。でも、元気だからいっか)

まあ、そんな人間世界のあれやこれやですが、

猫先生達は、のーんびりとお日様の陽をあびて、

秋の深まりを楽しんでおられます。

秋の深まりを楽しむ、テマリちゃん→空きの日だまりを楽しむテマリ

先般、畳の裏返しをしました。

4年ほど前に畳を変えたので今回は表替えはせずに裏返しだけ。

すごくキレイになってすがすがしい感じです。

でもって、朝起きるとそこには猫先生のゲロ、

げろ、

げろ〜。

しっかりとキレイになった畳に染みの洗礼が。

人間の浅はかさを笑うかのようなそのおこないは

諸行無常の響きありですねえ。

誰がやったんだい、だれが!

犯人は、

1:ツキミ姫、推定16才のおばあcあん

2:テマリ、推定4才のお姉ちゃん

3:ギルバルス、推定2才のやんちゃ小僧

まあ、たぶんツキミじゃんだろうけなあ。

多少シミがあったって、キレイな畳はきれいで

気持ちいいです。

とくに、日だまりで猫先生が寝ているこの部屋の空気は

本当にほっこりして幸せで満たされています。

うーん、幸せ

この空気を吸えることがしあわせだわね。

第一章 5)勇気づけ

5)勇気づけ

スマイルとパセージの大きな違いの一つに、勇気づけを出してくるタイミングもあります。スマイルは第三章で初めて出てきます。
第一章で子どもの行動を理解しようとし、正の注目負の注目、不適切な行動などを学び、第二章で聞き上手になろうとし、負の注目、罰、聴き上手ということを学び、その上で、第三章で初めて「子どもを勇気づけよう」という観点を学びます。

パセージでは最初から勇気づけがでてきます。
つまり、勇気づけはアドラー子育ての中心であること。そしてこの勇気づけはアドラーの価値である子育ての目標を踏まえれば、技術的な細々としたことより、ぐっと近い立ち位置なのかなと思います。つまり子育ての目標である1・私には能力がある、2・人々は私の仲間だを踏まえることをしっかりし、その表現をあれこれと学んで行くんだよというのがパセージのやり方なのかなと感じます。

勇気づけをはじめよう

1.適切な行動や適切な側面を探そう
2. 短所ではなく、長所に焦点を当てよう
3. 結果よりも、プロセスを重視しよう
4. 子どもの成長を認めよう
5. 他の子どもと比較しないでおこう
6.親子は仲間です。

なぜ勇気づけなのか、勇気づけって何?
勇気づけってなに?

アドラー心理学の子育て方は「勇気づけ」という言葉にあらわされるのではないかと思います。

さて、その前提として、アドラーを踏まえた、行動の目標、つまり子育ての目標をおさえておかなければなりませんね。

アドラーでは子育ての心理的な目標を2つあげています。

子育ての目標(行動面)
1)自立する、2)社会と調和して生きる
子育ての目標(心理面)
1)私は能力がある 2)人々は私の仲間だ

この2つの目標を達せられるように、子供に対して援助していくことが、勇気づけです。

行動面の自立するを達成する心理面のありようは「私には能力がある」という気持ちです。そして社会と調和して生きるためには、人のことを信じることが出来ることが必要で、「人々は私の仲間だ」と思えることが大事です。

人間関係、まず親子からですね。

音読が好き!アメリカ独立宣言

 

ワードプレスの、新しいやりかたいつまでも抵抗していてもしょうがないので、まあ少しづつ慣れようかな(^_^;)。

ってことで、がんばります。

この2,3年、私は英語の音読にはまっています。
これがなかなか気持ちがいい。意味がわかってなくても、ただただ先生と交互に読んでいきます。つまりカラオケを歌っているのと一緒ってことです。合唱だわね。

そのなかで、最近、はまっているのはアメリカの独立宣言。もともと、キング牧師の

I have a dream にある一節。

“We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal.”

