アドラー心理学3,4

3. 「感情」を使う

「イライラしていたから、コーヒーを飲みすぎて眠れませんでした」

はてさて、これは「イライラ」という感情が、私をコーヒーを何杯も飲ませた結果、眠れなかったのでしょうか?

このお話の主人公は感情です。そして感情という主が、私という奴隷にコーヒーを何杯も飲ませたので、感情の奴隷である私は眠れなくなってしまったという被害者のお話しです。眠れなくなったことの責任者は感情ですので、私は無力でかわいそうな存在です。

 主人公:感情
 奴隷 :私
 行為の結末:眠れなくなった。
 責任者:感情

さて、ここで、主人公を変えましょう、主人公は私で感情という奴隷を使うのです。

 主人公:私
 奴隷 :感情
 行為の結末:眠れなくなった。
 責任者:私

行為の結末はかわりません。眠れなくなったということです。

しかしながら、主人公は私です。私が感情を使ってコーヒーを何杯も飲んだので、結果として眠れなくなったわけです。責任者は感情を使った私にあります。決して感情ではありません。

「感情」が主人公であれば、無力でかわいそうな私です。何も責任を取る必要はありません。しかしながら、「私」が主人公であれば、その責任は私にあります。そして感情の使い方を変えることもできるのです。

そう、私たちは感情を使っているのです。

だから、感情の奴隷とならず、感情を使用する責任者として立ち位置を変えましょう。

これはとても勇気のいることです。だって、私が感情を使うわけですから、当然起こった結果については責任を取らなければならないのです。

アドラーの考え方は、「自分が責任を取る」という点がとても新鮮で厳しいです。「感情に支配されたかわいそうな私」でいることを許してくれません。

感情は私たちの生活を豊かに前向きにしてくれるものでもあり、思いとどまらせ、あきらめさせるものでもあります。上手に感情とつきあっていきたいものです。

私たちは自分の人生を歩まなければならない。

どのようなことであれ、前をむいて、勇気をもって歩む。

自分のおこした責任をしっかりと取る。

勇気がいるけど、そこには自立したすがすがしい貴方がいると私は思うのです。

4. 勇気をもち、「自分の人生に責任を持って」 生きる

アドラーの考え方を実践してみると、そこには、

「自分の人生に責任を持って生きる」

ということを意識するようになってきます。

なにか人生の中で困難な出来事が出来たときに、それを自分が引きとり、引き受ける。言葉では簡単ですが、とても勇気のいることです。

この困難な出来事にであって、「かわいそうな私」であれば、弱いかわいそうな私に責任がとれるはずもない。

「悪いあの人」が悪いのだから、私は責任を取らなくてもいいという選択をしていれば、自分が引き受けて責任をもって生きる必要はありません。

でも、もし、その困難な出来事を乗り越え、「これからどうするか?」という人生の目的を考えたのならば、私は、その選択に自分で責任を持つわけです。

責任をもつ、顛末を自分が引き受ける。そんな一歩を踏み出すのはとても勇気が必要です。

だって、いままでは、かわいそうな無力な私であったのでそうなってしまっていたのですし、悪いあの人がそうさせていたのだから、責任を引き受ける必要がなかったのです。

「イライラしていたから、コーヒーを飲みすぎて眠れませんでした」

このエピソード、私の行動の目的はなんでしょうか?

行動の目的はコーヒーを沢山飲むことです。その結果は眠れなかった。

イライラしていたからとか、理由を考えるのは棚上げしてみましょう。そして自分の行動の目的を知り、顛末を引き受けるのかどうか決めましょう。

私はイライラという感情を使って沢山コーヒーを飲んだ。

その結果眠れなかったわけです。

もし、結果を変えたければ、「自分の選択」を代えればよいのです。主人公は自分ですからね。

勇気を持って「変える」

いままでの自分の選択パターンから「変わる」

いつもの使い慣れたパターンというのは、多少の不具合があっても、使い勝手がよく安心感があります。でも、一歩前に出ることが出来ない。

勇気をもって、変えてみましょう。

あなたには、自分の人生を変える「能力」があります。しっかりと引き受ける「力」があります。

いままで選んだことのなかった方法や生活スタイルであればちょっぴり勇気が必要なのかもしれませんね。

私たちの人生、幸せになる勇気をもって歩んでいきたいものです。

>> 次のページ アドラー心理学5,6,7