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私の受けたい治療⑦ 自由にやりなさい、責任は持つから

私の受けたい治療⑦ 自由にやりなさい、責任は持つから

大学病院の東洋医学科では、ドクターのみたてのあと、漢方の処方がおこなわれたり、鍼灸治療が行われていました。

大學病院ということもあり、醒脳開竅法や、パルス通電など、どちらかというと、強めの鍼灸が多く行われていました。

 

☆『あなたの自由にやりなさい』というS先生のもとで

私は、どうしてもキツい針、強めの治療が好みにあわず、温灸やお灸を使いながら、いままで勉強してきた知識を使い、あまり痛くない穏やかな鍼灸を大學病院の場で実践してみました。

 

☆理論を実践を通じてやってみることの出来る場

私には、『自分が受けたい鍼灸を実践したい』という思いがありました。

漠然とした思い。

これは実力がない鍼灸を受けたいということではありません。

しっかりとした効果があり、その上で心も身体もほっとやすらぐ

臨床の場を作りたいという思いです。

責任は取ると先生がおっしゃってくださる大學病院という

異空間は私にとって、非常によい学びの場となりました。

☆☆頸椎の痛み『今回が一番早く治った』

ある若い男性患者さん。

過去になんども、頸の痛みで来院していました。

私は、首そのものも辛いけど、その前段階で、胃腸の力が弱く、

身体を温め養う力の不足があるから、首の経絡経筋を養いきれずに

症状となっていると見立てました。

そこで、まず温養脾腎を行いました。

その上で、傷めている首の経絡経筋を手入れするという二段階。

2,3回目の治療で患者さんから

『今回の治療が一番が、一番早く治った気がします。いい感じになりました。』という

お言葉を頂きました。

 

☆☆自分の治療の軸ができた

これは私にとって大きな一歩でした。

弟子入りした治療院での治療や、すご腕先生方の治療も素晴らしいものでした。

その上で、自分がやってみて、治療として納得ができ、

効果的だと思えるものの片鱗が確立できたときでした。

自分自身の見立て、方針。

具体的な鍼灸治療のデザイン

実際に他の治療との比較での結果

これらは、この大学病院での過去のカルテ、西洋医学のカルテなどを

自由にみることができ、自分自身が自由に治療を組み立てられるという

環境で生まれたことでした。

本当に、あのときの、あの場。

S先生の見守りに感謝です。

☆精神科の患者さん

私が担当していた中で、意外なほど多かったのが精神科を受診中の方々でした。

当時のひよっこのの私は、鍼灸の適応に精神科疾患?と謎に思っていましたので、

どうアプローチをしていくべきなのかなあと悩みましたが、西洋医学的な病名にとらわれず、シンプルに東洋医学でみたてた、自分の方法でのアプローチをおこないました。

つまり、問診、体表観察、弁証論治です。

そして、体調の改善は、結局、メンタルの改善につながっていたように思います。

また、いまは認知行動療法を学び、メンタルの改善に、認知行動療法や。マインドフルネス、いま自分の身体を感じるといった、東洋医学的な気のベクトルを落ちつかせる方法がたくさん実感として効くと思っています。これも、大学病院時代の修業のおかげです。

 