これがどうしても理解出来なかったのです。この一節はオバマさんのスピーチや、ネルソンマンデラなどなど、さまざまなスピーチで出てきます。これはなぜ??と考えあぐねているとソース(源)は、ここの、アメリカ独立宣言だよとある方が教えてくださり、あーーと納得。それからこの独立宣言を読むようになりました。

アメリカの独立宣言

これは音読してわかるのですが、ものすごく難しいです。

今まで読んできたスピーチと違ってとにかく読めない。なんで?と考えていると、またその方が教えてくださりました。



時代と書き言葉

スピーチは演説、つまり話し言葉でみんなに説得し、勇気づけるためです。この宣言は、書き言葉。そして時代が250年ほどまえ。つまり古典なんですよね。この壁がもう高い高い(^^;)

音読では、意味も考えずにただただ読んでいるので、今回は少し意味を考える実験をしたいと思います。がんばっちゃお。

The Declaration of Independence 独立宣言

The unanimous(満場一致の) Declaration of the thirteen united States of America,
アメリカ合衆国13ヵ国の満場一致の宣言。

When in the Course of human events(人間の出来事の過程で、), it becomes necessary for one people to dissolve(解散する) the political bands which have connected them with another,

(ある民族が、彼らを別の民族と結びつけた政治バンドを解散することが必要になります) and to assume(仮定する) among the powers of the earth(そして地球上の力の中で仮定する), the separate and equal station to which the Laws of Nature and of Nature’s God entitle them(自然の法則と自然の神の法則がそれらに権利を与える分離された平等な立場), a decent respect(まともな尊敬) to the opinions of mankind (人類)requires that they should declare the causes which impel(押しやる) them to the separation.人類の意見をきちんと尊重するには、彼らを分離にさせる原因を宣言する必要があります。

人類の歴史において、ある国民が、他の国民とを結び付けてきた政治的なきずなを断ち切り、世界の諸 国家の間で、自然の法と自然神の法によって与えられる独立平等の地位を占めることが必要となったとき、 全世界の人々の意見を真摯に尊重するならば、その国の人々は自分たちが分離せざるを得なくなった理由 について公に明言すべきであろう。

 

寒天のオタク道は続くーその2

寒天の道は続く

1度凝り出すと、トコトンまでやりたいというのがヨネ婆ちゃんの道。

毎日、毎日、まいにーーーち作っています。

まあ、孫1,2号が毎日夕食後に「デザートは?」と聞いてくるのでちょうどいいってのもありますね。いままでは果物を切って出すのが定番でしたが、それに寒天も添えたり、寒天寄せがメインだったり。面白いです。

これはカルピス寒天。
初めに、カルピス50,水450で作ったら、「薄すぎてまずい! カルピスの味がちゃんとしない」と大クレーム。甘味控えめな私の失敗・・・。
カルピスは最低100,150でもいいですね、そして残りが水。寒天4㌘ならトータルで500ccです。

 

 

これは前日に牛乳寒天を作り、残りのパインをドボドボ。
「この量じゃ足りないよ〜」っていったんだけど、孫1号あっちゃん4才が「入れる!」というので。

これはカルピス天にしました。

 

 

 

最近は、粉の大袋も買って、㌘をはかります。

基本は4㌘。

 

4㌘は水分500ccが基本ですね。そのうちの200ccの

水分で2分沸騰させるが基本

計量も、孫1号が大好きな作業。

微妙な計量だからあきこがやりたい〜のだけど、まあ一緒にやろう!

 

 

 

 

これは、昨日作った牛乳寒天。ちょっと慌てて作り、ミカンを入れるタイミングが遅れたために、なんかミカンがわさわさです。

500ccの寒天ですが、1回のデザートで完食です。

パクパク食べるお口が、爺、婆、とったん、カヨ(まま)、孫1,2号と大勢です。この上ピヨピヨ3号の授乳中の女児が参入したら(^_^;)。婆ちゃんの口には入らんかな。まあいいかあ。