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CBTレッスン推論の誤り2:過度な一般化

・認知行動療法CBTについて

 

私達の車は、出来事に対して、認知、感情、身体の反応、行動という4つの要素をもち

反応し、人生の道をあゆみます。

このとき、出来事に対して、自分が出来事に対して色眼鏡をかけていると、あまり合理的ではない判断をしてしまうことがあります。

 

感情や行動が、あまり合理的でなく、自分にとって不都合だと思うとき、この状況をかえるための認知行動療法はとても効果的だと思われます。

・推論の誤り

認知行動療法を考えるときには、自分の色眼鏡を知ることが必要です。

この推論の誤りは10個程度有名なものがあります。
ひとつづつ一緒にかんがえていきましょう。

 

一般化のしすぎ 過度の一般化→レッテル張り

 過度の一般化とレッテル貼りを1つのカテゴリーとしている分類もみかけますが、別のカテゴリーとして扱っているところもあります。このあたり、10個と括ってはいますが、案外曖昧な感じですねえ。

 

一般化のしすぎ

「いつも」「みんな」「絶対」などの言葉を使いがち

これは、すごく納得ですね。「みんなそうしてるもん」っていったいどこの「みんな」ですかってきいちゃいます。「いつも」も、「絶対」も、確かによく出てくるキーワードですね。

・ひとつのよくないことで、全てを判断

否定的な出来事がひとつでもあると、全てを否定的に把える。そして全てその先もそうなると思う。

・一つの否定的な出来事を、決して終わることのない失敗の連続 を示すものとして捉えてしまう。      たった一つの出来事で全てを判断してしまうこと。

具体例:
・1度失敗した私はダメだ
・一人の女性と断られたから、どんな女性を誘っても断られると決めつけ
・自分を好きになる人なんて、ひとりもいない
・仕事でもいつも失敗ばかり。今回がダメだ〜今後は全てダメだ
・1度嫌いだと思った相手は全部嫌いだ。
・一人っ子ってコレだからダメだ
・日本人って、人って、男って、B型ってと一般化する

うううむ、書き出していて、自分も言葉の中にこの一般化はつかっているなあと思いました。
一人っ子とか、男っては使っちゃってますねえ。

私の母も夫も一人っ子で、行動がすごく似ているんですよ。
たとえば、目の前にケーキがあると、二人ともまるごとひとつ全部が自分のものに見える。
兄姉のいるひとは、ぱっとそのケーキの上に分割線が見えると思うんですよね。
二人兄姉だったら二つに分ける、三人兄姉だったら3つにわける。
意地悪とか、人に分けたくないという意識なく、ぱっとみると全部が自分のものとあたりまえに思っちゃう人と暮らすと、え?え?と思うシーンは多々あります。
それが母と夫で共通しているので、ついつい、「これだから一人っ子は」と一般化しちゃうのです。いやいや、推論の誤りですねえ。

 

対策としては、

 ☆例外をみつけてみる

 ☆○○全員ではないな

 ☆いつもではないな、

 ☆絶対ではないな

 

などの言葉とともに、一呼吸置いて考えてみましょう。

CBTレッスン推論の誤り1:全か無か思考と完璧主義

・認知行動療法CBTについて

 

私達の車は、出来事に対して、認知、感情、身体の反応、行動という4つの要素をもち

反応し、人生の道をあゆみます。

このとき、出来事に対して、自分が出来事に対して色眼鏡をかけていると、あまり合理的ではない判断をしてしまうことがあります。

 

感情や行動が、あまり合理的でなく、自分にとって不都合だと思うとき、この状況をかえるための認知行動療法はとても効果的だと思われます。

・推論の誤り

認知行動療法を考えるときには、自分の色眼鏡を知ることが必要です。

この推論の誤りは10個程度有名なものがあります。
ひとつづつ一緒にかんがえていきましょう。

 

全か無か思考(白黒思考)

「成功か、失敗か」良いか悪いかの両極端で考え、多くはネガティブな方を選択してしまう色眼鏡。

・100%でなければ、失敗と考えてしまう。

・物事を極端に把える、二者択一的な傾向

・黒か白かという絶対的な二文法で物事を見ている。

現実の世界で100%上手く行く事なんてほとんどないっしょ

 

・現実には100%上手く行くことなどはほとんどないのに、「100%でないと意味がない」と考えてしまう。

・自分のマイナス面だけではなく、他者の些細なミスにも否定的

 