☆☆3年にわたる研究、研修生

1年間ということでしたが、結局私自身は3年にわたり、大学病院の東洋医学科に籍を置き、

臨床を積み重ねることとなりました。

このなかで、幸いなことに私の患者さんは、継続的に鍼灸治療に

いらしてくださる方が多く、その後の私自身が作り上げていく鍼灸治療の大きな礎となりました。

私の受けたい治療⑥ 3年間の大学病院東洋医学科での鍼灸治療

私の受けたい治療⑥ 大学病院での3年間にわたる鍼灸治療

私は、大学病院で、鍼灸をやっているということそのものを知りませんでした。

鍼灸っていうのは保険診療外ですから、一般の病院ではなかなか取り入れられません。

それだけに、大学病院の東洋医学科は非常に新鮮でした。

東洋医学科はドクターが漢方を処方し、鍼灸師が鍼灸をおこなうということになっていました。

病院でやっている鍼灸。治療院とは違う世界があるのかなとワクワクしていました。

また漢方の処方も多く学ぶことも多いだろうなとも思いました。

沢山の事を学べそうな気がしてワクワクしていました。

☆指導医S先生 『免許持っているんだから自由にしなさい、責任は自分がとる』

研修生は指導医ごとに2つの斑にわかれました。

私の指導医はS先生。

S先生が教えてくださるんだなーと思っていると

『あなたはすでに免許を持っているんだから、自由にやりなさい。何か起こったときの責任は自分がとるから』と仰って下さいました。

え?教えてくれるんじゃないんですね、とビックリしたものの、

自由に好きなように鍼灸をしていいということは私にとって大きな出来事でした。

☆患者さんを実際に受け持つ

私がついたS先生は放任主義というか、まかせてくださる先生であったこと。

これはもし、免許取り立てで実際の臨床を見たことがない人だったら

大きな戸惑いだったと思います。

幸いにして私は、卒業してからの1年、多くの患者さんを治療なさっている

先生方のアシスタントをしていました。

ですので、ポンッと任されても、それなりに一人の患者さんを診て

治療をする見聞はありました。あとは実践のみ、経験を積んでみよう

という段階でした。

☆大学病院東洋医学科での、鍼灸治療を希望する患者層

いままでの一般の鍼灸院では、看板やチラシをみて来たという方や

紹介で来たという方が多かったです。

体調管理というメンテナンスだったり、整形外科的な痛みなどの方が多かった感じでした。

大学病院東洋医学科での患者さんは、

1)東洋医学科をめざしてくる方
2)入院中で他科からの紹介の方

3)他科へ通院中で紹介の方

こんな感じだったと思います。

入院中の場合は、脳梗塞などの後遺症で片麻痺がある方が

おおくいらっしゃりました。

これは醒脳開竅法という鍼灸メソッドがあり、

かなり取り入れている状況だったからだと感じました。

漢方の投薬を受けにいらっしゃる方も多く、

また当時海洋深層水の研究もなさっていたような記憶があります。

でも、ひよっこは日々目まぐるしくついていくだけだったような

感じでした。

また、なぜか私の患者さんは、精神科との並用の方も多かったです。

私のイメージに、精神的な課題と鍼灸というのはつながらなかったのですが、

多くの方々をみていくうちに、視点がかわっていきました。

☆数多くのカルテをみて学んだこと。

大学病院で大きな出来事は、カルテをみることができたことです。

自分が弟子入りしていた治療院の先輩方が担当していた患者さんも多く、どんな治療をこの場でしていたか手に取るようにわかりました。

カルテには、経穴だけが書いてありますが、それを実際にどのように使っているかということは、案外分からない盲点です。

しかしながら、私は弟子入り経験があり、このカルテをみれば、何をしていたのか

具体的にイメージができ、よく理解できました。結果も書いてありますので、非常によい資料でした。

その上で、自分が問診し、見立て、実際に臨床していくことは、面白かったです。

諸先輩方の治療を踏まえて自分の治療を組み立てる。

何が起こっても、責任はS先生が取ってくれるという信頼は

大胆な治療を私に許しました。

☆このお話は、25年以上前の大学病院での出来事です。現在、同病院には東洋医学科はなくなってしまっています。時代はかわりますねえ。

私の受けたい治療⑤ 弟子入り3年しないと、大学病院での研修は認めない

私の受けたい治療⑤ 大学病院で研修生にならない?

免許を取ってすぐ、すご腕先生が3人もいる鍼灸院でアシスタントをし、

その後、鍼灸専業の治療院に弟子入りして、半年もしたころ。

卒業した鍼灸学校から連絡がありました。

『東海大学大磯病院の東洋医学科で研修生を募集しているからいってみない?』と。

 

もう、この2024年現在、東海大学大磯病院はなくなっちゃいましたねえ。
懐かしい思いがします。

この話は、当時弟子入りしていた治療院の諸先輩方から伺っていました。

大学病院では、実際に自分の患者さんをもって鍼灸ができるから、やりがいがあるよと。

 

☆大学病院で研修生になるということ。

この大学病院東洋医学科は、かなりまえからありました。
また、日産玉川病院の東洋医学科もよく話しに聞いていました。

しかしながら、私が卒業した年は、ちょうど指導医の先生がかわられ、

募集がありませんでした。

それが、翌年から研修生の受け入れを再開し、
鍼灸学校時代にわりと成績がよかったという理由で(^^ゞ、
私にお誘いがありました。

弟子入りは、あくまでも、アシスタント。お灸はしますが、針を自分自身がすることはありません。つまり自分自身の責任で患者さんを診ると言うことがないわけです。

それが、大学病院ならば、実際の患者さんを受け持つことが出来るとのことでした。

私は、『実際にやってみないと何もはじまらない』と思い、大学病院入りを決意

☆弟子入り三年しないと認めない

治療院の先生に、『大学病院での研修生になりたいです』というお話をしました。

すると、『3年弟子入りしないと認めない』とのおこたえ。

うーーん、と迷いました。

それまでの方々は、学生時代から弟子入りしたり、卒業と同時にスタートしたかたです。つまり大学病院と弟子入りが同時進行だったのです。私は卒業年次に大学病院の都合で研修生を募集していなかったので、すでに弟子入りしている状態での大学病院入りとなりました。

