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血圧、便通、身体の軽さ

大学病院での鍼灸臨床

もう、25年ぐらい前の大学病院研修時代。
うーん、なつかしい。東海大の東洋医学科に3年在籍してました。

そして血圧が乱高下する入院患者さんを担当。

70代前半男性、主訴は右の麻痺。脳梗塞後の症状でした。右の麻痺脱力と、若い頃からの便秘と血圧の問題。

この方を、8週間16診ほど鍼灸。

☆東洋医学的な見たてでの血圧、便通

弁証は中経絡、気血両虚、腎虚で、益補脾腎、疎通経絡。

リハビリからのオーダーは手の課題。ただ、私としては手の局所の問題よりも、全身の虚損(気血両虚)とくに中心の軸の弱さ(腎虚)をしっかりさせるほうが大事ではないかと思いました。そして、手の鍼をしながらも、大巨(ST27)、点数、脾兪、腎兪(BL23)、気海などを使って、軸足は補脾補腎でいってみました。

入院患者さんだったので、この治療で、手もリハから軽快しているとのコメントをいただき、まずまずだねなんて思いながら、カルテの血圧、便通のデーターにちょっと驚きました。

血圧をグラフにしてみると、乱高下していた血圧が、なだらかになっていき、それと同時に、頑固な便秘も解消していったのです。無口な方でしたが、後半には笑顔が増え、身体を立て直すってこういうことなんだと実感しました。

大学病院であったので、この配穴には、んーーーという冷たい視線も多少感じながらも、
(オーダーのあった手の経穴中心ではなかったので)ついていたドクターが、『自由にやってよし、責任はオレが取る』と仰っていて下さり、古典的な配穴を押して使いました。

このときの、自分で作った血圧グラフは、それからの私の臨床の中で、何を大事にすればいいのかということを教えてくれたような気がします。

 

☆血圧、便通、健康に貢献するということ

 

開業して鍼灸していると、こういった血圧など測定は難しいので、血圧に関してのデーターがとれるような臨床はできずにいます。でも、ご自身のお身体がしっかりとしてくることで、結果的に血圧などの全身状態が好転してくるということは多く経験しています。

東洋医学で出来る貢献をしっかりとつづけていきたいなと思います。

 

鍼灸の修行はなかなか大変です(^_^;)。

先日、静岡県鍼灸師会中部支部講習会に参加しました。

本当にこういった講習会に、自宅で、無料で(だって私は日本鍼灸師会の会員だもん)参加出来るってありがたいです。

独立開業している穴掘りウサギは視野が狭くなりがちですが、世間の状況、社会の状況をこういった師会が教えてくれて、ぐいっと社会が広がります。

大学病院での鍼灸事情

 

さて、先日のお話は、東海大学病院の東洋医学科で鍼灸をなさっている高士先生のお話でした。

非常に興味深く、大学病院でドクターと連携されながら東洋医学を実践なさる高士先生の日々感動!そして自分も頑張らねばと励まされました。

また、漢方は私もお勧めすることが多いです。こういった病院での処方は血液検査などの色々な要因や、より効果的であれば西洋薬も一緒に処方してくださったりと非常に有難いところですよね。
また費用も保険適応があれば安いですね(いや本当は安くないですけど本人負担という点で)

 

東海大学大磯病院での3年間の鍼灸修行

私は25年ほど前に、この東海大学病院で、鍼灸の研修生として3年間お世話になりました。
所属したのは東海大学大磯病院で、もう今月から徳洲会病院(湘南大磯病院)に変わった病院です。

この3年間の大学病院修行は私の鍼灸師としての修行として本当にありがたかったです。

私がついたドクターは

『あなたは免許をもっているのだから、
自由にやりなさい、責任は自分がとるから。』

と仰って下さり、やりたいように、自由にやらせてもらいました。

この東海大の研修生は、私が鍼灸学校を卒業した年には募集がなかったらしく、知りませんでした。そして卒後1年たったところで学校から連絡がきて、入ることになりました。学校からなぜ声がかかったかというと、鍼灸学校での成績がよかったのよ〜ん(^_^;)。

私にとってよかったのは、免許取って1年の市井での鍼灸治療をかなり見聞きしてから(面白い形の弟子入りをしていたので)の研修生でした。間中病院、日産玉川病院、筑波など、当時は東洋医学を総合的にガンガンやられるドクターがいらっしゃり、多くの鍼灸師が所属していました。

私は学校卒業後、自分ですでに弁証論治を症例で作り上げる作業をしていました。この症例書き上げはいまも続いています。そして私のベースです。また、この時期の指示させていただいた先生方は皆さん鍼灸のみのシンプルな治療だけで、鍼灸治療をガッツリと見聞きした後に、大学病院での修行をするというラッキーな状態でした。

大学病院で自分が担当した患者さんのカルテをみると、同じ弟子入りした鍼灸院で修行していたらしい方から引き継いだ方も多く、『あ、あのメソッドだ』と気がつく配穴が多かったです。

そして、私はそれをそのまま踏襲せず、今一度弁証論治から立ち返り、その治療をもとに改めて実践してみると言うことをしていました。また他科から回された主訴は右手の麻痺だったりしたのを、その麻痺の身体全体からの位置づけを考え直し、主軸としての治療はなにをもってくればいいのかということを考え、結果的に麻痺よりも、便通と血圧の改善を目標にガッツリ治療したら、結果的に患者さんから非常に喜ばれ手応えを感じたなどと、自分のやり方に自信を深めることができた3年間でした。

 

☆自由にやりたいようにさせてくれたドクターに感謝

これはもう、やりたいようにやらせてくれたドクターに感謝しかありません。

そして、今回の講習会で、このやりたい放題は、ずっと続いたものではなく、あのときのほんの数年だけだったということを知り驚きました。もう、あんな風に修行できることはないのですね。
なんというご縁だったのかと改めて思いました。

いまでは、そういった研修生が鍼灸の臨床を経験する場ではないということで、その点はちょっと寂しかったです。漢方と鍼灸をドクターや研修医の人々に知ってもらい、広めるということが主眼のようですね。これは日本の中の東洋医学のありようとしては二重丸なんだと思います。

鍼灸師にとって、とにかくガンガン針を打つ、臨床を重ねるというのは、なにものにも代えがたい勉強の場。それも他科のカルテをみながらできるというのは本当にありがたく、きっと今もそんな場が続いているのかななんて勝手に思ってました。うううーん残念。

 

小田原には間中病院という病院があります。

30年以上前になりますが、有名な、間中善雄先生というドクターが東洋医学科をなさり、多くの鍼灸師がそこで学んだと伺っております。そして私の弟子入りした先生は最後の時期の弟子だったとのことです。

病院という場で、鍼灸が自由に実践できることは、なかなかチャンスに恵まれないとないのかねえ。それとも私が知らないだけで、今はもっと他にもあるのかな?。

鍼灸が、そして東洋医学が、日本人にとっての健康法のひとつであるといいなあなんて思うのだな。

日産玉川病院東洋医学センター