100%うまくいくことなどないのに、なぜめざしてしまうのか、完璧主義者となりやすい思考

 100%上手く行くことを目指してしまう人は、完璧主義となりやすいといわれています。

完璧主義者の方は、そのことに情熱を捧げたいからではなく、ミスをしたり認めてもらえなかったりすることに不安を感じているために頑張るのです。

つまり、やること自体に目標があるのではなく、上手く行かないことが不安だから、怖いからがんばるのです。そして100%上手く行く事なんてあまりないわけですから、達成できないと、深い羞恥心を生じ、気持ちがへたれちゃいます。ぼちぼちでいいんです。

 

→目標が高すぎる→達成できない→ダメだ〜

・1度でもケーキを食べたらダイエットは失敗だ

・完璧に出来ないなら、やる意味がない

完璧主義に走る場合、目標が高すぎるとへたれます。
とにかく、目標は低く(^0^;)。
3日ケーキを食べるのを我慢できたら偉い!ぐらいの目標からスタートで十分ですよ。

 

☆全か無か思考を持つ人は、努力家で働き者であることがほとんど。

成果が出ているときは自信をもって努力できるけど、何かのきっかけで心はおれるものです。

努力家で働き者であることそのことに、充分価値をみいだし、
出来たところまでで充分やったねといきましょう。

ないものに目を向けるのではなく、いま、ご自身がもっているものに目を向けると
もう充分な価値をにぎりしめているのかもしれませんね。

いやねてばっかりだよ

 

認知行動療法と東洋医学で考える病の原因ー三因学説より

東洋医学の世界、肉体と精神、心と身体

 

東洋医学での世界は、まるごと一つの存在である人には心と身体があると考えています。

それは器質と機能に分けて考えることも出来ますし、

この器質と機能を、器質(血)と機能(気)と考えることもできます。

まるごと一つの存在が生きているときに、動きである部分と、モノである部分を考えるということが根底で、その動きとモノを、気血とという言葉を使うことが多いかなと思います。心身という言葉で、心と身体をあらわしますが、東洋医学だと気血かなという感じです。動きと器質と。まあ肉体と精神というほうが素直に納得できますね。

 

病気の原因を考える、三因学説

 

東洋医学で病の原因を考えるときに、三因論、三因学説というのがあります。

内因(七情内傷)、外因(外邪)不内外因とみっつにわけます。

 

内因ー精神の課題:七情内傷

 

内因である七情内緒は、それほど、人の感情は病の大きな原因と考えているわけです。
面白いよね。

 

七情内傷?そんなバカな?と思ったこと

 

私が初めてこの内因としての七情内傷を知ったとき、そんなバカな(^^ゞと思いました。
しなしかがら、精神、メンタルはとても重要な要因であり、五臓をそれぞれ主り、影響されるのが
七情なのですよね。

五臓の概念から五志+2の七情内傷へ

東洋医学はまるごと一つの人間を、五臓という概念を用い、その五臓それぞれに主る五志(怒喜思悲憂恐驚)という感情が外界の変化に影響を受け、舎る臓にも影響を及ぼすといったイメージでかんがえています。

つまり、外からの出来事で、どうにもならない事を思い悩むと脾が傷む。そして脾が弱っていると思い悩みやすい。そして悪循環という感じですね。

外因は外邪、つまりイマドキだと寒邪とか、燥邪とか。直接身体をおかしますね。

 

三因論の面白:飲食不節、働き過ぎは不内外因(内因でも外因でもない)のカテゴリー

 

この三因論の面白いところは、飲食不節(食べ過ぎ、飲み過ぎ)や、働き過ぎを、病因のカテゴリーにいれ、内因でも、外因でもないとしているのです。まあ、不内外因にはこれ以外に、湿痰と瘀血があり、これはこの存在そのものが病の原因となる(イメージはガンとか)と考えていく感じです。

怖いことがあって恐怖によって、腎の臟が痛んだとか、喜びすぎて心が病むとか。まあ、そんなイメージですね。

 

私の描く、東洋医学の人生物語

私は、人を診るときに、この病因論を使うよりも、時系列でその人の状態が、過去から現時点にどの様にたどり着き、こういう状態を呈しているんだと考え、あらま欲しき未来はこうあってほしいし、そのためにはどう言う手段、考え方があるんだってな感じで考えます。

これがCBTとの相性のよさかもしれませんねえ。

認知行動療法と、東洋医学で考える心と身体

認知行動療法のワークに取り組んでいます(^^)

 