日程的には、調整すれば両立はできたと思います。
ただ、弟子先の先生は、こうとおっしゃれば変更はありません。
つまり交渉の余地はないわけです。

それ以前の諸先輩方がどうであれ、先生は、

『3年の弟子入りが先だ、研修はそのあと』とのお返事。

うーんと考え込んでしまいました。

 

☆☆迷いながらも、自分で実際にやれる大学病院研修生を選択

大学病院の研修と、弟子入りが両立しないことは、則ちどちらかを選べということです。

私は、実際に患者さんを治療したいという思いが強く、大学病院入りを決意しました。

鍼灸学校での3年と、治療院での弟子入りと、すご腕先生とのアシスタントで過ごした1年。

大きな学びがありました。
これは本当に大きな学びでした。

ノウハウを学んだというよりも、
患者さんは、身体の治療やメンテナンスをしたいというニーズがあり、
そのニーズに鍼灸というものにニーズがあり、

私が学ぼうとしている鍼灸はその大きな可能性を秘めているということへの

気づきは、私を大きな一歩を踏み出す勇気を与えてくれました。

大学病院での研修をする道を選びました。

がんばろーっと思い応募し、白衣をきて鍼灸をする日々となったのでした。

血圧、便通、身体の軽さ

大学病院での鍼灸臨床

もう、25年ぐらい前の大学病院研修時代。
うーん、なつかしい。東海大の東洋医学科に3年在籍してました。

そして血圧が乱高下する入院患者さんを担当。

70代前半男性、主訴は右の麻痺。脳梗塞後の症状でした。右の麻痺脱力と、若い頃からの便秘と血圧の問題。

この方を、8週間16診ほど鍼灸。

☆東洋医学的な見たてでの血圧、便通

弁証は中経絡、気血両虚、腎虚で、益補脾腎、疎通経絡。

リハビリからのオーダーは手の課題。ただ、私としては手の局所の問題よりも、全身の虚損(気血両虚)とくに中心の軸の弱さ(腎虚)をしっかりさせるほうが大事ではないかと思いました。そして、手の鍼をしながらも、大巨(ST27)、点数、脾兪、腎兪(BL23)、気海などを使って、軸足は補脾補腎でいってみました。

入院患者さんだったので、この治療で、手もリハから軽快しているとのコメントをいただき、まずまずだねなんて思いながら、カルテの血圧、便通のデーターにちょっと驚きました。

血圧をグラフにしてみると、乱高下していた血圧が、なだらかになっていき、それと同時に、頑固な便秘も解消していったのです。無口な方でしたが、後半には笑顔が増え、身体を立て直すってこういうことなんだと実感しました。

大学病院であったので、この配穴には、んーーーという冷たい視線も多少感じながらも、
(オーダーのあった手の経穴中心ではなかったので)ついていたドクターが、『自由にやってよし、責任はオレが取る』と仰っていて下さり、古典的な配穴を押して使いました。

このときの、自分で作った血圧グラフは、それからの私の臨床の中で、何を大事にすればいいのかということを教えてくれたような気がします。

 

☆血圧、便通、健康に貢献するということ

 

開業して鍼灸していると、こういった血圧など測定は難しいので、血圧に関してのデーターがとれるような臨床はできずにいます。でも、ご自身のお身体がしっかりとしてくることで、結果的に血圧などの全身状態が好転してくるということは多く経験しています。

東洋医学で出来る貢献をしっかりとつづけていきたいなと思います。

 

鍼灸の修行はなかなか大変です(^_^;)。

先日、静岡県鍼灸師会中部支部講習会に参加しました。

本当にこういった講習会に、自宅で、無料で(だって私は日本鍼灸師会の会員だもん)参加出来るってありがたいです。

独立開業している穴掘りウサギは視野が狭くなりがちですが、世間の状況、社会の状況をこういった師会が教えてくれて、ぐいっと社会が広がります。

大学病院での鍼灸事情

 

さて、先日のお話は、東海大学病院の東洋医学科で鍼灸をなさっている高士先生のお話でした。

非常に興味深く、大学病院でドクターと連携されながら東洋医学を実践なさる高士先生の日々感動!そして自分も頑張らねばと励まされました。

また、漢方は私もお勧めすることが多いです。こういった病院での処方は血液検査などの色々な要因や、より効果的であれば西洋薬も一緒に処方してくださったりと非常に有難いところですよね。
また費用も保険適応があれば安いですね(いや本当は安くないですけど本人負担という点で)

 

東海大学大磯病院での3年間の鍼灸修行

私は25年ほど前に、この東海大学病院で、鍼灸の研修生として3年間お世話になりました。
所属したのは東海大学大磯病院で、もう今月から徳洲会病院(湘南大磯病院)に変わった病院です。

この3年間の大学病院修行は私の鍼灸師としての修行として本当にありがたかったです。

私がついたドクターは

『あなたは免許をもっているのだから、
自由にやりなさい、責任は自分がとるから。』

と仰って下さり、やりたいように、自由にやらせてもらいました。

この東海大の研修生は、私が鍼灸学校を卒業した年には募集がなかったらしく、知りませんでした。そして卒後1年たったところで学校から連絡がきて、入ることになりました。学校からなぜ声がかかったかというと、鍼灸学校での成績がよかったのよ〜ん(^_^;)。

私にとってよかったのは、免許取って1年の市井での鍼灸治療をかなり見聞きしてから(面白い形の弟子入りをしていたので)の研修生でした。間中病院、日産玉川病院、筑波など、当時は東洋医学を総合的にガンガンやられるドクターがいらっしゃり、多くの鍼灸師が所属していました。

私は学校卒業後、自分ですでに弁証論治を症例で作り上げる作業をしていました。この症例書き上げはいまも続いています。そして私のベースです。また、この時期の指示させていただいた先生方は皆さん鍼灸のみのシンプルな治療だけで、鍼灸治療をガッツリと見聞きした後に、大学病院での修行をするというラッキーな状態でした。

大学病院で自分が担当した患者さんのカルテをみると、同じ弟子入りした鍼灸院で修行していたらしい方から引き継いだ方も多く、『あ、あのメソッドだ』と気がつく配穴が多かったです。

そして、私はそれをそのまま踏襲せず、今一度弁証論治から立ち返り、その治療をもとに改めて実践してみると言うことをしていました。また他科から回された主訴は右手の麻痺だったりしたのを、その麻痺の身体全体からの位置づけを考え直し、主軸としての治療はなにをもってくればいいのかということを考え、結果的に麻痺よりも、便通と血圧の改善を目標にガッツリ治療したら、結果的に患者さんから非常に喜ばれ手応えを感じたなどと、自分のやり方に自信を深めることができた3年間でした。

 

☆自由にやりたいようにさせてくれたドクターに感謝

これはもう、やりたいようにやらせてくれたドクターに感謝しかありません。

そして、今回の講習会で、このやりたい放題は、ずっと続いたものではなく、あのときのほんの数年だけだったということを知り驚きました。もう、あんな風に修行できることはないのですね。
なんというご縁だったのかと改めて思いました。

いまでは、そういった研修生が鍼灸の臨床を経験する場ではないということで、その点はちょっと寂しかったです。漢方と鍼灸をドクターや研修医の人々に知ってもらい、広めるということが主眼のようですね。これは日本の中の東洋医学のありようとしては二重丸なんだと思います。

鍼灸師にとって、とにかくガンガン針を打つ、臨床を重ねるというのは、なにものにも代えがたい勉強の場。それも他科のカルテをみながらできるというのは本当にありがたく、きっと今もそんな場が続いているのかななんて勝手に思ってました。うううーん残念。

 

小田原には間中病院という病院があります。

30年以上前になりますが、有名な、間中善雄先生というドクターが東洋医学科をなさり、多くの鍼灸師がそこで学んだと伺っております。そして私の弟子入りした先生は最後の時期の弟子だったとのことです。

病院という場で、鍼灸が自由に実践できることは、なかなかチャンスに恵まれないとないのかねえ。それとも私が知らないだけで、今はもっと他にもあるのかな?。

鍼灸が、そして東洋医学が、日本人にとっての健康法のひとつであるといいなあなんて思うのだな。

日産玉川病院東洋医学センター