自動思考とか、スキーム(深いその人の思索の有り様)を考えていると、それは
パソコンのOSのようなものだねという話しがでて、深く納得しました。

色々なアプリを使うわけですけど、私達は前提として、Windowsとか、マックのOSを使います。
そのバージョンもさまざまですが、通奏低音のように流れるOSをベースにしながらさまざまなアプリを使うのは、ホントに面白い考え方です。

認知行動療法では、そのアプリのありようを考えることはできますが、OSそのものへの
アプローチはなかなか出来ません。
ただ、時にはOSまで変えて行く人生の変容が求められるときもありますね。

東洋医学の世界で考える、心の課題

東洋医学のOSでは、まずまるごと一つの身体と考え、1つの身体を5つの観点、五臓からみることがあります。

この五臓に色々と組み合わせを使って考えるパズルの世界が展開されます
(実は私はこのパズル化が嫌いだったりしますが(^0^;)(^0^;))

このパズル。五臓(肝心脾肺腎)に五志(怒・喜・思・憂・恐)をあてはめていきます。

(注、憂に悲しみもセット、恐に驚もセットで、七情とすることもあります)

肝→怒、 心→喜、 脾(消化器系)→思(思い悩む)、 肺→悲、 腎→恐のようにあてはめます。

これ、いろいろなベクトル(方向と量)で考えられ、ここからの深掘りがまた楽しからずやなんですが、臓腑の基本概念がないとパズルになっちゃうので横においておきますね。

CBTのケアのスタートが、抑うつ状態や、気持ちのモチベーション低下症状だと考えると。

 

もともとCBTが抑鬱に対してのケアだとすると、脾(消化器系)の思い悩むの解決につながり、胃腸への負担が減ること。胃腸がしっかりすると、食べ物からの滋養を受け取ることができ、生命力を育むことができる(後天の本の育成)、身体がしっかりし、脾がしっかりすると、思い悩むが解消されていく、という好循環になります。

 

これに対して、肝などは、もともとベクトルが強く、物事をぶっ壊すところまで行く臓と考えられていて、これをコントロールするのも大事だわね、でも脾(思)とは、違うアプローチだわねなんても思ったりするわけです。

思が中心の脾気タイプには、このcbtはぴったりくるかなっていう感じがしますね。
怒が中心の肝気、ぶっ壊しタイプは、もうちょっと別なアプローチもありですね。

ぐじぐじと勉強タイムしていると、ギルバルスが俺とあそべーといってきますんで、今日はこのあたりで。じゃねー(^^)

 

人生の山道、認知が違うと見える風景も違うね!

人生を走る車

いま、自分なりのCBT(認知行動療法)のまとめをつくっています。

何度も改訂をしながら、書いているのがこの図。

人生を走る車の認知の変容こそが行動の変容になり、人生の山道を頼もしく、楽しく、自分の目的に向かって走って行ける活力になりますねえ。

いま、左下の認知の詳細のところの図はもう少し欠いていバージョンをいれて、スキーマという概念を、身体全体に静かに広がっているOSのようにとらえました。

私達は自分の身体を意思を持ってうごかし、人生を歩んでいます。

出来事を五官(目、鼻、耳、口、舌)などを通じて人はいきています。

その出来事をどう認知し、自分で感じ、行動にしていくのか。

出来事の解釈が歪んでいると、自分の認識も歪み、行動もゆがみます。

たとえば、

出来事:食事バランスガイドをみたが、量が多すぎると感じ、太ってしまうのではと悩んでいる。

自動思考:食べ過ぎは太る

感情:イライラ

行動:推奨量をとろうか迷う

根拠:太るとかっこわるいから

   食べると体重が増えてしまうから

リライト:現実的には、食事バランスガイドの量を食べても太らない。

根拠:食事バランスガイドは統計やエビデンスが深い。

逆転行動:楽しく推奨量をとる。

太るということばかりに注目していると、食べるということが罪悪に感じてしまいます。でも、食事の本来の目的は健康に楽しく生きるためだと思います。

そういったとき、誤った認知の縛りで、ご自身の行動が前に進まないときには、ご自身の自動思考をチェックして、前に進んでみたら良いかなって思います。

人生は長いようで短い、

まあ、とにかく楽しく行きましょう!

スキーマ:スキーマ(Schema)とは、人間が経験の積み重ねにより獲得する、外界を限られた情報から理解するための枠組みをいいます。参考:https://www.awarefy.com/coglabo/post/schema